Arena Condition

AM 10:05 Temeprature 16℃ Humidity 68% 雨 April 30,'14(Wednesday)

 今日は、一日中雨のようです。気温もこの時期には少々低めです。

 馬場には、大きな水溜まりが二つできてしまいました。

 さて、6月のコングレスは、PRBC始まって以来のエントリー数になりました。

 勿論、これまでの記録にはまだまだ程遠いですが、冬の時代が長かったと思うか短かった思うかは人それぞれだが、長いか短いかの問題ではなく、何を信じてこれまで続けてきたかが重要でしょう。

 「いいものは、いい」という一言です。

 息切れした人もいいますし、スタートしなかった人もいますが、多くの人が心の中にこの一言を抱いて、目の前の問題に立ち向かって生きてきたかに尽きます。

 誰かがやってこなかったら、なくなってしまう。自分は都合がつかない理由があって参加できないが、誰かがやってくれるからなくなりはしないだろうと高をくくって、何時か都合がついたときに参加すればいい。

 しかし、みんなこのように思ったら、直ぐに消え失せてしまうのであり、誰かが参加できない理由を見つけいようがいまいが、自分一人になっても続けようと思っていた人がいたから、再び今日を迎えることができたのは間違いない事実です。

 今、何故この大会が、再び活況を呈する兆しが見えてきたのかをしっかりと検証して、続けてきた人達は自らの志に確信と自信を確認する必要があるのではないでしょうか。

 偶然に今日があるわけではない。

 誰かが、何かを思って続けてきたから、今日を迎えることができたのであり、私は、志なくして今日を迎えることができたとは思わない。

 できない理由や続けない理由は、誰でも見つけることができる。優秀な人は当然、どんなに愚かしい人でも、頭のいい振りをした馬鹿な人でも、才能のない人でも、普通の人でも、多くの経験を持った人でも、容易にできる。

 しかし、誰にも、才能のある天才でも、努力を惜しまない僧侶でも、続けて成功する理由を見つけることはできない。唯「いいものは、いい」という一言を愚鈍のようにひたすら信じて、目の間の問題を汗水流してクリアしていくだけだ。

 まるでゴールのないマラソンをしているようなもの。

 これまでの過程で、色々な知恵を授けてくれる人が沢山いた。

 工夫や手法を、もっと有効な手段を、しかし、そんなものは聞かない。そんなものは、何の役にも立たないし、誘惑の一つに過ぎない。

 倒れそうになっても、苦しくても、もう1歩もう1歩肢を踏み出し、肢の歩みを止めないだけのことで、その肢の歩みの苦しさから逃れる方法などこの世にはないのであり、どんな工夫も手段も、この肢の歩みの艱難を軽減するようなものはない。

 もし、もっと有効な、もっと容易な方法を採用して、肢の歩みの艱難から逃れようとしたときに、そのときに成功を放棄することになる。

 私は、自分の生命が続くかどうかは、誰にも分からない。私のマラソンは、自分の命の長さとの競争のような気がする。

 「いいものは、いい」を証明するのが早いか、命が尽きるのが早いか。唯それだけのことで、命が尽きる前に証明したいものだが、今日まで来てみると、それもどうでも良いことのように思える。

 もっといいものは確かに存在することは分かっているので、それを追いかけていくだけで、充分生き甲斐があるし、幸せだ。

 つきあわされる人には、いい迷惑な話です。



 「人をつくらば、馬を作れ。馬をつくらば、人を作れ。」

 もし、パーフェクトな馬が存在すれば、ライダーは、そのパーフェクトな馬から様々なことを学び、訓練することなしに上達する。
 もし、パーフェクトなライダーが存在すれば、そのライダーが騎乗するだけで、馬は様々なことを学び、訓練することなしに人とコミュニケートできてライダーの要求に応えるようになる。

 インストラクターの必要性は、パーフェクトな馬が存在しないからで、トレイナーの必要性は、パーフェクトなライダーが存在しないからなのだ。

 つまり、パーフェクトな馬が存在すれば、インストラクターは必要なく、パーフェクトなライダーが存在すれば、トレイナーは必要ないのである。

 しかし、この世にパーフェクトといえるものは存在しないことが当たり前過ぎるくらいの常識だから、インストラクターはその当たり前の常識によって、ライダー(生徒)の欠点を補うように指導するし、トレイナーもまた、馬の欠点を補うようにトレイニングしようとする。

 本来インストラクターは、パーフェクトな馬が存在すれば必要ないものだという視点で指導に当たるべきで、もしパーフェクトな馬が存在すれば、ライダーはできることを以てできることを学び、できないことによってできないことを学ぶのであって、できないことによって「できる」を学ぶことはなく、できることによって「できない」を学ぶことはないのである。

 従って、馬の場合も、できることを以て「できる」を学び、できないことを以て「できない」を学び、できることを以て「できない」を学ぶことはなく、できないことを以て「できる」を学ぶことはないのである。

 以上の論理に基づき、インストラクターはどんなに初級者であっても、できることがあり、そのできることの一つを、そのライダーが意図的にできるということを学ぶことができるように指導し、また、できないことを以てできないということ学べるように指導すべきであって、できないことをできるようにとか欠点を補うようにという指導は、百害あって一利なしということだ。

 当然ライダーは、如何に馬のできる1ステップを、馬自身ができると確信するように乗るべきであって、完成馬であっても未熟な馬であっても、できる1ステップからでしか導くことはできないのである。

 できないことや失敗を繰り返すことは、できないことや失敗することを学ぶということであり、できることや成功を学ぶことではない。

 できる最大限を見極めて、その精度を上げるべく、成功を繰り返すことで、「できる」を学ぶことができるのである。

 できることを見つけるためには、運動を最小単位に分解することで、最小単位に分解するとは、往復運動(2拍子)に分解することだ。
 どんな複雑なことも高度なことも、往復運動や2拍子のリズムに分解でき、それが最小単位の運動でありシンプルな運動で、誰もがその精度の違いこそあるもののできることなのである。

 ないものの存在をときにあるものとしてものを見れば、見えてなかったものを見ることできる。

 世の中にパーフェクトは存在しないが、不可能は存在する。従って、存在するものは必然性があるので、取り立てて考える必要はなく、むしろ存在しない存在を考察することによって、存在するものをより明確にすることができるのではないだろうか。









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