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Arena Condition

AM 9:45 September 17, '10 (Friday)

 今朝はまだ曇っていますが夏の日差しが戻ってきて、これから急速に暑くなって晴れるようです。

 馬場は、現在は不良ですが、今日一日で可成り回復が見られるでしょう。しかし明日まで馬場の重さは残ることでしょう。
 
 明日から3連休でお天気も良いようですから、日曜日と月曜日は、ベスト状態の馬場となることでしょう。


 「柔道家鈴木桂治の負けと一生懸命」

 世間やマスコミは、鈴木桂治選手の全盛時代の復活を望んで、本人はとても辛く大変な思いをしているに違いない。
 本人自身にも、何故負けるのか不思議で堪らないし理解できないでいるに違いない。ひたすら稽古を励んで、自分の体をいじめるしかない。
 只、これくらいの選手となると色々な人がサポーとしているに違いないから、フィジカルだけでなくメンタルのケアーもしていることだろうと思うが、功を奏しているとは思えない。

 これまでに何回も思い通りにならない経験を、オリンピックで金メダルを取ってから後の大会で、思いがけなく降って来たように敗退という結果が自分の身に起こって、それからというもの自分の身に何が起こったか不思議で理解できない敗退が続いたのである。

 多分相当の混乱があったのではないかと思う。

 しかし現役引退が頭をよぎるのを振り切りながら精進を、続けて日本代表を獲得して、檜舞台の世界選手権の舞台に立った。
 しかし、一心を投げ打って誰よりも頑張ってきたにも関わらず、勝利の神様は残酷にも彼の頭上には降りて来なかったのである。

 人間には意識的行動と無意識的行動とが同居している。意識的行動とは、大脳皮質が支配している領域で、無意識的行動とは、反射神経などの自律神経によって支配されている領域だ。

 鈴木選手の試合を全部見ているわけではないが、彼が負けた試合の多くは、彼の気が抜けたときが多い。つまり鈴木啓治が鈴木桂治でなくなったときに負けているのである。しかし、彼ら日本の多くのアスリートの練習は、鈴木桂治が鈴木桂治である時を、鍛えるような練習をしている。勿論スポーツ選手は、反射神経を鍛えているに違いないが、その練習過程においてその人の意識をどのように位置させているかが問題だ。
 私が思うにこの鈴木選手は、天才的柔道家なのではないかと思う。負けという結果に対する対処の仕方が決定的に悪いにも関わらず、その後にも絶対的強さを発揮することはできないながらも、日本代表を争う檜舞台に立っているのだから、柔道家としての才能は計り知れないものがあるに違いない。

 大脳皮質が支配している割合は、人間の行動の20%以下だといわれており、無意識的行動が80%以上を占めているらしい。
 スポーツにおいては反射神経の支配する領域を鍛錬することなのだが、意識的行動を鍛錬して、無意識に意識的行動ができるようにしようとするのか、無意識的行動を意識的にコントロールできるように鍛錬するのか、これらをどのように意識して鍛錬するかによって、フィジカルを動かすことは同じでも、結果はまるで違うのである。

 鈴木桂治選手が全盛で飛ぶ鳥落とす勢いの時、今と同じように柔道の稽古をしていたはずだが、意識の持ち様は今とまるで違うはずだ。それは只、技を磨く練習をしていたはずで、負けないようにとか勝つようにとかいう意識は殆どなくて、技の精度を上げるようにという一点に集中していたのではないかと思う。もしかしたら、そんなことすら念頭になくて、無心でひたすら汗をかいていたかも知れない。

 人の意識は、意識的行動の範疇において鈴木桂治であって、無意識の領域は鈴木選手ではないという考え方をする。だから失敗したり負けたりすると、頑張って失敗や負けないように練習しようと考えるから、それまでの栄光の座にあったときの練習に対するのとはまるで意識が違ってしまうのであり、意識の領域を鍛えようとしてしまうのである。

 無意識の領域を鍛錬して、その後に追随するように意識レベルを上げるように訓練するのか、意識領域を鍛錬して無意識に意識的行動ができる水準に上げるように訓練するのか、この2つの違いはまるで違う結果を生むのである。

 私は、普段からものをよく考えろと人に言っている。でもものごとを考えるということは言っているが、考えることを先にしろという意味ではない。ものごとを考えることという意味は、そのものごとに対して抱いた印象や質感や触感などを手がかりに、そのものごとを探究するということだ。只、単に知識や情報を集めてそのものごとについて思案することを、考えることだと勘違いしている人が一般人の多くだ。しかしあまり意味がないことで、どんなに持っている知識やパソコンで検索して情報を集めても、物事を理解することには殆ど近づくことはできない。何らかの自分の存在がそこにはなくてはならない。
 考える手がかりは、自分がそのものに対して持った感覚でなくてはならないということで、飽くまでも無意識というか何ら作為的でなく持った感覚を、手がかりにそのものごとについて情報を集めたり思案したりして、探究して真理や実態に対する理解を深めるのである。

 つまり無意識の領域を解明するために思考や訓練をすることが、無意識に身についている機能を失うことなく更に優れた技能を、身につけることができるが、意識領域を頑張って訓練して無意識にコントロールできる水準まで上げようとすれば、必ずそれまでのバランスが崩れるように何かを失うのであり、そそしてその喪失を本人は気付かないのである。

 つまり鈴木桂治選手は、意識領域を頑張って鍛えて無意識レベルまで上げようとしてきたから、柔道の技そのものの技量はアップしたのかも知れないが、彼が無意識にやっていた相手の気の変化や気配に対しての対応能力が格段に喪失してしまって、彼の試合では相手と正面から向かい合っているとき、つまり鈴木桂治選手が意識領域にいるときに負けることはなく、気が抜けたときや不意の時に不甲斐なくつい転んで負けるのである。つまり無意識領域に彼が立ったとき、今まで作用していた機能を失ってしまったので試合に負けたのだ。

 ふざけているときや不真面目なときや気を抜いたとき、気を引き締めているときとその両方共に自分自身であることには変わりはないのだから、無意識の領域からの声に耳を傾けることが重要なのであり、スポーツでも学問でも意識領域の拡大ではなくて、無意識領域からの声に耳を傾けて、五感を始めとする感覚が意識領域と連携することが結果として自分の行動全体を意識下に置くことになるのだ。
 嫌が応にも意識領域の拡大は、年齢を重ねるにつれて必然的に進むもので、何故なら大脳皮質が意識的行動をコントロールしているから、意識領域の声は否応なく耳に届くので、届いた声についての考察は必然的に行う。
一方無意識領域の声は、無視していると末端神経で何らかの刺激を受けていても、無感覚のように感じなかったと同じように察知しなくなってしまうのである。
 だからこそ、心してあらゆる末端神経で受けている信号に耳を傾けて、取捨選択する能力や反応する能力を身につけることが、無意識領域を意識領域へとケーブルをつなぐことができて、意識下に置く範囲が結果として拡大するのである。

 話はとんでもない方向へと飛んでしまうが、今民主党政権になって益々官僚バッシングが激しくなって、政治家主導の政権運営といっては、色々な官僚の行動を制限してしまった。このことによってそれぞれの官僚が国家国益をと考え作ってきた制度を死に体にしてしまった。
 政治家主導の政権運用とは、官僚が有機的に能動的に、国家の利益を考えて行政に携わるようにすべきであって、その官僚が行動すべきことを政治家が変わりにやることではない。つまり官僚がそれぞれに判断して有機的にすることは、政治家にとって官僚自身の判断による能動的行動は無意識領域の行動で、その声を詳細に聞くことから始めないと、80%以上を占める無意識領域の行動を止めてしまっては、国家の機能が麻痺してしまうのである。

 鈴木桂治選手の悲劇と今の民主党政権を選択した日本国民の悲劇は、同類の現象に他ならない。

 人間の感性を磨くということと体を鍛えたり学問を探究したりすることは、全て同じことで、無意識の領域からの声である感覚的情報を研ぎ澄まして、一々感じることを無視しないで意識領域で受け止めるようにすることから始まることなのである。そして受け止めた感覚情報に対して思考を巡らせて、訓練したり探究したりして自分の中に取り組むことができれば、そのことによって意識領域の能力を高めることができるのである。
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