Arena Condition

AM 9:25 Temperature 26° Humidity 56% くもりのち晴れ August 8,'12(Wednesday)

 今日は、一転して気温が26度しかなく、26度ってこんなに涼しかったかなと思う程、過ごしやすいです。そして、雲が厚くてもこれから晴れるらしいです。

 馬場の回復が思いの外かかってしまって、やや重状態のままです。



 「床屋さんの青春物語」

 子供の頃の浴衣は、浴衣自体に紐が縫い付けてあって、その紐を腰に回して締めていた。
その頃は、良く大人のように帯を締めて浴衣を着たいと思っていて、紐が付いた浴衣を着せられる度に、何だか子供扱いされているのが何とも歯がゆい思いを感じてた。

 その頃床屋さんでは、大人と子供の顔の剃り方が違っていて、子供は、額の線をくっきりと横一文字に剃って、角を丸くしそのまま揉み上げまで下がるラインが一本の線であったのが、大人になると、額から揉み上げに向かう線は角張った剃り方で、更に一旦少し下へ降りた線は更に90°横に後方へ向かってから揉み上げの線に降りるように剃るのである。

 小学校5~6年生になると、浴衣の帯や床屋での顔の剃り方が気になってきて、早く大人のようにしてもらいたくて、浴衣の帯は母親にお強請りをしたものだったが、床屋ではそれを自分でいうのが恥ずかしくて、どういう訳か床屋の親父に決定権があって、大人のように顔を剃っても良いかどうかの判断を、床屋の親父に任せるしかなかったのである。

 ところがある日突然この日がやってくるのである。俺も一人前扱いになったんだなぁと思って、一人密かにほくそ笑んだものである。

 中学になる頃更に色気づいてくるものだから、刈り上げというのも何だか子供だけがやるものだという認識があって、この頃盛んに「刈り上げずに」と注文を付けたものだった。そして、もう一つ大きな大人への階段があって、それは顔を剃って一切が終わったとき、顎の下や首回りにシッカロール(汗知らず)を付けてくれるのも、赤ちゃんに付けるものだから、子供扱いされた気がする代物で、それでもどうしてか思い出せないが自分で断ることなくされるままにしていて、多分中学の頃にやられなくなって、これも密かにほくそ笑んだように覚えている。

 こうして振り返って見ると、大人に憧れを持っていて、早く大人扱いされたいと願っていて、一つ大人扱いされる度に、一人密かに喜びを噛みしめていたのだった。

 そういえば余談だが、小学校に上がる前の頃だから昭和31~2年の頃だったと思うが、床屋に行くとき手拭いを持っていったもので、今では床屋でタオルが用意してあり消毒してあるから持っていく人は先ずいないが、持っていかない人もいたようが、その頃は、持っていくというのが普通であった。

 さて、刈り上げを嫌うというのと同じ意味合いで、バリカンを使うというのも何となく色気づいた中学生になった頃に
 嫌うようになって、「どのように刈りますか」と聞かれると、「刈り上げずにバリカンを使わず、鋏でお願いします。」と応えたものである。

 これは色づいたこととは違う話だが、ある程度仕上がったとき良くスキ鋏というのを使いたがり、何も聞かずに当たり前のように使おうとするので、その度に「それは止めてください」というのもその頃の習慣になっていた。

 もう一つ余談だが、私が子供頃通っていた床屋さんは、日本カミソリを使う人だった。その日本カミソリは、今では全く見ることができないほどだが、出刃包丁を小さくしたような形をしていて、顔を剃る度に砥石で研いでいたものだった。

 この親父は、今振り返ってみると髭剃りの名人だったと思う。

 私は、カミソリ負けして皮膚が痛むし、髭剃りをする度に顔を血だらけにしてしまうので、今では電気カミソリを使う始末だが、高校に上がった頃だったか時期は余り覚えていないが、この親父に剃ってもらうと、肌が傷むことはないし傷を付けるなんていうことは全くないばかりでなく、一回剃ってもらうと2~3日間剃らなくて伸びてこないのである。

 ところが、故郷を離れて社会人になり、東京の色々な床屋さんへ行くようになってみると、このようにひげを剃ってくれるような人には2度と巡り会うことはなかったことを考えても、やはりこの親父は名人だったのだ。

 私は、小学校1年生の頃に、頭に大怪我して十数針を縫うほどであったので、その傷が禿げてしまって、今でもありありとの傷を見ることができるが、髪を伸ばしていると隠れてしまう。
 それをこの床屋の親父は知っていて、床屋へ行くたびに最初にこの親父のやることは、タオルを首に巻いてその上に前掛けを掛けた後に、必ず頭の髪をかき分けて、私のこの傷を確認するのである。しかも「むすっ」としたまま何も言わずにである。

 多分心の中で、「嗚呼、土岐田の家の息子だ。」と思っていたのだろう。

 私は、時々違うところの床屋さんに行くことは希にあったが、高校を卒業して上京するまでは、殆どこの親父の床屋さんへ通っていて、その度にこの親父は、私の頭の髪をかき分けて傷を確認するのを止めたことはなかったのである。

 床屋の入り口は、曇りガラスの引き戸で、その磨りガラスを白抜きして店の名前が書いてあって、その引き戸を開けてはいると3畳ぐらいの畳の間があって、その真ん中に大きな瀬戸物の火鉢が置いてあった。
 本棚に漫画や新聞が置いてあった。靴を脱いで用意してあるスリッパに履き替えて、畳の間が床から縁に腰掛けられるほどの高さがあったので、腰掛けて足をぶらぶらさせて、漫画の本を読みながら順番を待っていたのである。

 その畳の待合の奥に、5つ位のイスがあってその一つ一つの前面に大きな鏡が設えてあって、それは今の床屋さんと余り景色が変わっていないように思う。只、奥の過度に洗面所が1ヶ所あって、髪を切り終わった後にそこまで行って、頭を洗ってもらうのである。

 父親もこの床屋に通っていたものだから、時々かち合うときがあって、後ろ姿で父親だと分かると、店には入らず暫く他所で時間を過ごしてからいったものである。

 私は、4~5才の子供の頃に頭におできができて、そこを引っ掻くものだから頭が傷だらけだったらしく、床屋へ行くとバリカンを掛けるとその傷に引っかかって痛い思いをしたせいで、床屋に行くのが嫌いで決して一人では床屋に行こうとしなかったそうだ。
 小学校1年生の時に亡くなった祖母に、この床屋へ連れて行ってもらうのが習慣になっていた。

 この祖母は明治生まれの矍鑠とした人だったが、ご多分に漏れず孫達には優しく、床屋へ行った帰りに、何処かに寄って買ってくれたり美味しいものを食べたりと色々してくれるものだから、一人で床屋へ行くのを嫌がったのだった。

 親や兄弟達に良く冷やかされたもので、良く床屋へ一人で行くようにいわれたのを思い出す。それでも、頑として聞かず、床屋へは祖母と行くことに決めていたのである。
 また良く子供の頃から、お前は頑固だからといわれてたが、その頃はその意味するところが分からなかったが、今考えてみると、誰に言われようと床屋は祖母と行くべしと、小学校へ上がる前の子供が決心したところを思えば、相当の頑固者だったかも知れない。

 今の人達にとっても、床屋さんに青春時代があるのだろうか。
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