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Arena Condition

AM 9:35 Temperature 25℃ Humidity 39% 曇り May 25, '12(Friday)

 予想通り昨日午後には、粗やや重状態まで馬場は快復して、17時頃にはベスト状態になりました。

 今朝は、曇っていますが、馬場はベスト状態です。

 週末は、天気が良さそうなので、良い状態で過ごせそうです。



 「ぐずぐず」

 やるべきことがはっきりしないときや、何をやってもできた感がしないとき、ぐずぐず迷ったり、一所懸命頑張ろうと自分を励ましたりすることは、愚かしいことだ。

 私が、何故愚かしいと感じるかといえば、自分が知っていることやこれまでやってきたと思い込んでいることや、そんなところを自分がウロウロして、現場に自分がいないことに気が付かないまま、利口ぶっているからだ。

 今自分が何を感じているのか。何を憂いに思っているのか。何が心配だと気にしているのか。色々な思いが自分の体に飛び込んできているのに、その声に耳を貸さずに、今まで見知った知識で一生懸命考えようとしているのは、全く馬鹿げた話なのである。

 何だか理由が分からないけどしっくり来ていない。

 こんな感じを受けているなら、その先のことやってみればいい。つまり今やっていることのスピードを上げるとか、完成形にトライしてみるとか、色々なプロテクトをしないで同じパフォーマンスをしてみるとか、手を離して自転車に乗るように、それまで頼りにしている手や足を、使わずともそれができるかを試すということだ。

 自分の体の声を聞くことができないのであれば、上記のようなことを試すことで、はっきりと声が聞こえるはずで、その声が聞こえれば何をすべきか明確になるのである。

 何かを憂いているのであれば、その憂いは自分の体の何処でどのように感じているかを探り、それが見つかれば、そんな感じがどうして生まれるのかを更に探究して、生まれる原因をなくすトレーニングを施し、その結果を試して自分の体が憂いを感じなくなれたのかどうかで、その結果を吟味すれば良いだけである。

 自分の体で感じているところから、ものごとを思考し始めなくては、それを払拭できたかどうかも定かにする術がなく、体で感じたことから始まれば、色々工夫したり改良したり付け加えたり省いたりしたときに、再び試してみたときに始めにあった感じが払拭されたのかどうかで、全てが肯定されるか否定されるかが決まるのであり、自分の思い込みや考えで強制して結論づけるべきものではないのである。

 人間は、自分の行動に自信を以て、望まなくてはならないのである。

 今自分が佇む広場の前に、6つのドアが見えてそのどれも開くことができ、そのドアをあければどの部屋にも入ることができ、何処かの部屋に入ったとしてもそこを出て違う部屋に入ることもできる。
 しかし、ここに滞在できるのが一日で24時間したら、ここを去らなくてはなりません。
各部屋はそれぞれ違った模様をしており、中に備わっているものが食料だったり本などの資料であったり、玩具などの娯楽器具が入っていたり、また友達が待っていたりする。

 さてあなたは、どの部屋に入りますか。

 多くの人は、この部屋に出たり入ったりすることができるから、なるべく全部の部屋を体験したいので、一つの部屋に止まる時間が分散されます。一つの部屋に止まって他に部屋には行かずに、その部屋で得られる恩恵を充分に獲得できるようにもできるのに、多くの人はそうしないそうです。
 24時間を6等分して、4時間したら次に部屋に移りそしてまた4時間したら次に部屋に移るということはなく、15分や20分したら次の部屋に移動したり、移動したかと思うと元の部屋に戻ったりして、一つに部屋に落ち着いてじっくりと満足するまで止まることをしないそうです。

 私は、今自分の必要なことを明確にして、この場合自分の目的に大きな力を与えてくれそうな部屋に入って、他の部屋に行こうとせずに、その部屋で得られる全てを得ようとすべきなのではないだろうかと思うのである。

 ものごとに立ち向かうときに、色々な感情が持ち上がりその時の状態を解釈することに迷うときがあるもので、この局面は広場で幾つか部屋を前にしているときと同じ情景なのだ。
 
 こう考えては、結論の出る前に違う発想が起きてそのことに囚われて、更に違うことを思いつくのである。それは一つの部屋に入ったかと思うと、違う部屋にはもっと良いものがあるのではと思って、違う部屋を覗き、するとまた違う部屋に移動することを続けて、結局一つの部屋で満足するまで滞在することができなくて、ドンドン部屋から部屋へ移動して一日経ってしまうということと同様なのだ。

 どんなに幾つもの選択肢があろうとも、一つの考えや疑問が持ち上がったら、その疑問がはっきりと解明されるまで、その部屋に立ち止まって探究し続けることが重要なのではないだろうか。

 私は、ものごとに立ち向かうとき、何らかの仮説を立てて決め打ちをするようにしている。
 そして、何らかの結論が出るまでその仮説を捨てたりすることはない。しかし、違うという結論が出れば、直ぐにその仮説を捨てるのである。
 何故なら、結論が出る前に違う仮説を立てたり、仮説を立てなかったりしてものごとに望めば、一つの考え方が違っているとしても、違っているという結論を引き出すことができないし、結論が出る前に違う仮説を立てれば、結局一つの結論も導き出せないことになってしまうからである。

 我々が、道に迷ったとき、目の前に答えを用意している部屋が幾つもあって、そのどの部屋に答えがあるか分からない時、答えのある部屋を探そうと何回も部屋を出たり入ったりして、移動を繰り返してしまう。しかし、どの部屋にも答えは用意されているのであり、どの部屋にも答えはないのである。

 仮説を立てて結論が出るまで、その仮説の部屋に止まる勇気が必要なのではないだろうか。
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