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AM 8:50 Temperature 25℃ Humidity 31% 晴れ May 27, '13(Monday)

 夏の空です、雲が幾つも浮かんで気温も高く、日向ではすこしだけじりじりします。

 今週は、水曜日と木曜日に一時雨のマークがついていて、その後も曇りになっています。一時雨がどれほどの雨量があるのか分かりませんが、コンディションが悪くなるほど降ってしまうと、回復があまり良くないかも知れません。

 馬場は、ベストコンディションです。




 「得意科目」

 小中高の勉強は、理科・社会・算数・数学・国語・古典・日本史、世界史、物理・地学・音楽・体育など様々な分野に亘って科目がある。
 その中で、音楽とか歴史とか数学とか国語だとか、生徒によって得意科目があったり、嫌いな科目があったりする。

 自分のことを振り返って見ると、数学が好きで、理科があまり好きではなかったように思う。また好きでなかったのがあるときからすきになった科目もあったり、その逆に嫌いになったり不得手になったりしまったこともある。

 しかし、どうも学校に行っている間、必要性を感じて勉強をした覚えがなくて、学校では勉強するものという観念で勉強していたので、得て不得手ができてしまったのではないかと思う。
 もし、必要性を実感して勉強していたら、「得意」「不得意」とか、「できる」「できない」などという偏りは出なかったのではないかと思うのである。

 つまりできる人は、どんな科目でもできて、できない人はどんな科目でもできないと思う。

 色々なスポーツの分野でも、ディフェンダーやストライカーなどと区分され、球技や格闘技やティームスポーツや個人技などと様々な種類のスポーツがあって、それぞれに得意な人とそうでない人がいるものだ。

 本当にそうなのだろうかと思う。

 自分のことを振り返って見ると、数学が好きで、国語があまり好きではなくて、理科もあまり好きな方ではなかった。しかし、書道は中学までは好きではなかったが、高校に入って好きになった。音楽は好きではなくても音楽史は好きだった。
 それは、必要性を感じて勉強してなかったので、そのときの先生の教えるポリシーが共鳴できないと好きではなくなり、好きでなくなると自然に勉強も熱心ではなくなるので、成り行きで不得意になってしまったような気がする。

 特に英語科目は、当時中学になって始まる科目で、最初は、得意であったがそのときの英語の先生が依怙贔屓する人で、贔屓している人しか授業時間に指して答えさせなくて、指される人は、私のクラスで3~4人であったと記憶している。
 そして、その3~4人の中に私が入っていて、最初は気付いてなかったが、良くできた方であったが、友達からそれを指摘されて「お前は、贔屓されているぞ」といわれて、そんな不公平さがとても気に入らない正義感の強い少年だった私は、その先生に指されて、答えが分かっていても「分かりません」と答えるようになってしまった。
 すると徐々に指されなくなって、贔屓されるメンバーから外れていった。その後、その先生は1年間私のクラスの英語の担当をしてくれたが、二度と指されることはなくなったのである。

 それが原因で、英語が嫌いになって、結局不得手になってしまったのである。勿論、授業中に熱心に先生のいうこと聞かなくなったせいである。

 書道も、中学までは、墨で指が汚れたり、書道の道具を授業のある日に学校へ持っていったりするのも嫌で、特に授業の残り15分位前に作品を提出するために、清書をしろといわれて提出するのだが、何度清書しても気に入るものができなくて、結局妥協して作品を提出することになるのが、このことがやり場のない怒りになっていたので、中学までは本当に書道の時間は憂鬱であった。

 ところが、高校に入って、音楽・美術・書道の3科目の中から一科目選択しなくてはならないために、相対的消去法で、音楽と美術が外れて、書道を選択せざるを得なかったのである。
 そして、書道の授業の最初の日にやってきた先生は、痩せぎすの女の先生で、特に若いわけでもなくブスとまではいわないが美人というわけでもなかったが、「書道は、習字とは違います。芸術ですから、10人いたら10の書があって良いのです。兎に角、自分が書きたい字を書けばいいのです」とこの先生は、授業の初日にいったのである。

 この言葉によって、一気に心が晴れ渡ったような感動を覚えたのを、今でも忘れないほどである。それで、一気に書道が好きになって、授業時間に書いた作品のどれでも提出できるし、態々清書する必要すらなくなってしまったのである。

 こんな経験を持つ私は、得意不得意というものないという思いに至ったのである。最初の出会いで、先入観が決まってしまって、自分は苦手だとか不得意だとかを決めつけているのではないかと思う。

 できない人に、得意分野はないし、できる人に不得意分野はないし、できる人とかできない人かという括りすらないのではないかと思うのである。

 できないとか苦手だとか決めているのは、最初にどんな印象を持ったかでほぼ決めているし、一旦苦手だと思うと、自分に暗示をかけるから益々苦手だとか嫌いだとか思い込むから、精進しないし避けるようになり、ドンドン苦手意識が確定してしまうのである。

できない人は、どんな科目でもできないし、できる人は、どんな科目でもできる。
 
 問題は、何故苦手になったりできなくなってしまったりしたかである。

 できなくなったとは、最初からできなかったのに、何故それは、できなくなったというか。それは、始めた時にできなかったと思うのか、最初だからこれくらいできたと思うのかが問題だからである。

 最初にできないという認識を持てば、ドンドンできないというスパイラルに入り、最初に一寸でもできたというところに目を付ければ、得意になる循環に入ることができるのである。
 得意不得意もこんなことで決まってしまうのであるから、本来は得意不得意などというものは、思い込みに過ぎないということなのだ。

 運動音痴というものも然りで、できないとか不器用だとか、どうして良いか分からないとか、否定形で自分の成果を評価することこそが、苦手意識を作り、不得意だという認識を固定化して、できないスパイラルに嵌ってしまう。

 できるところを見つける。できたことをもって喜ぶ。何ができないかを何時も探す。

 そして、苦手意識が生まれたのか、何故分からないのか、何故上手くならないのかの原因を見つけて、同時にできるようになる人の考え方や目の付け所などの特徴を、尋ねて知る必要があり、これを実行すれば良いだけのことなのである。

 苦手意識や、できないことで、思考を停止してしまうのは、益々できない自分を作っている元凶なのだ。
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