FC2ブログ

Arena Condition

AM 10:10 Temperature 12℃ Humidity 68% 雨 April 2, '13(Tuesday)

 今は雨が降っていませんが、明日一日まで雨マークになっています。

 馬場は、やや重状態になっていますが、これから雨が降るので不良コンディションになることでしょう。

 それでも冷たい雨と云うより、暖かさがあります。

 外にいても苦痛ではありません。




 「デジタル情報とアナログ情報」

 今やテレビもヴィデオもカメラもデジタル化されて、アナログというと古いという代名詞にしなってしまった感がある。

 デジタル方式は、緯度と経度で線引きされたある地点を特定するように、情報を特定化というか限定しやすい特徴があって、これらの機材で撮影した映像や画像は鮮明なのである。

 デジタル方式は、地点を限定して特定することに優れているものだが、点は、長さも面積も体積も有していないので、マクロとして対象物を特定することに難点があり、何らかの問題で何処かの地点の情報が欠落するだけで、情報全体が繋がらなくなって、成立しなくなってしまうのであり、テレビ映像が鮮明になったにも関わらず、少しの電波障害が起きるだけで画面が真っ暗になって、映像を見られなくなってしまうということが頻繁に起きるのである。

 アナログ方式は、点で地点を特定するのと違い、長さを有する線や面積を有する面や体積を有する立体として捉えるので、マクロとして対象物を特定するのである。

 アナログ方式は、地点の特定は、他の地点からの距離(間隔)で特定しているので、多少の情報の欠落があっても全体のベクトルが特定されているので、画像が鮮明ではなくなるが、画像が全く見られなくなるということがないのである。

 今のところ人間が作り出した機材には、アナログ方式とデジタル方式の互換性はなくて、デジタル情報をアナログ方式で認識することはできず、また、その逆でアナログ情報をデジタル方式で認識することはできない。

 しかし、人間は、デジタル方式とデジタル方式の両方を機能として備えているのである。
身近なものでは、漫画と小説である。
 同じようにあるストーリーを描写するものだが、漫画はアナログ方式で描き、小説はデジタル方式で描写しているのである。
 幼児が「トムとジェリー」という台詞のないアニメーションを見て楽しむことができるのは、アナログ方式で描写しているからで、描かれているものをそのまま情報として受け取れるから、言葉や文字を理解できない幼児でも、理解できるので楽しめるのである。

 一方デジタル方式で描かれている小説は、字の読めない幼児では理解できないし、台詞の多いアニメーションでは、幼児はまだ言葉というデジタル情報を理解できる知識を持たないので、楽しむことなど到底無理なのである。

 つまりデジタル情報は、アナログ情報に変換する機能を持つものだけに理解される情報なのである。

 つまり、英語を理解できない日本人には、英語で書かれた小説は理解できないし、その逆に日本語と理解しないアメリカ人には、日本語の小説は理解できないのである。しかし、台詞のない「トムとジェリー」ならば、万国の人達に理解させ楽しませることができるのである。

 デジタル情報は、そのままでは単なる符号でしかないのであり、情報を特定する点では優れている方式だが、特定するとは必要のない情報を削除しているということであると同時に、アナログ情報に変換してこそ意味を成すものなのだ。

 アナログ情報をデジタル情報に変換をして、デジタル領域で分析したり応用したりして、その深層を確定したり進化させる研究成果を作り出したとしても、最終的にアナログ化して表現することができなくては、意味を持たないのである。

 我々の認識は、外部情報を長さや面積や体積によって特定するアナログ方式で行っているので、完璧な情報でなくても脳が欠落した情報を補完して、対象物を特定するようにできているのである。

 ところが、主に大脳がそのアナログ情報をデジタル情報化して特定しようとする機能を持ち、第三者と情報を共有することができる。つまり、コミュニケーションすることができるのは、情報をデジタル化できるからなのである。

 特に日本語は、表意語でありボキャブラリーが英語などと比べて破格に多いので、アナログ情報をデジタル化しやすく、限定的特定をすることができるので、デジタル情報に置き換えて第三者と対象物を共有することで、コミュニケーションを成立させることができるのである。

 しかし、英語などの表音語は、そもそも言葉自体はデジタル情報であるにも関わらず、ボキャブラリーも豊富ではないし表音語であるという事情から、ジェスチャーや抑揚や表情などのアナログ情報を言葉と一緒に表現することで、コミュニケーションを成立しているのである。

 つまり、日本語は、コミュニケーションツールとしては、英語などの表音語と比べものならないくらい完成度が高いといえるのである。

 ところが、情報をデジタル方式で認識するということは、限定的に情報認識するから、極めて狭い柔軟性のない情報として認識することになる。一方アナログ情報は、マクロとして情報を捉える方式なので、限定的に情報を特定していない一方で、多少の誤情報が混じったり情報の欠落があったりしたとしても、全体的に支障なく情報を特定することができるのである。

 また、アナログ方式の特徴は、10ページの漫画を文字情報である小説とすれば、その数十倍ものページが必要となることで分かるように、アナログ方式の方が、一定に領域に包含される情報量がデジタル方式に比べて圧倒的に多いということなのである。

 人間の視覚や聴覚や嗅覚や触覚や味覚などあらゆる感覚器官は、外部情報をアナログ情報として捉えて脳幹へ伝達する。そしてそのアナログ情報を認識する段階で、大脳が介在しなければ、そのまま小脳でアナログ情報として認識されるが、大脳が介在すれば、デジタル情報に置き換えられて認識されることになるのである。
 このときデジタル方式で情報を認識するから、あまりに情報量が多いので必要最小限に情報を限定してデジタル化することになる。

 つまり、アナログ情報をデジタル方式で認識してしまう人は、認識という元データそのものが可成り情報量を少なくしてしまっている状態で持つから、その後に再現しようとしても、元データの情報量が少なすぎてアナログ方式に再変換することが上手くできないという現象が起きるのである。

 外部情報は、認識された時点で、その情報が生の情報だと思い込むのである。

 特に問題は、デジタル情報として置き換えられて認識されてしまうと、そのときまでアナログ情報だった情報は、全く消え去ってデジタル化してしまい、再びアナログ化して表現されるときは、脳が持っている知識や想像力によってその記憶(保管)されていたデジタル情報をアナログ化するのであって、もとのアナログ情報に復元されるわけではないのである。

 アナログ情報を認識する場合、デジタル処理するということは、処理する側の人間の能力に大きく左右されるということになる。

 アナログ情報をそのまま認識するにしても、その人の能力に左右されないわけではないが、情報そのものに長さがあるということは、ベクトルを持つわけであり、面積や体積を持つということは、情報に角度や質量が伴っているわけだから、情報を受ける側の人間によって情報を改ざんし難い性質があるといえる。

 アナログ情報をアナログ情報として認識すれば、その後に理解や正体を特定するために、デジタル情報に置き換えたとしても、再び表現しようとするときに、認識がアナログ情報であれば、復元性が高くなるのである。

 何故なら、アナログ情報をそのまま認識さえしていれば、元データが認識したデータなので、情報量を少なく限定していないので復元性が高くなるのである。

 アナログ情報をそのままアナログ情報として認識するには、感覚器官や小脳などの訓練が必要で、デジタル情報化して認識するには訓練は必要ではなく、知識によってできるから本を読んだり講義を聴いたりすることで可能になる。

 しかし、デジタル情報は、長さも面積も体積も持たない情報の点でしかないので、チェック機能を持つことができず、つまり誤情報か誤認かを確認することができない情報認識なのである。

 情報の認識時点において、アナログデータのまま認識するには、擬音で表現されるままに感じたままを先ず認識し、その直後の現象(結果)を見て、結果とアナログデータとを関連づけて記憶したり理解したりするようにすれば、自然にできるようになれるのである。


 聴覚や嗅覚や触覚などは、デジタルデータにしにくいのに対して、視覚は一番デジタル情報として認識しやすいといえる。

 特に、音はアナログ情報をそのまま認識するが、それでも小鳥のさえずる鳴き声は、日本人はポエム(詩)として左脳で聞き、英語圏の人は、ノイズ(音楽)として右脳で聞くのだそうだ。
 つまり、日本人は小鳥の鳴く声もデジタル情報として認識し、英語圏の人は、アナログ情報として聴いているということである。

 自然界の情報は、騒音や地震などの揺れや気温やものを触ったときの触感や香りと云ったものは、全てアナログ情報であり、本や人の話はデジタル情報である。

 何れにしても認識の段階では、デジタル情報としてもたらされる本の文字情報や人の話であっても、勿論アナログ情報も、アナログ情報として受け取るべきなのである。

 本に書いてあることでも、そのことを理解しようとするとき、物語っている情景を、思い浮かべて認識するように努めたいものである。

 情報認識は、できる限り何らかのフィルターを通したり限られた能力や知識に縛られたりすることなく、認識したいものである。
 しかし、言葉にして認識しようとすれば、当然自分の技量や知識の範囲で認識しようとするから、同じ情報であっても、その人なりの能力や技量によって認識してしまうことになるのである。

 アナログ情報をそのままアナログとして認識するには、例え経験や知識や想像の範囲でなくても、認識することはできるのである。

 当然人間は、ものごとに考察を加えたり理解や分析して、その正体を特定したりその応用として発展形を創造したりするには、認識した情報をもとに展開するものだが、その大本が情報認識なのである。

 その情報認識がより正確であるものでなければ、その後の考察は、全ての前提条件が崩れるわけだから、水泡に帰すことになるのである。

 従って、我々は、アナログデータをできる限りそのままアナログデータとして認識しなければならないのである。その認識がアナログデータのままだとしてでも、正確である保証はないが、アナログデータのまま元データを認識していれば、その後にデジタル化したりそのデジタル化された情報をもとに考察したりしたとしても、元データと検証することになるから、認識精度も高くなると同時に分析考察能力も平行して、能力を高めることができるのである。

 その結果生み出されるのが、名人であったりマスターと呼ばれたりする人達なのである。

 情報をデジタル方式で認識すれば、その認識の段階で、無限にある情報量を100とか10と1とかに限定して、該当する情報以外は無視し捨てて、元データとすることになり、アナログのまま認識すれば、認識の段階(元データ)において情報の限定化をしないので、認識する人の技量や能力に関わらず、そして元データをどれほど詳細に認識しているかどうか関わらず、全ての情報が包含された状態で認識するのである。
 従って、将来その人が上達したり能力が高まったりしたときに、もう一度の自分の認識を掘り起こせば、隠れていた情報を元データから掘り起こせるのである。

 昨今のデジタルカメラで撮った写真や動画は、元データが情報量を限定して作られているものだから、将来もっと技術が進化したとしても、復元性を高めることはできないのである。

 しかし、アナログ方式で取られた映像は、復元技術が高度化すれば、元データはそのままなので復元性を高める可能性を持っているのである。
スポンサーサイト



プロフィール

eldorado ranch

Author:eldorado ranch
eldorado ranch
Arena Condition

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2ブックマーク
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カレンダー
03 | 2013/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード