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 今朝は風もなく穏やかで、ほんの少し動けば汗ばむような初夏の空気です。

 馬場は、ベストコンディションです。

 
 

「擬音」

 擬音と言葉ではどのようなに違いがあるのだろうか。

 運動をすれば、必ず体の何処かにパワーやプレッシャーや抵抗や接触感など様々な感覚を得ますが、これを硬い、柔らかい、瑞々しい、冷たい、熱い、暑い、尖っている、丸い、鋭い、鈍い、重い。軽い、速い、遅いなどのように言葉で形容する場合と、ブーン、冷やっと、うーん、ドン、スーッ、ヒューッ、ガーッ、ゴーッ、ガン、カン、キンキン、ゲーッ、グッ、などのように擬音で形容した場合とでは、その時の状況をイメージしやすいという観点では、どのように違うのだろうか。

 言葉に置き換えて表現することを、デジタル表現といいます。擬音で表現することも厳密にいうとデジタル表現なのですが、アナログ表現に近いということがいえるのです。
 何故ならば、擬音で表現する場合は強弱を、トーンを変えることで表現することができるし、擬音そのものが強弱をダイレクトに表現することができるからです。

 つまり言葉で表現するということは、感触を言葉の意味で形容しているのであって、コンピュータで色々なデータを2進数の0と1に置き換えていることと同じことなのです。
 色々な事象を言葉が持つ意味で表現することは、言葉の意味を知っている者同士でなければ、複数の人達でその状況を共有することができないのです。

 しかし、擬音で形容する場合は、言葉の意味で形容することとは違って、音が持つトーンで形容しているので、言葉の通じない者同士であっても状況を共有することができるのです。

 問題にしたいのは、自分以外とコミュニケーションするために擬音を用いる方がいいのか、言葉で形容する方がいいのかということではありません。人間が行動を起こしたときに、それを認識するのにどのようにして行っているのかという問題なのです。
 つまり感覚情報を認識するには、人間がどのように行っているかという問題なのです。

 感覚情報は、感覚神経によって体の末端で得た感触を脳幹へと伝えられます。そしてその感覚神経によってもたらされた信号を、脳幹が認識するとき、アナログ信号として伝達しているので、脳はアナログ信号をそのまま認識しているはずなのです。
 そして、脳がそれを無視すれば、感覚神経が感覚情報の信号を脳幹へ送信していても、そのアナログ信号としての情報がなかったことになって認識されることはありません。
 もう一つは、感覚神経が送信したアナログデータを、脳が認識しているにも関わらず、そのアナログ情報を固定化するためだったり第三者に伝えるためだったりしたとき、アナログデータをデジタルデータへ置き換える作業として、言葉に形容して記憶しようとします。

 記憶しようとするときに、一つの感覚情報をアナログデータとデジタルデータとの両方を記憶することもできるが、デジタルデータへ変換したときに、アナログデータを失うこともあるのです。
記憶を呼び起こして思い出すときに、デジタルデータとしての言葉やアナログデータをそのまま呼び起こす場合や、呼び起こしたデジタルデータをアナログデータに再び置き換えることが考えられます。

 デジタルデータをアナログデータに置き換えるときに、必ずしも元のデータの置き換えられるとは限らない。
言葉が持っている意味に拘束されて、元データとして認識されて置き換えられる場合が考えられる。つまりここで誤差が出る余地があるということです。

 もう一つとても危険なことは、最初の感覚神経が脳幹へ送ったアナログデータを、一旦アナログデータとして記憶しないで、デジタルデータとしての言葉に置き換えて記憶してしまうことなのです。すると、記憶されたデジタルデータを呼び戻したときに、アナログデータとして復元することができなくて、似たようなアナログデータに置き換えて認識してしまうということなのです。

 つまり、思い込むということや誤解ということが起きやすいということなのです。

 従って、我々は感覚情報を認識するときに、なるべくアナログ情報のまま認識するようにすることが重要なのです。

 極力アナログデータをそのままデジタルデータへと置き換えずに認識すれば、アナログデータとして記憶することになるので、事象をリアルに記憶することになるのです。そして記憶を呼び戻すのも、そのままアナログデータを引っ張り出すことができるので、リアリティを失わずに済むのです。

 では何故、人はデジタルデータ化しようとするのでしょう。

 情報の特定化が行われるのです。在る瞬間を切り取ることができるということが、デジタル情報化すことにおいての利点なのです。

 つまり写真を撮るように、在る瞬間を固定的に記憶するためには、デジタルデータの方がいいということなのです。しかし、ある一定に時間の経過する中で、相対的に事象を捉えるとすれば、アナログデータとして記憶することの方が遙かに機能的なのです。

 複数の人同士がコミュニケーションするには、アナログ情報を共有することができなくては不可能なのです。つまり、日本語を理解する者同士であっても、硬いと表現された言葉を、鉄の塊が硬いということなのか融通の利かない人のことなのかというアナログ情報としてのイメージを共有していなければ、互いの言葉が通じ合うことはないのです。

 何れにしても我々は言葉を持った瞬間から、アナログデータをデジタルデータに置き換えて言葉にし、記憶された言葉を再びアナログデータに置き換えて実感したり、アナログデータをそのまま記憶して、アナログデータをそのまま思い出したりそのまま人に擬音で伝えたり、デジタルデータとしての言葉で人から伝えられたものを、アナログデータに置き換えて理解をするということを繰り返し行っているのです。

 我々近代文明の中で生活する者程、意図的にアナログデータをそのまま認識するという訓練が必要なのではないだろうか。

 アナログデータを認識することが弱くなったり少なくなったりするということは、リアリティを失うことであり、デジタルデータの中で暮らすことは、生命力を失うことであり、生き甲斐を喪失することに繋がることなのです。

 どんな行動をしても動作をしても、本を読んでも運動をしても、その時に得る感覚を、そのまま音のあるものもないものも、擬音のままを認識するようにすることを、習慣として訓練する必要があるのではないだろうか。
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