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Arena Condition

AM 10:00 September 1, '11(Thursday)

 今日から9月で、新学期が関東地方では始まりました。長い夏休みが終わって、子供達はがっかりで親たちは静かになって嬉しさを感じるのがこの時期です。

 曇り空でも雨が降りそうで、それでも時折強い日差しがあったりと、不安定な空模様です。

 9:00現在30℃です。

 馬場は、不良のコンディションです。水溜まりはなくて、水が引いた状態で浮いてはいません。

 強い日差しがあれば、直ぐにでも回復してしまう状態なのですが、天気予報では、1日中雨が今日明日明後日と降るように言っていますが、どうでしょうか、台風は西へとどんどん進路を変えて、関東地方からは反れていってますので、天気予報通りには行かないのではないでしょうか。



 「意識と動作と結果」

 意識と行動が一致することは、スポーツや体を使う技術的なことも、人とコミュニケーションしたり生活したりする場合において、最も重要なことだというのが常識となっています。

 「意行合一」「言行一致」という言葉で表現されています。

 意識と行動が一致しないということは、とても危険で信頼性を失うことであり、行動と結果とに関連性がなくなったり、結果を意図的に創造することができなくなったり、そして最も重要なことは自分自身に誇りや自信を持つことができなくなってしまうものなのです。

 しかし、意識と行動が一致しないことは、普段何処にでも転がっていることで、珍しいことではありませんが、問題はその自覚があるかどうかです。そして、意識と行動の不一致の自覚があれば、一致させようという思いを持つと論理分析すると誰もが異存がないのではないでしょうか。

 意識しているのに体が動かないということは誰にでもあることで、意識と動作が一致するには、それなりに訓練をしないとできないもので、一致しない要因には二つのケースが考えられ、一つは意識していても体が思うように動かないという場合と、つまり自分の手足を思った通りにコントロールする能力が低いケースで、もう一つは頭では総体的にこうしたいという意識を持っているが、そのために腕や足を動かそうという具体的な意識が働かないという場合です。

 誰もがお茶を飲もうと思うと、目の前にあるお茶の入っている湯呑みを口元へ運び、お茶を飲みます。
 この時の意識は、お茶を飲むというもので、動作は腕を伸ばして湯呑みを掴んで口元へ運ぶということです。普段の何気ないお茶を飲む行為の中で、お茶を飲むという意識をするだけで、腕と手を使って湯呑みを口元へ運ぶことは意識しないもので、お茶が飲めたという実感でその行為が意識通りに完結したと確認されるという仕組みです。

 お茶を飲むように慣れた行為だと意識は結果のみのことを思うだけで、体はその目的を成すために自動的に作動するように、行動までを一々意識することはありません。しかし、慣れないことや初めてやることや苦手意識を持っていることとなると、自動的にフィジカルが作動しないものだから、動作や運動そのものを意識しようとします。

 つまり慣れたことや熟練したこととなると、意識は目的のみや結果のみを意識するだけで、フィジカルのことまで意識しなくても自動的に作動して、目的や結果を成すことができて、慣れないことや苦手なことや初めてやることになるとそうは行かないので、目的や結果を意識して、且つそのための動作もまた意識下に置かなくてはならなくなると考えるのです。

 その結果、腕や足をこのようにとかあのようにとかと考えたり指導を受けたりして、意識的に腕や足や腰を運動しようとする。このことが中々上手くいかないと、腕や足腰を動作させることを強く意識するようになって、益々上手く行かないという循環を作ってしまいます。

 問題は、最初に意識した結果や目的に対する意識が薄れて、フィジカルの動作を細かく意識することに偏ってしまうことなのです。

 飽くまでも意識することは結果や目的に限定しなければなりません。そのために行う動作や行動そのものを、意識することをしてはならないのです。
 結果や目的を極力段階的に細分化して、刻一刻と訪れる結果を意識下に置くようにすることによって、反射神経や感覚神経が機能して合理的動作を作りだしてくれるというシステムです。

 結果や目的を段階的に細分化することは大変困難なことだから、サンプル映像をイメージする際にトータルとしての完成形を取り込むと同時に、DVDの映像がチャプター毎に区分されていて、リモコンの操作で一気にチャプターを飛んで目的のシーンを取り出せるように、可能な限りサンプル映像をチャプター毎に分類するようにして、イメージとして取り込むように工夫するのです。
 細かなところまで心が行き渡るということは、できるだけ細かく行動や動作のトータルを区分可能な限り分類をして、その細分された段階の結果が訪れる度に、その結果の良否を的確にジャッジして、絶えずイメージ通りの結果を求めて妥協しないようにできている状態をいうのです。
 この意識を持ち続けることで、腕や手足の動きはイメージで追いかけるようにして、決して意識的に手足を直接的にコントロールしようとしてはならないのです。

 このように意識は、できる限り細分化した結果に限定して持つようにして、その結果を妥協せずにあくまでも理想の結果を追求していくことによって、意識と結果との間を埋める感覚が自然に宿り、結果を意識的に誘導できるようになるのです。
 そして、自然に自分の望む結果を誘導できる事前の感触を追求するようになるから、結果を意識するだけで感覚機能が働き、自動的にフィジカルが動作を起こして結果を、お茶を飲むのと同様に導き出すのです。
 そして、動作を感覚が監視すると同時に、思い通りの結果を誘導できる感触を生み出すことができるように、フィジカル運動を誘導して最初に意識した通りの結果を作り出せるようになるのです。

 「意行合一」や「言行一致」とは、意識と行動を一致させることではなくて、意識と結果を一致させることにあり、徹底して行動の何処を切っても現出される段階的結果が、意識と乖離していないことをいうのです。
 意識と行動や動作を一致させたところで、結果が意識と乖離しては意味を成さないし、つもりという言葉がこのことによって入り込んできてしまうのです。
 何処を切っても意識と現出されているその時の状態が、意識と乖離していないことが重要なのです。

 世の中では、意識と行動とを一致させようという教訓が大勢を占めているが、このことが大きな間違いを作ってしまっていることなのです。つまり、このことによって、意識と行動を一致させるという認識が、つもりという身勝手が起きる要因になっているのです。


 飽くまでも慣れている日常的なことであっても、不慣れなことや初体験や高い技術を要するようなことであっても、結果や目的を意識下に置いて、決して行動や動作そのものを意識下に置いてはなりません。
 行動や動作は飽くまでも、サンプル映像があればその映像を、なければ空想でもその映像をイメージして、そのイメージ通りにフィジカルを運動するようにするだけで、決してフィジカルの運動を意識的にコントロールしようとしてはならないのです。

 本来は、「意行合一」は「意果課合一」であり、「言行一致」は、「言果一致」なのです。果とは、成果の果であり結果の果なのです。

 意は、意識でありインテンション(intention)でコンシアス(conscious)なのです。果は、成果であり結果なのです。
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