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AM 9:05  Temperature 4℃ Humidity 62% 晴れ November 26,'16(Saturday)


 昨夜は、この冬一番の冷え込みでしたが、今朝のバケツには氷は張っていませんでした。

 よく晴れて、多少は暖かさを感じます。


 馬場は、不良コンディションです。


 11月の最後の週末で、今年も締めくくりの季節に入ります。気が少々早いかも知れませんが、一年を振り返ることもしてみるのはどうでしょうか。


「意図と認識」

 

 我々は、意図の向く先によって、何を認識するかが決まる。

 

 コーヒーを飲むという意図を以て手を動かせば、コーヒーが口に入ってきて飲み込むこと認識し、手を動かしたことはあまり認識していないものだ。

 しかし、同じコーヒーを飲む行為であっても、手を動かすことを意図すれば、手が動いたかどうかを認識する。

 

 従って、何を意図するかは、何を認識するかを左右しているといえるのである。

 

 目的や求めることと意図することが一致するとは限らない。

 

単純なことは、ほぼ目的や求めることと意図が一致するが、複雑なことや幾つかの段階を経て達成することは、一致しないことが多いのではないだろうか。

 

 人間は、目的や求めることを抱くと同時に何らかのイメージを持つ。このイメージをはっきりと持っている認識がある場合とそうでない場合とがあるが、それは大脳が認知しているかどうかだけのことであって、大脳が認知していなくても目的や求めることを持てば、同時にそのイメージを持つものなのである。

 

 自覚していようがいまいが持っているイメージに従って、意図する対象が決まり、そのイメージに従って行動して、その行動によって引き起こされる現象の中で意図する対象物に起きる現象だけを認識して、その認識によって、正否を判断しつつ、行動を継続するか終了するかそれとも行動を変えるかを判断する。

 

 ものごとをカウンターバックすれば、行動によって起きた現象の中から意図する対象物上に起きた現象を認識し、この認識したことの整合性を判断して、次の行動を継続するか終了するか変えるかを決定する。

 

 以上のように考察してみると、W(マクロとしての展望)D(行動・実行)T(テンション・接触感・感覚情報)の3つのトライアングルの連携として、我々の行動は組織的に形成しているのではないかと考えることができる。

 

 しかし、この3つが連携するためには、Wが描いているマクロがあれば、自動的にDが作動するわけではなく、意図の働きを以てして初めてDの作動が起きて、Dの作動があれば必ず何らかの現象が起き、現象が起きれば何らかの感触が生まれるが、この感触全てを認識するわけではなくて、Dの作動を起こすために働いた意図の対象物に関係する感触だけを認識し、その認識がWで形成されるマクロに影響を与えて、そのマクロを更新する。

 

 Wのもつマクロを実行するとき、意図が運動器官の動きへ向かえば、運動器官の動きを認識し、運動器官の動きによって起きる現象へ向かえば、起きた現象を認識する。

このとき、意図が運動器官の動きへ向かえば当然運動器官が作動するし、意図が起きる現象へ向かったとしても運動器官は作動するのである。

しかし、意図の向く対象が異なれば、認識するステージが違ってくるのである。つまり、意図の対象物上で起きている現象を認識するということである。

 

認識がWにおけるマクロを形成するために大きな影響があるので、意図が何処へ向かうかによって認識する対象が変わってしまうので、感覚情報が変わるというより、感覚情報のステージが変わるということなのである。

つまり、硬いや柔らかいかではなく、意図の向かう対象であるものの上で起きている現象が、硬いか柔らかいかを認識することになるのである。

 

例えば、跳び箱の練習する子供のことを考えると、簡単に飛んでしまう子供と全然跳べない子とを比べると、全然跳べない子は先生からも回りからも頑張れといわれて、この子の意図は手足の運動器官へ向かい、意図が向かうところは大脳の関与が強くなるので、手足の反射機能が阻害され益々跳べなくなってしまうのである。

一方簡単に跳べる子の意図は、手足へ向かわずジャンプする映像や着地する映像へ向かい、踏み切るときや跳び箱につく手の感触を認識する。従って段数を上げたり下げたりしても、意図の向かう先は踏み切るときや手をつく感触の強弱になるので、手足の反射を阻害するよりむしろ機能的に動くように機能するので、益々上手に跳べるようになる循環を生むのである。

 

体操選手やフィギュアスケートのような、自らの運動器官の動きを競うような種目の場合、意図が自らの運動器官へ向かいやすい。

 

内村 航平選手は、ほぼ意図が自らの運動器官へ向かってしまうことはない。練習のとき手足の動きを矯正することはあるが、一時的なもので、直ぐに動いている状態や着地しているときのイメージをするようにして、自分のフィジカルであるが自分自身を客体として俯瞰するようにしているので、意図が手足の動きに向かわず、決して手足を直接的にコントロールしようとはしないのである。

 

一方浅田 真央選手は、自信をなくしているために失敗をしたくないという気持ちが強くなってしまっているので、彼女の意図が手足の動きへ向かってしまい、直接手足の動きをコントロールする練習をしているので、練習すればするほど本番では失敗する可能性を増大させてしまっているのである。

何故、彼女は少女時代に天才的スケーターとして実績を残せたのかをコーチも自分自身も回りの専門家も全く知らない。彼女の意図の向かう対象を変えさえすれば、彼女の栄光は直ぐに取り戻せるのである。

 

我々は、意図の向かう先が、我々の人生を左右するのを知るべきなのである。

 

どんなことを目標にしたり目的にしたり理想を持ったりすることが問題なのではなくて、その持った目標や目的を実行に移すときに、意図の向かう先が客体へ向かうようにすることで、客体に起きる現象を認識するので、客体を変化させることができるようになるので、その先に必ず栄光が待っているのである。

 

勉学や思考力の向上が目標の場合であっても、意図が自分自身へ向かうことを避け、自分自身を客体として捉えて、例えば難しい数式を解く場合、どうしたら自分という人間が、この数式を解けるようになるのかを考えるというように、意図の向かう先を自分自身へ向かわずに、自分自身も第三者と捉えられる工夫が必要なのである。

 

過去に栄光にあった人が挫折や失敗によって、惨めな思いをしている人は、全てその人の意図が自分自身へ向かってしまって、認識すべき情報が認識できないために起きている症状なのである。従って、意図が客体へ向かうようにするだけで、認識する情報が的確になるので必ず好転するのである。

 

意図をコントロールすることで、得なければならない情報が得られるのであり、意図が客体へ向かわず自分自身が対象になっていれば、全てが思い込みになって客観性のない情報に惑わされているだけになってしまい、その自覚さえ持てないスパイラルに陥ってしまうのである。

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