Arena Condition
AM 9:50 Temerature 12℃ Humidity 60% 曇り November 30, '12(Friday)
11月も今日で終わりです。昨夜雨が降りましたが、差ほどでなくて、馬場コンディションは、良い状態を保っています。
久々に良いコンディションで、週末を迎えられそうです。
曇っているものの薄日が差して、予報ではとても寒いといってましたが、風もなく雨で空気が洗われたような清々しさを感じます。
「風景」
毎朝、犬たちと猫たちを外へ出して散歩させながら、その内に犬たちの水桶になっているバケツを洗う。
外用と内用の二つのバケツを、束子で洗って新しい水を入れて所定のところにおいて、猫用の水はペットボトルなので、これを何回か水を入れては良く振って中を洗ってから新しい水を入れて、その後一斉に朝食になる。メダカも犬も猫も朝食の時間である。
そんな日課をしているときふと思ったのは、水道とは何と便利なものだということだった。
そんなことを思ったものだから、子供頃のことを思い出して、朝起きて最初にすることは、顔を洗うことなので井戸端に行って、手漕ぎポンプを漕ぎ、水を洗面器に汲んで顔を洗い、腰にぶら下げていた手拭いで顔を拭くのである。
私は、面倒がってポンプを勢いよく濃いで、注ぎ口から出る水を急いで掌で受けて顔を洗ったものである。
ところが私の小学校低学年の頃は、内の外に井戸があって、家の中の井戸があるのはとても珍しかったし、外にあるのが普通で、しかもポンプが備わっている家は近所には一軒もなかった。
その頃は、釣瓶(つるべ)井戸が多くの家にあって、井戸の真っ直ぐ上に向かって柱が立っていて、その先端にTの字型に長い木が桁になっていて、桁の先にロープが下がっていて、その先に木の四角い水桶が付いていた。そして桁の木の水桶の反対側の先端に、重りとして大きな石が縛り付けてあった。それは、梃子になっていて、その石の重りの助けで水をくみ上げるのである。
高台にある家の釣瓶井戸の桁の木が遠くから見えるのが、その頃の風景であった。
その井戸にモーターのポンプが付いて、台所や洗濯場などの各水場に水道管が配管され蛇口が付いて、蛇口を捻ると水が出るようになったのは、やはり小学校低学年だったように思う。
感慨に耽るようなこともなく、徐々に釣瓶井戸が見える風景が消えていった。
そして、蛇口を捻れば水が出ることに、特段の便利さも感じなくっていったのである。
一生懸命拙い表現をもどかしく思いながら、釣瓶井戸の構造を説明しないと、伝わらない程遠い昔の風景になってしまったように思う。
水道のポンプが我が家にやってきて配管するために、庭の至る所が掘り起こされて、大人達があちこち忙しくしていた日のことを、はっきりと思い出す。
嬉しく思いながら見ていて、それが釣瓶井戸の見える風景を消し去るなんて思ってもいなかった。
我が家には、お風呂が一棟の建物であって、そこから5~6m位離れたところにお風呂があって、夕方お風呂に水を汲むのが子供の仕事であった。
何処の家でもそれが子供の仕事であったようで、遊んでいて夕方になると、風呂の水汲みをするというのが、散散合合子供達が家に帰るための合図のようであった。
釣瓶井戸や、只水桶を井戸の底へ向かって落として、人力で水を汲み上げていた家や、ポンプで汲み上げる家など様々であったが、水桶を井戸に投げ落とす家が断然多く、その次に釣瓶井戸で、ごく希にポンプが付いている家があったように思う。
我が家には、商売をやっていたせいでポンプが付いていたのだろうが、孟宗竹の節をくり抜いた竹の水道管というものがあって、それをポンプと風呂桶に繋ぐように設えて、ポンプを漕いで水を汲むのである。
また、我が生家の台所も一棟の建物で、床は土間であった。この建物の中にポンプの付いた井戸があって、そこで洗い物ものなどの水仕事などをしゃがんでやっていたように思う。
しかし、この台所も、私が物心つく前には、板張りの床があったようで、土間ではなかった。
土間になったのも、近代化の象徴的出来事だったようだ。
つまり、履き物を脱いだり履いたりしなくても、台所仕事ができることもさることながら、台所の出入りを便利にするため出会ったのだろう。
とても地味な、欧米化であったのだろう。
残念ながら、私はとても小さかったので、台所に床が張ってあったのは覚えていないのである。
11月も今日で終わりです。昨夜雨が降りましたが、差ほどでなくて、馬場コンディションは、良い状態を保っています。
久々に良いコンディションで、週末を迎えられそうです。
曇っているものの薄日が差して、予報ではとても寒いといってましたが、風もなく雨で空気が洗われたような清々しさを感じます。
「風景」
毎朝、犬たちと猫たちを外へ出して散歩させながら、その内に犬たちの水桶になっているバケツを洗う。
外用と内用の二つのバケツを、束子で洗って新しい水を入れて所定のところにおいて、猫用の水はペットボトルなので、これを何回か水を入れては良く振って中を洗ってから新しい水を入れて、その後一斉に朝食になる。メダカも犬も猫も朝食の時間である。
そんな日課をしているときふと思ったのは、水道とは何と便利なものだということだった。
そんなことを思ったものだから、子供頃のことを思い出して、朝起きて最初にすることは、顔を洗うことなので井戸端に行って、手漕ぎポンプを漕ぎ、水を洗面器に汲んで顔を洗い、腰にぶら下げていた手拭いで顔を拭くのである。
私は、面倒がってポンプを勢いよく濃いで、注ぎ口から出る水を急いで掌で受けて顔を洗ったものである。
ところが私の小学校低学年の頃は、内の外に井戸があって、家の中の井戸があるのはとても珍しかったし、外にあるのが普通で、しかもポンプが備わっている家は近所には一軒もなかった。
その頃は、釣瓶(つるべ)井戸が多くの家にあって、井戸の真っ直ぐ上に向かって柱が立っていて、その先端にTの字型に長い木が桁になっていて、桁の先にロープが下がっていて、その先に木の四角い水桶が付いていた。そして桁の木の水桶の反対側の先端に、重りとして大きな石が縛り付けてあった。それは、梃子になっていて、その石の重りの助けで水をくみ上げるのである。
高台にある家の釣瓶井戸の桁の木が遠くから見えるのが、その頃の風景であった。
その井戸にモーターのポンプが付いて、台所や洗濯場などの各水場に水道管が配管され蛇口が付いて、蛇口を捻ると水が出るようになったのは、やはり小学校低学年だったように思う。
感慨に耽るようなこともなく、徐々に釣瓶井戸が見える風景が消えていった。
そして、蛇口を捻れば水が出ることに、特段の便利さも感じなくっていったのである。
一生懸命拙い表現をもどかしく思いながら、釣瓶井戸の構造を説明しないと、伝わらない程遠い昔の風景になってしまったように思う。
水道のポンプが我が家にやってきて配管するために、庭の至る所が掘り起こされて、大人達があちこち忙しくしていた日のことを、はっきりと思い出す。
嬉しく思いながら見ていて、それが釣瓶井戸の見える風景を消し去るなんて思ってもいなかった。
我が家には、お風呂が一棟の建物であって、そこから5~6m位離れたところにお風呂があって、夕方お風呂に水を汲むのが子供の仕事であった。
何処の家でもそれが子供の仕事であったようで、遊んでいて夕方になると、風呂の水汲みをするというのが、散散合合子供達が家に帰るための合図のようであった。
釣瓶井戸や、只水桶を井戸の底へ向かって落として、人力で水を汲み上げていた家や、ポンプで汲み上げる家など様々であったが、水桶を井戸に投げ落とす家が断然多く、その次に釣瓶井戸で、ごく希にポンプが付いている家があったように思う。
我が家には、商売をやっていたせいでポンプが付いていたのだろうが、孟宗竹の節をくり抜いた竹の水道管というものがあって、それをポンプと風呂桶に繋ぐように設えて、ポンプを漕いで水を汲むのである。
また、我が生家の台所も一棟の建物で、床は土間であった。この建物の中にポンプの付いた井戸があって、そこで洗い物ものなどの水仕事などをしゃがんでやっていたように思う。
しかし、この台所も、私が物心つく前には、板張りの床があったようで、土間ではなかった。
土間になったのも、近代化の象徴的出来事だったようだ。
つまり、履き物を脱いだり履いたりしなくても、台所仕事ができることもさることながら、台所の出入りを便利にするため出会ったのだろう。
とても地味な、欧米化であったのだろう。
残念ながら、私はとても小さかったので、台所に床が張ってあったのは覚えていないのである。
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