Arena Condition
AM 9:25 Temperature 28℃ Humidity 53% 曇り July 5, '12(Wednesday)
今朝は曇っていますが、暑く少し動くと汗ばむ感じです。
馬場は、粗回復してベスコンディションに近い状態です。少し雨が降るらしいですが夕方ぐらいでしょう。
梅雨とはいえ、空梅雨というほどでもないが、かといって梅雨らしく毎日雨というほどでもありません。
お天気だけは、ままなりません。
「心の存在」
人は、何かにつけてものを考える。
不思議に思っても、見慣れないものを見たときも、何処かに行くにも、止まるにも、何かを理解するためにも、技術を獲得するためにも、その他色々な局面でものを考える。
ものをどのように考えるか、その結果導き出したものによってものごとが好転すれば、そのことによって人の優劣が決まるというのが常識的判断である。しかし、人は何故考えようとするのか、人は何故そのように考えたいのかは、持っている知識や経験によって決まると思いがちで、確かにそうである場合もあるが、その経験や知識もまた何かに誘導されて起きていることであり、そのことについて考えたいと思ったり、どんな考え方をしたりするのかもまた、何ものかに誘導されているのではないだろうか。
その何ものかは、心だとするのが妥当だ。
心が人間の行動の全てを、決定付けているのである。
何かが上手くいかず負の循環を続けているとき、負の循環を抜け出したいと願って、何をどうすれば抜け出せるかが分からないとき、打開策を模索して思い悩む前に、そのこと自体をトータルとしてどうのように理解しているのか、そして一つ一つの局面においてどのように理解しているかについて思い返してみるのが大切だ。
その理解に基づいて実行している筈だからである。また果たして理解している通り実行しようとしているのだろうかという疑問ももちあがる。そして次に考えた通りに実行できているのかどうかを、検証しなくてはならない。
第一に考えなくてはならないことは、自分がどのようにしたいという心のありようである。
具体的な考え方や実行の仕方に移る前に、自分はトータルとしてどのようにしたいという心を、自分自身で確認する必要があるのである。
全ては、自分の心がどのような願望を、抱いているかを知る必要があり、心のありようをぼんやりとした状態のままにしておくのでは、具体的な対策を講じたとしても、決して上手くいくものではないし、自分自身で事態を把握して対策を考案して更に実行することを、自立してできるようにならない。
トータルとしての理解が分からないのであれば、先ずトータルとして理解したいと思う必要があり、理解したいという心を持ちさえすれば、その気持ちを満足させるために、何をすればいいのかを考えればいいことになる。また局面についての理解もまた同様で、各局面の理解をしたいと思って、その心を満足させる為の行動をする。
心を満足するための行動とは、他人に聞いたり指導を仰いだり考えたりすることで、心が満足するまで続けることである。
自分の心が何を望んでいるのかを知る必要があるのであり、何をすべきかどんな間違いをしてはならないのか、正しくできるためには、上手にできるためには、などと考えたり行動をしたりする前に、自分の心の向いている方向を知らなければならないのである。
今朝は曇っていますが、暑く少し動くと汗ばむ感じです。
馬場は、粗回復してベスコンディションに近い状態です。少し雨が降るらしいですが夕方ぐらいでしょう。
梅雨とはいえ、空梅雨というほどでもないが、かといって梅雨らしく毎日雨というほどでもありません。
お天気だけは、ままなりません。
「心の存在」
人は、何かにつけてものを考える。
不思議に思っても、見慣れないものを見たときも、何処かに行くにも、止まるにも、何かを理解するためにも、技術を獲得するためにも、その他色々な局面でものを考える。
ものをどのように考えるか、その結果導き出したものによってものごとが好転すれば、そのことによって人の優劣が決まるというのが常識的判断である。しかし、人は何故考えようとするのか、人は何故そのように考えたいのかは、持っている知識や経験によって決まると思いがちで、確かにそうである場合もあるが、その経験や知識もまた何かに誘導されて起きていることであり、そのことについて考えたいと思ったり、どんな考え方をしたりするのかもまた、何ものかに誘導されているのではないだろうか。
その何ものかは、心だとするのが妥当だ。
心が人間の行動の全てを、決定付けているのである。
何かが上手くいかず負の循環を続けているとき、負の循環を抜け出したいと願って、何をどうすれば抜け出せるかが分からないとき、打開策を模索して思い悩む前に、そのこと自体をトータルとしてどうのように理解しているのか、そして一つ一つの局面においてどのように理解しているかについて思い返してみるのが大切だ。
その理解に基づいて実行している筈だからである。また果たして理解している通り実行しようとしているのだろうかという疑問ももちあがる。そして次に考えた通りに実行できているのかどうかを、検証しなくてはならない。
第一に考えなくてはならないことは、自分がどのようにしたいという心のありようである。
具体的な考え方や実行の仕方に移る前に、自分はトータルとしてどのようにしたいという心を、自分自身で確認する必要があるのである。
全ては、自分の心がどのような願望を、抱いているかを知る必要があり、心のありようをぼんやりとした状態のままにしておくのでは、具体的な対策を講じたとしても、決して上手くいくものではないし、自分自身で事態を把握して対策を考案して更に実行することを、自立してできるようにならない。
トータルとしての理解が分からないのであれば、先ずトータルとして理解したいと思う必要があり、理解したいという心を持ちさえすれば、その気持ちを満足させるために、何をすればいいのかを考えればいいことになる。また局面についての理解もまた同様で、各局面の理解をしたいと思って、その心を満足させる為の行動をする。
心を満足するための行動とは、他人に聞いたり指導を仰いだり考えたりすることで、心が満足するまで続けることである。
自分の心が何を望んでいるのかを知る必要があるのであり、何をすべきかどんな間違いをしてはならないのか、正しくできるためには、上手にできるためには、などと考えたり行動をしたりする前に、自分の心の向いている方向を知らなければならないのである。
スポンサーサイト