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AM 10:30 Temperature 4℃  Humidity 70%  雨  February 18,’15(Wednesday)

 昨日夕方から雨になり、今も霧雨が降っています。

 馬場は、不良コンディションになってしまいました。

 明日から九州へ出張です。従いまして、今週末は、留守します。

 九州へお邪魔するのは、4ヶ月ぶりになります。

 一年に2回ほどクリニックのためカナディアンキャンプ乗馬クラブへお邪魔します。

 その度に、新しいことを引っ提げて伺うことになっています。

 態とではなく自然に新しいことを持っていくことになる。態とではないというのは、九州へ行くために新しいことを考え出していくということではないということです。しかし、新しいこと考え出すというのは、態とです。

 未完成な私は、先進技術か先進的結果を出している優れている人を見るに付けて、そこへ達するにはどうしたらいいかというテーマで毎日を過ごしているものだから、絶えず今自分にないものや自分の劣っていることに目を向けずにいるわけには参りません。
 従って、必然的に絶えず新しい考えやプランが生まれるということになるのです。

 今までにない結果が今回のクリニックで誕生させることができれなければなりません。

 何時もそんな使命感を以て出かけていきます。





  「観念論と唯物論」

 人間は、自分の中の心的作用と環境による作用との関係性に中で、様々な変化をする生き物だ。
 人間でなくても、植物でも人間以外の動物でもこのことには例外がない。

 しかし、人間だけは長い歴史の中で、自分の中の心的作用と、外部環境とを区別して考察し、心的作用だけを主体的にする考え方を観念論または観念主義と呼び、外部環境を主体的にする考え方を唯物論または唯物主義と呼んで、それぞれに分かれて主張するようになって、互いを非難したり否定したりして派閥を形成した。

 その代表的な存在として、観念論または観念主義の派閥の旗頭は宗教家や宗教団体で、唯物論または唯物主義の派閥の旗頭は科学者であり自らをアカデミックなグループとしている学会や学校などの団体である。

 しかし、観念論者であっても多くの理解者や賛同者を得るためには、自分達の論理を立証してみせる必要があり、唯物論的手法をとらなければならない。一方、唯物論者であっても、物理学や天文学などに顕著に見られるように、観念として推論を立ててこれを立証するという手法をとるのである。

 日本の和歌や短歌を見ると、自然現象を語りその中に自分の心的模様を描写するという形式で成り立っていることを知ることができる。
 つまり、唯物論と観念論とを融合しているのだ。

 観念論と唯物論のどちらが正しくどちらが誤っているとか、どちらが先でどちらが後か、どちらが正当でどちらが邪道かを、論戦をすることに意味はないし試みようともしない文化が日本にある。

 最近、アメリカで異変が起きているというニュースを見た。

 それは、訴訟の国といわれているアメリカでは、謝罪することは極めて少ないといわれている。何故なら、謝罪することは自ら非を認めることになり、裁判で不利になるからだ。

 ところが、多く医療訴訟の現場で、「もし、最初に医療側から謝罪があったら訴訟を起こしましたか。」というアンケート調査をしたところ、35%以上の人が訴訟を起こさなかったと応えているのである。

 そこで、日本のような人の感情を大事にする文化を見習うという現象がアメリカで見られるようになったのだそうである。

 唯物主義では、絶えず変動する心的作用はあまり重要視されない傾向になる。ところが、重大な医療事故の現場でも心的作用である感情が、事態の決断に大きな影響力を持っているということが見直されるようになったという話である。
日本人なら何を今更ということだが、アメリカにとっては革新的発想なのである。

 日本が明治維新のとき、急速な革新が起きて数十年の間に近代化を果たし、当時列強国であったイギリス・ロシア・ドイツの一角に黄色人種の小国が名を連ねるようになったのである。

 しかし、近代化の荒波に晒されたのは、中国や韓国の方が先であり、東南アジアの諸国は既に植民地化されてしまっていた時代である。
 何故日本だけが、植民地化せずに近代化を果たし得たのだろうか。
 日本に近代化の嵐として西洋文化が流入したとき、何故順応できたのであろうか。

 西洋文化は唯物主義であり、唯物主義の覇権は白人にあるという定義であった。

 これは私論だが、唯物主義の中国は、パワーバランスにおいて西洋に負け、観念主義の韓国は、唯物主義を理解できずにやはり負けたのである。しかし、日本は、唯物主義と戦える唯物主義を持つと同時に、唯物主義の弱点である観念論もまた失わずに攻撃手段として持っていたから、植民地化せずに近代化を成し遂げ得たのではないだろうかということである。

 唯物主義には唯物主義で抗戦すると共に、戦時交渉や事前交渉において、何を守って何を譲渡するかの判断において、単に唯物的に国土や資本だけを争うのではなくて、観念論としての国家主権や国民の誇りを決してその代償として他国へ譲るということをしなかったのである。

 今日、物理学者は、宗教家よりももっと進んだ観念論を立証する領域にまでに達しているといわれている。

 観念論に閉じこもれば、立証を無視して客観性を失い、自らを自らの矛盾で首を絞めてしまうし、唯物論だけに限定すれば、人の感情や誇りを無視して、完成した社会は便利で合理的かも知れないが味気なく愉しくない社会が出来上がってしまいかねないのである。

 観念論でも唯物主義でもどちらかに偏った考え方を持てば、必ず行き詰まり進歩できないばかりでなく愉快で愉しい時間を創出できない。

 どちらが先とかどちらが主体であるということはなく、観念性を考察すれば必ず立証を試みて唯物的発想しなければならないし、唯物的考察をすれば、その現象によって心的作用がどのように起こったかを無視してはならないのである。

 何れにして、どちらかに偏った人や国は、厄介な人物か国になること間違いない。
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