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Arena Condition

AM 10: Temperature 32℃ Humidity 43% 晴れ August 6, '12(Monday)

 雲が多めの晴れで、気温の割に外で立っていてもそれほどでもありません。

 馬場は、大分乾燥してしまうでしょうから、明日には水を撒きたいと思っています。

 通常ある程度の水を撒くことによって、砂にクッション性が出るようになります。砂が全く乾いてしまうと、砂の粒子と粒子の間に空気がなくなって、クッション性を失い、同じ量の砂があっても、馬場が硬くなります。そこである程度の水を撒くことによって、砂の中に空気を保つようになり、クッション性が高まり、馬場が柔らかく感じるようになるのです。

 しかし、水も程度問題で、多すぎるとまた空気の保持が少なくなって、乾いたときと同じになって、馬場が硬く感じるようになってしまうのです。

 また、水を撒いた後のハローは、乾いた砂と表面の濡れた砂がその下の乾いた砂とが、満遍なく水分を含むように混ぜなくてはならないのですが、このときハローで濡れた砂は動かしてしまい、乾いた砂は動かないということになるものだから、砂の偏りができてしまって、折角クッション性が良くなっても馬場が凸凹になってしまうとい事になってしまいます。

 そこで、最低馬場全面を2回以上ハローをかけることが必要で、最初は撒いた水分を馬場全面に、均等に水分を含むように混ぜるという作業を主体にかけ、その後に馬場を均等に均すためにハローをかけることが重要なのです。

 一旦砂の偏りを作ってしまうとそれを平らに均すことは難しいので、最初の混ぜるとニスなのか頼りを作らないようにすることが肝心で、そのために極力小さいサークルを描きなながら、馬場全面をアウディのロゴのようにかけて、その後に真っ直ぐにハローを掛けることで、馬場を凸凹にせずに均等に水分が含まれるように、ハローをかけることができるのです。



  「感じて後に考える」

 感じて後に考えるとは、ものごとに接したときに、どのように見えたのか、どのような印象を持ったのか、どのようなものと理解したのかを、必ず人は感じているはずだ。しかし、日常の生活では、その感じたことを無視して論理的にそのものを解析しようとしてしまうのだ。そしてまた、そのものごとが何気ないことだと、考察さえ加えようとはしないのだ。

 ものごとに接したとき、何らかの感じを体の末端で接したり見たりした感覚情報を、脳幹で受けたことを認識する必要がある。そして、何故そう感じたのか、このような印象を受けたのはどんなことが原因なのかといった、考察を加えて、理解する必要があるのである。

 感じたものを基盤として、そのものの正体を考察することを繰り返すことによって、感性は磨かれるのである。また、感性を磨くことは、この方法以外にないのである。

 人が本を読んだり美術館で芸術品に接したりすることによって、感性が磨かれると信じて疑わないが、それは全くの間違いなのである。

しかし、実際に良いものを見るだけで感性が豊かになるという現象は起きる。何故なら、感じたものをその人なりに考察をしているからなのである。それは、偶然にそうなっているだけで、意識的行為として感性を磨こうとしているわけではないので、必ずしも感性が磨かれるわけではないのである。

 評論家といわれる人達の感性が貧しいのは、良いものに接しても感じ取った印象を無視して、最初から論理的分析をして、他の人に如何にそのものを説明をするために、理屈を付けようとするからなのである。

 ものを見たときにその印象を受けるのは何故か、自分がどんな精神状態や価値観を持っているからか、それともそのものがどんな質感を持っているからか、どんな形や色を持っているからなのか、というようなことを同じように考えたからといって、感性が豊かになるわけではないのである。最初にどんな印象として自分の心に響いたのかを認識して、その認識を解明するために、考察をするのでなければ感性は豊かになることはないのである。

 つまり、どんなに偉い学者でも、ものごとを熟知しているといわれる大学の教授でも、感性の貧しい人が沢山いるのは、「感じて後に考える」という順序を、間違えて学問を積んでいるからに外ならないのである。

 感性は、ものごとを洞察し、見えない将来を予言し、創造することを可能にする能力である。

 しかし、単なる理屈を振り回すシステムを覚えたり、多くの知識を得たりしても、感性は豊かになることはない。むしろ感性は貧しくなるのである。

 常識として、知識がなければものを考えることはできないといわれているが、それならば、何故言葉は生まれたのか、知識とは言葉で構成されたもので、言葉なくして知識はないのである。ところが、人間は言葉を持たないときに、言葉を生み出すことはできたのである。
 つまり感性の創造性が、言葉を生み出したのであり、感覚の記憶が類型的ファイリングを作り、その結果これらの類型を形容する言葉を生み出したのである。

 どんな人間にも感覚は備わっている、しかしその感覚が人間の知恵が働くために、選択肢や道標として示唆を与えてくれ、目的地までをナビゲートしてくれるのである。

 年齢や性別に関係なく、今自分がどんな印象を持ったのかを、先ず自認することが必要なのであり、どんな些細なことでも心に引っかかったことでも心に留めて、どうしてこんな印象を持ったのかという疑問符を持つ。そしてそれなりの答えを見出して、疑問符を解決処理する。
 これらの一連のことを、絶えずどんな些細なものごとに対しても興味深く、持った印象とこれに対する疑問符を持ち、これの解答を企てる。

 こうした訓練を自分に施すことによって、直ぐに感性は豊かになって、態々意識的にこのような行動をしなくても、自然に感性が作用して思考力を改善したり高めたりして、解析能力や解決能力や洞察能力なのどの様々な能力を引き出すだけではなくて、何よりも時をエンジョイできる術を身につけることができるのである。

 何をやるかではなくて、どんな姿勢でそれをやるかで、人は生き甲斐を見つけることができるのであって、知識や屁理屈が人より巧みになったところで、人生を豊かなものにすることはできないのである。

 最善を尽くして天命を持つという心境は、決して天命を座して待つということではなくて、感性を持ってプロセスとゴールを見極めて、精度の高いプログラムを実施するということで、実際は天命などといった当てにならないものなど眼中になく、自分の能力を信じてことに立ち向かうということなのである。

 感じて後に考えるというのは、言葉を生み出す前の人間は、全てこの順でものを考えてきたのであり、今だってものを発明したり新しいことを生み出したり、過去のことでも新しい分析を加えたり理解をしたりすることは、全てこの順序で考察しているからこそできているのである。しかし言葉という形での知識をどんなに増やしたところで、何も産み出すことはできないし、ものごとの正体や真実を解明する道を辿ることはできないのである。




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