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Arena Condition

AM 9:45 Temperature 24℃ Humidity 37% 晴れ May 14, '12(Monday)

 良いお天気で空気も乾燥していて、馬場は少し乾燥気味です。

 明日は少し雨があるそうですので、丁度良いぐらいの雨で済めば、馬場には少しお湿りが必要なので、水を撒かずに済むのです。



 「真っ白な頭」

 私と話をすると、頭が真っ白になってしまって、話ができなくなってしまう。
 頭が真っ白になってしまう人よりも、問題は私の方にある。

 その人の心を、解放させて話をしなければ会話が通じることはないに、却って緊張させてしまって思考力を阻害してしまうとは、インストラクティングは勿論、馬のトレーニングもできないし失格だ。

 相手の話を聞きその話を中心に会話を進めていき、その話を手がかりに、何故という問い掛けをするというやり方をするのですが、どうもそのシステムが、相手を追い詰めてしまうようだ。

 思考は誰でもが、自分が考えついたアイディアや論理に基づいて進めるものだから、相手の身になって話をすることが一番通じるし理解しやすいという考え方で、私は話をしているだが、相手にとっては自分の話を中心に、その矛盾や真理を追究されるものだから、逃げ場を失って答えに窮し、頭が真っ白になってしまうのである。

 しかし、私が伝えたいことを中心に話を進めれば、同意や理解したような返事をするものの、本当に同意したわけではないし理解したわけでもない。なるべく相手のテーブルで話をすることが一番分かり易いと思うから、先ず相手がどう思っているのか、また考えをしているのかを聞き出して、その話題を中心に話を展開することが一番良いと思うが、それでは相手を追い詰めてしまうのだ。

 こうした展開になる本当の理由は、本人に興味や意欲がないからで、自分の身上に問題が噴出していても、それをどうにかして解決したいとか、解決できる技術を身につけたいという意欲や興味が乏しいので、自ら問題について探究しようという行動は見られないし、その問題についてディスカッションして解明しようという気持ちがないから、第三者である私が、何とかその問題を解決する手がかりを、一緒に話し合って見つけ出そうとするのだが、私に叱責を受けたとか、懲罰されたという被害者意識を持ってしまうのだ。

 以上のような事情だから、本人が興味を持ったり問題を何とかして解決したいという意欲が旺盛になったりする以外に解決することはできないと考えるのが常道だろう。
 しかし私は、そんなことはないと思っている。

 何故なら、たった一つで良いからそして一番簡単なことで良いから、ものごとの真相心理を追究することで、何かを理解できたり解決できたり見える景色が変わったりする経験をすれば、意欲や興味は自然に湧いてくるに違いないと思うからである。

 世間一般の常識でいえば、「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。」ということだが、私をそう考えていない。

 人は最初から意欲や興味があることだけに限って、能動的に行動するわけではなくひょんなことがきっかけとなって、飲んでみたら上手い水だったのでもっと欲するようになったり、ちょっと考えてみたらそれまでよりものごとがはっきりと見えたり、思いつきで工夫をしてみたらそれまでになく上手くいったりした経験さえすれば、誰でもが目の間に立ちはだかる問題に対しても、本質的なものがどんなものか、できる工夫はないのかと思案したり興味を持ったりして、ものごとを眺めたりするようになるのではないだろうか。

 私は、興味や意欲ということが、自分の行動に直接関わりを持つことはない。

 人は、興味がないことには、見向きもしないし、意欲の湧かないことに汗をかこうとしないし、また最初は興味も意欲もあったものでも、徐々に興味も意欲も持続できなくなって、それにつれて思案も工夫もしなくなってしまう。

 こんな人間は、その時点で死んでいると同様なのである。

 興味のないものでも意欲の湧かないものでも、意欲が消失してしまったものでも、興味が薄くなってしまったものでも、そんなことに関係なく身に降る火の粉は払わなければならない。

 我が身に掛かる火の粉を幸運と思い、火の粉の正体や払う工夫を思案できることは、その全ては我が身を大きく成長させる栄養剤なのである。

 人が皆、水を飲んだりものを食べたりするのに、意欲や興味は必要としないように、ものを考えたり工夫を凝らしたりすることに、興味や意欲が必要なわけではないのである。只の思い込みなのである。意欲や興味を持つことが、能動的行動や探求心を持つために必要不可欠だというのは、単なる思い込みなのである。

 生命力が衰えれば、食欲がなくなるように、生命力がなくなれば、思考力が低下するもので、つまりその逆に生命力さえあれば、興味や意欲に関係なく水や食べ物を口にするのと同様に、興味や意欲に囚われることなく、目の間にある課題や障壁に対して、真理追究したり解決したりする為の創意工夫をすることを、厭ってはならないのである

 人は、ものを考えるのに、自分の心にあるものを手がかりに推論することが、一番手っ取り早い方法で、誰にでもできる方法なのである。もし、人に話を聞いたり物の本を読んだりして、ものを考える取っかかりを見つけようと思えば、百年かかっても考え始めることさえできないかも知れないのである。

 自分は、こう思った何故そう思ったのか?そのことはどんな効果があって、その効果が何故あると考えられるのか?その根拠は、どんなことなのか?というように、何処までも考えは、あみだくじの線を辿るように進めていくことができるのである。

 何を考えていいか分からないという人もいる。そんな人は、何故何を考えていいか分からないかを考えればいい。何を考えたらいいか分からなければ、その問題を解決したいと思っていないのか、それとも不可能だと思っているのかというように、その原因を突き止める。

 解決したいと思っていないとしたら、解決することを止めるか、したくなくても解決して見せようとするかを決めればいいし、解決するのが不可能だと思っているのであれば、可能な人はどんなことを知っているのか、どんな技術をもっているのかを考えてみることで、問題の手がかりを見つけることはできる。

 水を飲むことと考えることは、全く同じことだから、考えることが億劫な人は、水や酒を飲むこと止めなければならない。
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