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AM 9:25 Temperature 19℃ Humidity 30% 曇り April 9,'14(Wednesday)

 今朝は、曇っていますが湿度が高く微風があります。

 湿度が高いせいが、穏やかな空気の肌触りです。

 馬場は、ベスト状態です。

 日増しにメダカの食欲が旺盛になっています。これかは、一日2食になります。

 

 「フィールの認知」

 多様な感覚(触感・痛感・味覚・嗅覚・聴覚・しかく・その他)を感覚細胞が感知して、感覚神経によって脳幹へその情報を送信するまでは、通常健常者は自動的に行うが、この感覚情報を脳が認知するかどうかは、送られてくる感覚情報が多すぎるので、全てを認知していると脳はパンクしてしまうので、取捨選択をして必要なことだけを認知するような機能を持っている。

 しかし、この必要なだけというのが曲者で、脳が勝手に取捨選択をしてしまうので、必ずしも合理的に行われているわけではない。
 生命の危機に関するような感覚情報は、ダイレクトに運動神経が反射的に反応するシステムが備わっているので、可成りのことは機能しているものの、それでも誤作動を起こす場合がある。

 問題は、脳が勝手にする感覚情報の取捨選択である。

 この取捨選択が妥当であればいいのだが、必ずしもそうなっていないので困る。何故なら、その精神状態や性格や経験によって取捨選択するケースが多く、プレッシャーがかかっていたり、恐がりだったり、以前に恐ろしい経験をしたりしていれば、感覚情報に過剰反応してしまうし、他のことに囚われていれば、必要な情報でも無視してしまうし、苦手意識や思い込みをしていると、やることに夢中になって必要な感覚情報を全く捨ててしまうのである。

 我々は、必要な感覚情報だけを認知して、必要でない情報を無視したい。こんな都合のいいことができるのだろうか。

 つまり、感覚情報を無視しないようにすれば、必要でない情報までも取り上げてしまうのではないか、また、あまりに多くの感覚情報が送られてくるので、なるべく耳を貸さないようにすれば、必要な情報までも無視してしまうことになるのではないかということである。

 さて、我々にとって必要な感覚情報とは、どんな情報だろう。

 それは、力点における感覚情報なのである。

 勿論、嗅覚とか聴覚とか視覚などは、力点との関係性に関わらず認知してしまう感覚で、一方触感は、必要にも関わらず捨てられてしまう傾向にある感覚情報だ。
 つまり、感覚情報の種類によって、無視しやすいものとそうでないものがあり、また訓練によって、ある感覚情報だけ研ぎ澄まされるようになるものでもある。

 必要な力点による感覚情報は、日常生活では、誰でもある程度のレベルで認知している。
 特に単純作業では、無視されることは殆どない。しかし、複雑な運動や苦手意識のある運動や失敗経験のある運動やプレッシャーのかかったときの運動などは、運動そのものの成功を意識するあまり、そのときの力点での感覚情報を結果的に無視してしまうことになる。しかし、このときほど力点における感覚情報が必要なのである。

 そして、必要な感覚情報を適宜に汲み取れるようになれば、その情報以外の感覚情報は、結果的に無視するようになって、必要な情報を吸い上げる必要でない情報は無視するという都合のいいことになるのである。

 力点における感覚情報とは、手足を動かしたときの手足の先端であり、腰や頭や肩でも、その頭や腰や肩で、視覚でも嗅覚でも聴覚でも、そのものから見える聞こえる臭うところが力点である。

 単純な運動であれば、誰でも精神を特段集中しようとしなくても、自然に感覚情報を認知して、その情報に基づいて運動神経を駆使して、結果を達成する。例えば、荷物を上げ下ろししたり、階段の上り下りをしたりするようにである。

 従って、我々は、運動するとき、単純で明確に思えるような結果を想定する必要があるということだ。

 例えば、乗馬であれば、ワンステップとか首を曲げるとかで、スピンをしているときもランダウンしているときもサークル走行しているときも、推進していれば要求するワンステップをしたか、レインを引けば馬の首が曲がったかというように、推進やレインコンタクトの力点で最小単位に求めることを明瞭にイメージすることである。

 これが、運動のミクロの結果(目的)に該当することだ。

 総合運動は複雑なので、力点における感覚情報より、サークルやランダウンやスピンのときに、その運動を一生懸命にやろうとしてしまうので、力点での感覚情報を無視してしまう傾向にあるから、どんな総合運動をしているときも、その中の力点で要求していることの最小単位の結果を必ず明瞭にイメージすることで、これができれば、特段意識を集中しようとしなくても、必然的に力点でも感覚情報を認知することができる。

 経験則で感じていると思っていることと、感覚情報を認知していることとは違う。

 ゴミ籠目がけて紙くずを丸めて投げ入れる。

 1投目は、届かず。届かなかったので、2投目は、もう少し遠くを目がけて投げる。すると今度は、籠を通り越してしまった。そして3投目は、その中間を目がけて投げる。すると今度は、籠に命中する。

 1投目は、籠を目がけてあるパワーで投げると、届かなかった。2投目は、もう少しパワーを強くして投げると、今度は飛び越えてしまった。3投目は、1投目よりは強く2頭目よりは弱いパワーで投げると、籠に命中した。

 前者は、経験則で、後者は、力点における感覚情報に基づいた運動だ。

 前者は、狙いを経験則で変える練習していて徐々に命中率は高くなるが、籠の位置が変わるとまた同じように練習しなくては、命中しない。後者は、丸めた紙くずが指先離れるときのパワーを感知しながら練習しているので、籠の位置を変えても最初から命中するようになってしまうのである。

 後者においても、1投目2投目の経験則ではないかと反論する人がいるかも知れない。厳密には、経験則を全く活かしていないとはいえないが、前者の経験則との違いは、力点での力の入れ具合と何処まで丸めた紙くずが飛んだのか(ミクロの結果)を検証しているかどうかである。

 前者は、経験則で狙いを変えているだけで、力点である指先での感触を全く気にしていないので、籠が一定のところにいてくれさえすれば、多分命中率は練習に従って高くなっていくが、籠が一旦動いてしまうとそれまでの経験則は通用しないから、同じように経験則を作らなくてはならないのである。

 ゴミ籠目がけて紙くずを投げ入れるようなことだと、殆どの人が経験則と力点でのテンションを同時に気にしながら練習するに違いない。しかし、ローピングしたりピッチング(野球)したりとなるとどうだろうか。

 ピッチングのコントロールの精度が上がらない人やローピングのキャッチングの精度が上がらない人は、経験則を重ねるだけで、感覚情報を基盤にして練習をしていないからで、それはミクロの目的を明確にイメージしようとしないからなのだ。

 この場合、ピッチングであれば、ボールが指先螺からどんな離れ方をするかであり、ローピングであれば、スィングしているときのロープの軌道を明確にイメージするということである。

 最小単位の結果を想定すれば、結果を明確にイメージしやすくなり、結果を明確にイメージできれば、必然的に力点における感覚情報を認知するようになるのだ。

 運動の結果を単純化することは、そう容易なことではないが、力点で求めることは何かと考えれば、意外と単純化できる。

 つまり、力を入れているところで、最小限の結果は何と求めているのかに目を向けさえすれば、単純化できるのである。

 感覚情報を認知するために、意識を集中しようとしないのに自然に認知できるようなれば、自ずと必要な情報を適宜に認知することができるようになり、それはミクロの結果を明確にイメージすることによってでき、精神を集中することによって感覚情報を認知するようにすれば、精神状態に認知度が大きく左右するし、必要なことを適宜に取捨選択できるようにならず、必要以上や以下に認知してしまうことになるのである。




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