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AM 9:45 Temperature 11℃ Humidity 70% 雨 March 25, '13(Monday)

 小粒の雨が降っています。ずっと降り続けるかどうか分かりませんが、今日一日降ったり止んだりのようです。

今のところ馬場良い湿り気で、ベストコンディションですが、これからどれ位に雨量になるか心配です。

 世の中では、桜が満開なので、この雨で花びらを落ちてしまうのかな。

 

 「意識的行動」

 人は、慣れていることや容易くできることとなると、無意識に体が動いてそのことがやれてしまうものだ。

 ところが、困ったことや中々できないことにぶつかっても、一応やろうとしていることは意識しているとしても、手足の動きなど全てに意識を傾注してやっているわけではないし、どんなことをやってどんな結果を得たいのかを意識してやっているわけではない。

 やっている内にできてしまったときに、何をどうしたからできたのかが分からないし、何をしたときにそれまでできなかったのができるように変化したのか、その一瞬が記憶にないのである。

 人はある結果を想定して、体を動かしている。
 そして中々成功せずに、失敗を繰り返しているときに、これをすればこんな道理があって、成功するはずだと思ってやる。ところが上手くいかなくて失敗する。すると、このやり方では、上手くできないことを学習し、何故上手くいかないのか、またそれまで考えていた道理に、何か矛盾があったのではないかと思う。

 更に、その道理の矛盾を探し出して、矛盾のない道理だと考えられる方法で試みる。これを繰りかえす内に道理に適った方法を見つけ出して、想定した結果を導き出すストーリーが積み上がるのである。

 ところが、最初に何らかの道理や定説といわれていることを見聞きして、挑戦してみたときに失敗して、その失敗が納得できないという気持ちを持つことがなく、自分が初心者で上手くないからできなくて当然だと思ってしまう。
 失敗を当然だと思うから、これでできるはずだという道理に疑問を持つことはないし、できないことの矛盾を感じることはない。
 できないのは、自分に責任があると思い、夢中になって何時までも同じやり方で失敗を繰り返すのである。

 しかし、自分の責任だと思っているにも関わらず、何処に問題があるのか、例えば道理に適った方法でやっているのに失敗したのか、やろうとはしているけれどできないので失敗しているのかについて探ってみようとは思わないのである。

 上手くいかないのは、自分が未熟だからと思っているから失敗をするといいう認識を持つ。

 この未熟という言葉が、原因究明を遮断する威力を持っているのである。

 未熟という言葉は、色々原因究明した結果、最終到達点として未熟という結論だから、未熟は分析しようがないと思い込むのである。

 未熟とは、熟成前ということだから、このままの状態を続ければ徐々に熟していくという連想をしてしまうのである。

 そしてあるとき、偶然できたときでも未熟から脱出して、つまり熟成したわけだからではないかと認識して、何かを変えたからできるようになったとは認識しないのである。

 道理を以て試みて、それが失敗に終われば、その道理に矛盾があるのではないかと思い、矛盾がないとしても、矛盾のないようにやれていないと思い、やれていないとすれば何がやれていないのか、若し矛盾があるとすれば、何処に何がという疑問を持つ、そしてその疑問を解消すれば、必ず成功すると思うのである。

 この思うということが、意識であり、できてもできなくてもある認識のもとに起きることになるから、成功までに無数の失敗を繰り返しても、その過程に意識が介在してそのストーリーを展開するから、幾つかの成功を体験すれば、それなりに方程式が出来上がるのである。

 成功しても失敗しても、本人の意識が介在しなくては、成功を再現することもまた成功自身も偶然の産物でしかなく、人生そのものが偶然の産物になって仕舞いかねないのである。

 大きなスケールで自分の人生を振り返れば、全てが偶然の産物でしかないのかも知れないが、一コマ一コマを意識的に生み出すことができればと思い、そのために道理を以てことに望み、失敗でも成功でもその道理の正当性を追求する。

 時にはやってみないと分からないというケースでは、少なくてもりゆうはわからないという認識のもとにものごと試して、失敗であっても成功であっても、何らかの道理があったのではないか、必然性があったのではないと考えて、どんなときでも自分に説明することを怠らない。

 未熟という言葉を使わないことである。

 私は、未熟と熟成の違いを追究して、未熟という言葉が最終結論ではないので、未熟という言葉を使ってもその弊害はない。

 私は、一回の運動毎に、その一回のストーリーを自分に説明することを怠ることはない。

 例えば、ローピングでも、一回のスローイングでも、体の何処にテンションを感じて、指からロープが放れる瞬間にどんな感覚を得たのか、そして結果は自分のやったことや感じた感覚とどのように結びついたかを、次のスローイングまでに説明を自分にして、納得できればいいし、何得できなければ更に分析をする。

 意識的行動と無意識的行動との割合は、多分1:9ぐらいのことらしいが、その割合を変えようということではなくて、無意識的行動も自分に説明をしようとするだけのことで、無意識的行動も何らかの必然性やそれらを誘引する要因が働いたから起きていると考えて、その必然性や誘引する要因を解析して明らかにすれば、無意識的行動もまた意識的に興すことができるという理屈である。

 私が、生を受けた理由はここにあると考えているのである。
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