Arena Condition
AM 9:05 Temperature 10℃ Humidity 50% 快晴 March 3,'17(Friday)
今朝は、雲一つなく穏やかな天気です。
馬場は、不良コンディションです。今日は気温が高くなりそうなので、なるべく回復してくれると良いと思います。
我々のあらゆる言動には、自らの意志が介在します。ところがこの意志は、空気みたいな存在で、どんな意志が介在したのかを一々認識することはないのかも知れない。つまり。意志について自覚なないことが多いということです。
しかし、この意志を自覚しないとは、人によって格差があるのではないだろうか。
私は、自分の意思の介在を認識している。
日常生活は勿論のこと、スポーツなどの運動においても、その瞬間にどんな意思が働いたのかを自覚しているのです。まして、意図的行動となれば、いうまでもなく自分の意志を自覚しないということはあり得ないのです。
自分以外の人が馬に乗っている姿を見るに付け、自分の意志を自覚しないで行動している姿を良く見るのです。意図的行動においても、行動の目的を意志として持っていないで、作業の目的ではなく作業そのものをすることに意志が働き、このように意志が働いていることを自覚していないのです。
行動に意思が介在しないことはあり得ないが、その意思を自覚しなかったり認識していなかったりすることがあり得るようなのです。
私は、大勢の人の前で話をするとき緊張し、緊張している自分を認識し、その緊張を周りの人や話を聞いてくれる人達に気付かれないようにしたいという意志を痛いほど自覚する。また、上手に話をしたいという意思の介在も認識すると同時に、上手に話したいという意思の介在がより緊張を生んでいることも認識している。
行動の起点において、目的があるものです。この目的があるからこそ行動する。従って、行動するときに、この目的を達成したいという意思が介在しないということはあり得ないのですが、行動の目的ではなく、行動という運動をすることに意志が向いてしまうことがあり得るようなのです。
例えば、ある目的地へ向かって歩くとき、歩く目的は目的地へ到着することです。しかし、歩くこと自体に意志が働き、目的地へ到着するという意志が働かなくなることがあり得るということなのです。正確に言えば、歩くこと自体へ意志が向かってしまっていることを自覚していないということです。もしこのとき、歩くこと自体に意志が向かってしまっていることを自覚すれば、直ぐに修正し目的地へ到着することを目的に歩くという正常化を期すはずなのです。
目的を意志として行動に介在すれば、行動の過程において目的に合致しているかどうかを必然的に確認する。
知識として、目的に行動の成果が合致しているかどうかを、確認する方法を知っているかどうかは問題ではないはずで、必然的に確認する方法を意志が介在しさえすれば見つかるのです。
しかし、行動の目的から意志が離れてしまうことの原理や、その意志を自覚しない原理がどのようなものなのかを知りたいものです。