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Arena Condition

AM 9:30 Temeprature 28℃ Humidity 48% 晴れ September 3, '12(Monday)

 徐々に秋の気配ややってきています。もう2回ほど松茸の土瓶蒸しをいただきました。

 朝の気温が30℃を超えなくなりました。

 久々の大雨が降って馬場がどろんこになって、週末馬場がぬかって駄目だった日が、何時のことだったか直ぐに思い出せないほどです。

 今日一日で、多分全面回復すると思いますが、まだ少し水溜まりがあります。




 「できることの精度を上げる。」

 日本の伝統的な徒弟制度は、技術の伝承に大きく関わっていて、「見て盗め」方式で手取り足取り教えるわけではなく、そうかといって自分なりの工夫や合理的なアレンジが許されるわけではなく、一人前になる前にマイナーチェンジをしようものなら、師匠を馬鹿にしたことになって破門されたのである。

 つまり修業途中では、自我を許されずに只ひたすら盗んで真似るという作業を繰り返すのである。
 従って殆どの職人は、同じ技法を取得するもののオリジナリティというものが育つことはなかった。

 そんな徒弟制度でも自我と葛藤して修業をする者が希にいて、貫いて一人前になった者だけが名人と言われる位について、職人芸にと止まらずに芸術の域に達するのである。

 真面目な職人を全うするにしても、自我との葛藤をしながら修業を続けるにしても、容易なことや単純な作業の精度を高める訓練を嫌というほど行うのである。

 私も上達を望むのであれば、今自分が容易にできると思っていることの精度を、この上ないほどにまで高める訓練をする以外にないと常日頃から言っている。
 しかし、誰一人真剣に、自分のできることは何か、その精度を高めるとはどういうことか、などということを考えようとはしないし、当然容易なことの精度を上げようという行動は見られないのである。

 何故なのだろうか。

 私自身も、何らかの訓練をしていると日に日に上達して、難しかったことやできなことが容易にできるようになると、今やっていることの精度を高めようとは思わないで次の段階へと進もうと思う。
 このときの心に思い浮かべることは、今やっていることができるようになると、もっとできるようになるというイメージが湧かなくなるのである。今できていることの精度を上げるという思いつきはしにくいのである。

 何となくではあるが、難しかったことやできなかったことが、今までと比べて簡単にできるようになったので、もっとできるようになったときのイメージが湧かなくなって、モチベーションが減退するので、次の段階へと進みたくなるのは当然のことなのである。

 しかし、このとき今できていることが、本当に名人の域といわれるほどにできるようになっているのか、何らかの注意を払わずにできるのか、神経を集中しないでもできるのか、何ら準備することなくできるのか、などうという問い掛けを意識的に行う必要がある。

 具体的には、極限までゆっくりと、極限まで速く、極限までフルパワーで、極限まで近くで、極限まで遠くで、座ったままで、片手で、利き腕でない方で、目を瞑ったままで、などともっと不自由な状態や、やりづらい方法などを意識的に考案して、今できていることの精度を高めるようにするのである。

 できることの精度を何処までも上げようと訓練すれば、やっていることのコアとなる最も重要で次の段階にも通用するファクターが見つかるのである。つまり、今できていることの一番重要なファクターが何か、何ができるようになったことで精度が高まったのか、何が重要で何が無駄なのかという本質を見出すことができるようになるのである。

 「見えるものを、何度も見てその深層を見抜く。」

 「同じ文章を何度も読み直して、理解を深める。」

 「何度も同じものを作って、できあがりを向上させる。」

 「同じものを何度も触れて、その触感を記憶して識別できるようになる。」

 誰もが、できることの今以上をイメージできない。自分でも難しいと思えたものが容易にできるようになると、この先に何があるのか見えなくなるもので、今まで上手くできなかったり難しかったりしたときは、簡単にできる上手くできるという展望があったが、容易にできるようになってしまうとその展望や目標を失うのである。

 しかし、名人やマスターと呼ばれる人は、才能と精進の賜だというのが定説だが、私はそうは思わないのである。
 一定の段階まで上達した結果失った展望や目標や、今以上の向上や理想が見出せない状況にあるとき、将来において展望や目標がどんなものかはイメージできなくても、その存在を信じることができるかどうかで、名人の域に達することができるかが決まる。

 名人の領域に達するかどうかでなくても、人生観が変わるはずで、更なる向上や理想像がイメージできないとき、その存在を信じられるかどうかが問題なのである。見えないものの存在を信じることできるかどうかである。
しかも、自分の上達や理想をイメージできようができまいが、その存在を信じるとは、イメージできるサンプル映像を探すということもできるし、前人未踏のことであれば、理想のイメージ映像を自分で創造しなくてはなりません。

 しかし、そんな大袈裟なことではなく、今現在の近未来の存在として、できることの更なる精度の高まりによって作られる結果の存在を信じられるかどうかという問題で、一定の上達があった後や上達がない段階であっても、先の展望や理想型がイメージできないときこそ、その存在を信じることが、何よりも重要なことで、今できていることの更に高まった存在があることを、意図的でも良いから信用するように努めなくてはならないのである。

 これから始めることであっても一定の進歩があった後でも、一歩先の展望をして更なる上達や進歩の姿があることを信用するべきなのである。ものごとが難しいと感じたりできないと思ったりしているときは、難しくない、できるといった展望を必然的に持つからその展望した状態になるまで追究するが、難しいとかできないといった状態を一旦抜け出してしまうと、同じことでの一歩先の展望を持つということがなくなってしまうのである。このとき、一歩先のレベルがあるのではないだろうかという展望を持ったり、もっと凄いという結果が存在するのではないだろうかと思ったりするわけには行かないだろうかということである。

 一歩先の展望を失ったときが、今後の世界の分岐点なのだ。一歩先の存在を絶えず信じて、はっきりと難しいとかできないことが簡単になったりできるようになったりして、目の前の課題が見えなくなったときこそ、自らの意図として一歩先のレベルの存在を信じて、さらに精度を高めようと努めるようにすれば、それまで見えていた世界とは全く違った世界を見ることができるのである。

 できないことに挑戦して失敗を繰り返さずに、できることの精度を高めるように努めて、どんなに精度が高まったとしても更なる存在を信じて、あくことなく精度を高めることに精進すれば、誰でもが神に近付くことができるのである。
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