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Arena Condition

AM 8:50 Temperature 25℃ Humidity 47% 晴れ May 24, '12(Thursday)

 昨日は、曇ったままの一日で気温もあまり上がらず、馬場はそれほど快復しませんでした。

現在は、不良馬場です。

 しかし、今日は朝から大分気温も上がって空は夏空ですから、午後くらいには可成り快復すると思います。

 これからハローを掛けようと思っています。

 

 「誰の方から近付くべきか」

 乗馬においてもどのようなスポーツでも、感覚を身につけなくては、思うように自分も馬もコントロールすることはできない。

 そこでいい表現だと思っているわけではないが、日常生活のようにお茶を飲む、ドアの開け閉めをする、マクロとしてお茶を飲んだりドアの開け閉めをしたりすることを意識するものの、腕や指先をあれこれと動かすことを意識するわけではないのに、マクロとして意識したことをしっかりとこなしているのを鑑みて、感覚を身につけるときに、どうしてもあれこれ腕や足や体の動きを意識的に動かそうと思いがちで、そう思うからこそ上手くできないし、意識的に体をコントロールしようとすればするほど、感覚を身につけることから程遠くなってしまうので、上手くやろうとか失敗したくないという気持ちを捨てて、特に腕や足腰をどうやって動かすかを意識しないで、全体的な動きやその目的をマクロとしてイメージし、後は体を動かしたときに接触している接点に於いて感じる感触を、意識的に追いかけるようにして練習を繰り返す。

 要約すれば、マクロとして何をするかをイメージして、運動をしているときの接点の感触を、意識的に追いかけるように練習する。

 このように表現しているのですが、どうもすっきりと感覚の鈍い人に理解できているような気になれません。

 従って、感覚の身に付いていない人を見ると、どうしてもやるべき体の動きを意識するあまり、接点における感触に気が向かっていないので、いつまで経っても感覚が鈍いままなのです。

 あれこれと表現の工夫をして、どうにか理解してもらおうと思っているのですが、ふと気がつくと一生懸命私の方からその人達のところへ近付こうとしているけれど、その人達から一向に私へ近付こうとして来ない。

 何故なのだろうか。

 多分色々と試したが上手くいった試しがないし、やってもやっても感覚が鋭くて感覚を通してものが見えたという体験をしたことがないから、俄に私の提案を受け容れがたいということなのだろうか。

 しかし、信じる者は、騙される確率も高くなるかも知れないが、幸運に恵まれる確率が高いそうで、ものを信用する人は商売でも上手くいくし人にも恵まれて向上する機会にも恵まれるこは統計上証明されていることなのだそうです。
 その逆に、信用しない人は、人に騙される確率も高く幸運に恵まれる機会を失うのだそうです。

 理屈を並べ立てて論理的立証ができなければ、自ら試してみようとしないのは、本来の論理に矛盾する話なのである。

 人間世界の条理は、まだまだ立証されていないものの方が多く、科学的に解明されたものなどほんの一握りで、論理的に解明されていない世界で我々は生きているようなもので、況して感覚というものは不思議なもので、車を運転する人は、タイヤの位置を見ながらハンドルを切っている人は存在しないのに、タイヤの位置を感覚的に把握しているのである。

 上手下手はあっても、感覚の鈍い人でも、タイヤの位置を把握しているのである。しかし、タイヤの位置が分かるのは、アスファルトの道を走るタイヤの振動が伝わってくるから分かるのであり、道を走っているとき信号や道幅や側道を歩いている人のことなどの外部情報を気にしながら、ブレーキやアクセルを踏んだりハンドルを切ったりしているのであって、決してそんな外部情報を気にしないで、何時ハンドルを切ろうかとか何時ブレーキかけようか、何時アクセルを踏み込もうかと考える人はこの世に存在しないのに、脚や手を使って馬をコントロールしようとするときに、脚が接する馬のボディとの感触や、手が接する馬の口との接触感を、感じられようが感じることができまいがそんなこと気にせずに、追いかければ何れ感じることができるし、感じることができると同時に、そのパワーが少ないのか多すぎるのかも瞬時に判断できるから、適宜という状態を瞬時に作り出すことができるのであって、自分が手足を動かしたり馬を動かしたりすることばかり気にして、接点に於いてどんな感触を得ているのかを一向に気にしなければ、適宜という世界を作り出すことは絶対にできないのである。

 理屈立てて私の世界を理解しようと近付いてこないのは、興味がないとか意欲がないとかいう次元の話ではなくて、自分言葉や今までの行動を、只否定されることを畏れているだけのくだらない話に外ならない。

 自分の言ったことが理屈に合おうが合うまいが、それを正当化するために理屈を捏ねているに過ぎないのである。正当化するということは、理屈を並べるのではなくて、論理的に立証することではなくて、実証して初めて立証したということになるのであり、どんな科学者でも論理上解明したといえども実験によって立証できなければ、空論として誰も評価しないのである。

 つまり、感覚を身につけるということに於いて、興味も意欲も必要なことではなく、只単にその世界を除いてみるかみないかという問題なのであり、感覚の世界から成果を眺めることができない人は、ものを見ていないということなので、今見えているのは虚構に外ならない。

 人は生きているということは、森羅万象を肌で感じるということなのです。感じることを拒否して何も産まれないし、自分は本当の姿を何も見ていないということを理解しなければなりません。

 指先で机の質感を感じて、足で床の堅さを感じて、風で季節を感じて、路面の柔らかさをタイヤの振動で感じて、人の目つきでその人の自分に対する感情を感じて、微かに背中にする気配で、隣人の思いやりを感じたりすることを可能にしているのが、全て我々に備わった感覚なのである。

 只一歩前に足を出しさえすれば、その世界を誰もが手に入れられるものなのです。
分からない人から分かっている人に近付こうとしなければ、分からない人は救われないし、分かっている人が幾ら分からない人へ近付こうとしても、馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできないのと同様に、分からない人から分かっている人の気持ちを知ろうとしなければ、永遠に分かる人になることはできないのである。
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