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AM 9:25 Temperature 8℃ 曇り March 20, '12(Tuesday)

今朝は、晴れる予報だったのですが曇っていて、とても寒く、昨夜は少し雨もありました。

 馬場は、予想に反して全然快復しませんでした。

 不良馬場です。



「能力ほどに見る」

 人間の目は、実際に我々が見えていると認識している映像を、網膜に投影していないのだそうで、つまり網膜に投影している映像と認識している映像とは、可成り違いがあるようで、その違いとは全く違う映像を、網膜に投影しているということではなくて、鮮明な画像を網膜に投影していないということである。
 その茫漠として映像を、何故我々は鮮明な画像と認識しているのか。それは脳機能が所々抜けている画素を補って、鮮明な画像として認識できるようにしているのだそうだ。

 ところが何故、年齢を重ねて視力が弱ってくると視力が低下して、ぼやけたりダブったりして見え難くなって、それが眼鏡を掛けて補正すると鮮明な画像として認識できるようになるのはどのようなわけであろうか。

 この現象に、私はある矛盾を感じるのである。

 その矛盾とは、脳が粗い画像を補って鮮明にしているのであれば、視力が弱って画像が鮮明でなくなることが納得できないのである。元々茫漠とした画像しか網膜に投影していないのだから、視力が低下したところで何ら変わりはなくて脳が補正すれば済む話なのに、何故眼鏡で補正しなければならなくなるのかが説明できないのである。

 眼鏡で補正しているのは、焦点距離(遠視や近視)とダブった焦点(乱視)の修正で、眼球の歪みで焦点が網膜とずれてしまうのでこれを修正する場合と、やはり眼球の歪みによって二重に焦点がダブってしまうのを、1点に焦点するように修正している場合である。

 ある医学書でいうには、茫漠とした画像を網膜に投影しているのを、脳が補正しているから鮮明な画像として認識できていると説明されている。だとすれば、眼鏡など必要がないのではないだろうかという理屈になる。
 ところが眼鏡は現に必要なのである。


 そこで私は、目は鮮明な画像を網膜に投影しているのではないかという仮説を立ててみたのである。そして、鮮明な画像を網膜に投影していても、それを鮮明な画像として認識するには、脳が画像の情報処理をしなければならないのではないかということである。
 従って、元の画像が老齢化により眼球が歪んで焦点が二重になってしまったり、ぼやけたものになってしまったりしてすると、そもそもの画像データが悪いから、脳機能では補正できないので、先ず正確な画像データが必要なので眼鏡の必要性があるという論理である。

 そして、画像が鮮明に網膜に投影されていたとしても、脳が鮮明な画像データとして認識できるような処理能力を有していなければ、やはり鮮明な画像として認識することはできない。

 つまり、鮮明な画像を認識するためには、画像データが正確な情報として入力されることが必須要件で、そして正確な画像情報が入力されたとしても、画像情報を鮮明な画像として認識できるように、脳が情報処理できる能力を有する条件が兼ね揃って、初めて我々が鮮明な画像を認識できるではないだろうかということである。

 指先でものを感じたり、耳で音を聴いたり、舌で味を感じたり、鼻で臭いを嗅いたりする感覚全てが、目でものを見るのと同じ二重構造になっていて、感覚器官でその感覚情報を受け止めて、その感覚情報を脳幹へ送信し、脳がその感覚の情報処理をして、認識をするというシステムなのではないだろうか。

 つまり、全て我々は感覚として受け止めて認識するということは、正確な情報を入手するという前提で、しかし正確な感覚情報を入手したからといってそのまま認識できるということではなくて、その感覚を脳が情報処理して初めて認識できるのである。

従って、正確な感覚情報が入手できなければ、どんなに脳が優秀であっても正確な感覚として認識できず、どんなに正確な感覚情報を入手していても、脳に情報処理能力がなければ、その能力なりの認識しかできないということである。

 感覚器官の感知能力も脳の情報処理能力も訓練によって、それぞれに能力を高めることができ、それは互いに関連して相乗効果を示すようにその能力が高まるのである。

 つまり、脳の情報処理能力を高めれば、感覚情報を感知する感覚器官の能力が高まり、感覚器官の能力が高まれば、脳の感覚の情報処理能力が高まるということで、互いに関連し合うことで双方の能力を高めることができるが、片方だけを高めることはできないし、片方だけが高まってしまうということもないのである。

 脳の情報処理能力が高まらなければ、感覚器官の情報収集能力は高まることはなくて、つまり情報処理能力が高まらなければ感覚情報を感知できないのであり、感覚器官が高まるということはあり得ないのである。また、情報能力だけが飛躍的に感覚器官の情報収集能力をさておいて、高まってしまうということもありえないのである。

 脳の情報処理能力と感覚器官の情報収集能力とは、一緒に連動して訓練しなくては、その能力を高めることはできないのである。

 そしてその訓練とは、感覚器官で感知した感覚情報に一々心を砕くことで、ボールを投げても、只目標に投げるだけではなくて、ボールが手の指先から離れる瞬間まで意識を切らさずに、テンションを追いかけるようにすること。
 マクロとしてボールを、目標に向かって正確にコントロールして投げようと思うが、決して運動器官である腰や肩や腕や手首や指先を意識的にコントロールしようとせずに、只目標に向かって投げ、その時に感じる感覚情報を気にかけるようにする。

 只それだけである。


 感覚情報に心を傾注して、ものごとを行うように努めることが訓練なのである。

 すると次第に、映像も音も触感も音声も時間や空間も正確に感知して、且つ認識するに至れば、感知している情報は鮮明になったり繊細になったり詳細になったりして、あらゆる景色が事細やかに認識できるようになり、認識できるようになれば、そのものを意図的に操作することができるようになるのです。
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