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Arena Condition

AM 9:35 Temperature 19℃ Humidity 31% 快晴 November 8, '13(Friday)

 結局しっかりと雨が降っちゃいまして、馬場は不良になってしまいました。

 今日一日ではあまり回復は望めません。仕方ないので、土曜日はあまり良いコンディションにはならなくても、馬に乗らなければならないでしょう。

 この季節は、同じ天気が長続きしません。




 「身の置き所」

 スクワッドが、毎日300回になった。

 毎日夜に、スクワッドをしている。
 最初は10回から初めて、20回30回と増やしていった。そして今は300回を超えたのである。300回を迎えるとやがて、400回を何れやることになることを予期してしまう。
 10回のときは20回を、30回のときは50回を、そして100回になったときは、200回を予期して、やっとの思いで300回を制覇すると、同時に頭の片隅で400回を予期してしまう。

 筋肉トレーニングは、耐えず負荷を増やしていかなければならない。そうしないと筋力をアップすることができない。
 持久力を増強する場合は、同じ負荷を繰り返せばいいのだが、筋力をアップしたければ、少しずつでも負荷を増やしていかなければならない。

 200回になった時に、100回は簡単になって、300回になった時は、200回に苦痛がなくなると思っていたが、今のところ300回になっても、最初の100回が一番辛くて、止めてしまおうかという誘惑に一番かられるのが100回を超えるときなのである。
 そして不思議なことに、200回を超えたときには、筋肉疲労は最高潮に達していても、最早300回を超えずに止めてしまおうとは一切思わないのである。

 毎日やっていると、精神的疲労が敵になる。

 今日は金曜日で明日から一寸忙しいから休もうかとか、今日は何頭も馬に乗って疲れているから休もうかという誘惑にかられるのである。そして、そのナマケモノの誘惑を断ち切って、スクワッドを始めても、最初の50回60回のときに、一番止めてしまおうかと誘惑する魔物の力が最高になるのである。

 その魔物の誘惑を振り切って100回を超えてしまうと、今更止められるかという気持ちになって200回まで頑張れるのである。そして不思議なことに、200回を超えたときに、おまけに1回増やして201回をやって、翌日に202回にして、その翌日に210回にして、更に翌日に220回、2030回250回2060回と増やし、260回の翌日は280回、その翌日に300回、そしてその翌日には301回と増やしてきたものだから、200回から300回へ向かうときの精神状態は飽くまでおまけという感じで、辛さを感じないのである。
この感覚は、一寸不思議だ。

 始めから、おまけということにすれば、最初の100回目で感じる辛さがなくなるのかも知れない。しかし、中々おまけという風に思うことはできない。

 こんな精神の狭間でいる自分をしみじみと振り返ってみると、何時も瀬戸際にいるように自分から仕向けてしまう癖があるのではないだろうかと思う。

 誰でもこのように感じたり考えたりしながら生きているのだろうか。

 境界線をその身に置いて暮らしてしまうのが、私という人間なのではないだろうかと思うのである。

 スクワッドで、100回でも200回でも300回でも、その回数の中にいることもできるが、私は、100回を迎えれば101回との境界線に、200回を迎えれば201回との境界線に、300回を迎えれば301回との境界線に身を置いてしまうのである。

 多分人によっては、100回の中に身を置くことができ、101回へと思考を及ばせるのではなく、100回に中での思いに思慮しながら生きるということもあるのかも知れない。

 できるようになっても、更にレベルの高いところを目指せば、できるできないの境界線を否応なく意識する。

 スクワッドが300回に達しても、100回が辛く感じ、できるようになっても直ぐに高いレベルを目指して、境界線を意識下において身を鍛えることは正しいのだろうか。

 いつまで経っても辛さが消えないのは、境界線に身を置くということ自体に必然性があるのではないだろうか。

 つまり、スクワッドを100回から200回300回へと増やすのではなく、如何に100回の中で負荷をかけて、100回に辛さや面倒さが消えるまでの筋力を付けると考えるべきなのではないだろうか。
 やがて100回をこなすのに何ら辛さを感じなくなるまでに鍛えることによって、やがて100回に充実感を得るようになったり、200回300回を筋肉自体や感覚が増やしたりしたいという訴えが起きてくるまで、鍛えることが重要なのではないだろうか。

 以前にも、できないことを目指すときに、できないことを繰り返して失敗の経験を積んでも致し方なく、今できることに目を向けできることの精度を上げるべく訓練することが重要だといったことがある。

 如何にもその通りなのではないだろうか。

 多くの人が、境界線に身を置いて訓練をしようとするから、忍耐や努力を要求され、失敗の繰り返しという愚作に陥ることになるのであり、如何に筋力の鍛錬でも技術の習得でも、できることの精度を上げるべきで、スクワッドでも100回を難なくできるように訓練すべきで、300回を目指すのは筋肉自身が訴えてくるまで待ち、技術の修練においても、できないことへ挑戦するような境界線に身を置くのではなくて、今できることの精度を上げて、そこで鍛えた上げた感覚が、次のレベルへと挑戦するように訴えかけた後に、挑戦すべきなのである。

 さすれば、筋力の鍛錬も技術の習得も、更に学問の探究も、満足と充実と進歩の連続になり得るのである。

 至りて福を成すということは誤りで、勿論至りても福を成すことはできるが、本来道半ばにして福を成すことができ、道半ばにして福を成すことができなければ、至りて極限の福を成すことはできないということなのである。

 つまり、身の置き所を境界線に置くのではなくて、今のいるところやレベルで、その精度を高めたり力を高めたりすることにおいて、充実と満足の中で進歩することを目指すべきなのである。
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