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Arena Condition

AM 9:20 July27, '11(Wednesday)

 今朝も曇っていて、ほんの少し霧雨が降っていました。

 ただ今の気温は、27度です。今日明日は、一時雨の予報に変わりました。


 馬場は、ベスト状態です。



  「ナチュラルシンキング」

 人は上手くなりたいと思えば、自ずとどんな方法で上手くなれるのかと思うものだ。
 そして見つかった方法で、上手くなろうとする。

そしてまた、やっていく内に分かったことが増えていき、方法や目的に修正を加えながら上手くなろうとする。

 更に、上手くなろうと行動する中で、その進展がどのようになっているかにもまた大きな関心を持ち、選択している方法に対してこれで良いのか悪いのかと検証をする。

 以上のような行動や考えをするのが自然だと思われるが、中々この自然な現象が見られないのは何故なのだろうか。

 大部分の人達を見る限り、理解できないような行動をする人が多いのは、不思議でならないのである。

 ある人が、そんな人にも解りやすく説明できなければいけないとか、上達させられなければいけないといわれて、よくよく考えて工夫を凝らすが、どうしても越えられない壁が立ちはだかってしまう。

 先ず、上手くなりたいという目的の進展が、思わしい状態なのかそうでないのかという判断をしているのかどうかという疑問を持つ。

 想像すれば、その人達の人生において、上達を実感しながら進展していくという経験をしたことがないのではないかと思う。また特に、自分なりに上達する計画や戦略を立てて、それを実行してその通り上達した経験がなく、何となく練習を繰りかえしていく内に、コツを掴んだりある日突然できたりして、上達した経験しかないのである。


 そしてまた、はっきりと進展していないのに、何の藻掻きや葛藤が見られないのである。はっきりとこれで良いと実感したことがないから、何となく悪くはないのではないかと思いたいという心理が働いて、進展しないとか現状の打開ができないとかいう藻掻きや葛藤が生まれてこないのかも知れない。

 上達するというイメージがないのではないだろうかとも感じる。

 色々な場面で、上達とはというプレゼンテイションをしても、このことについて正面から疑問に思ったり、どんなイメージなのだろうと探求心を持ったりしてくれないのである。

 良く観察してみると、どうも上手くいっているという風にも思っていないようなのである。しかし、全く失敗しているとも思っていないようで、世の中というものは、そんなものだというイメージを持っているかも知れない。
 この表現も上手く合致しているわけではなくて、上達とはどんなイメージのものなのかを認識することがあるのだろうかという疑問を抱くのである。

 兎に角、色々な例え話をしながら問題について話しても、理解できないのか理解したくないのか手応えがなく、その時理解できなくてもあれほど言うのだからと思って、理解できるまで課題として持ち続けるということがないのである。

 また、幾つかの要素を組み立ててある一定のことが成り立っているというメカニズムを、話して聞かせるとその時は理解しているように感じられるのだが、実際に行動しているときや結果を振り返っているときに、そのメカニズムを考察しているようには推察できないのである。

 問題の認識も脈絡を感じられない。

 ある結果が出たときに、それまでの過程の中のどんな要素がどんな作用をして、必然的に引き起こされたのかを考えはしない。

 そして何より問題であり不思議なことは、今どうなっているか、どんな影響を自分は与えているか、その時に最大の関心を持たなければならないとき、自分がいないのである。しかも、自分がいないことにも気付いていないし、気付こうともしていないのである。

 理解困難なのは、意識的行動であるにも関わらず、行動中に手を動かせばその手の動きがどのようになっているのか、足を動かしているのであればその足がどんな動きになっているのか、腰を動かしているのであればどのように動いているのかなどを意識的に追跡しているのが当然なのに、意識が違うところにいってしまっているのである。

 一回毎に自分と話をして、その行動について結論を出すということがないのである。

 運動の中で幾つかの留意することを持つ。

 例えば、脇を締めたり腕を真っ直ぐにしたり掌にあるテンションを感じたりというように、意識的に斯くありたいと思ってある運動をする。
 そして、その運動をして結果が出る。

 一回毎に、意識的に留意していることと結果とを関連づけて考察し、このテンションだとこの結果になって、また違うテンションだとこの結果になるというように、一回毎に自分なりに結果について結論を出す。

 すると、最初は良い感触であっても結果が良いときと悪いときが混在したり、感触が悪いのに結果が良かったり悪かったりというように、結果と感触に関連性がないのである。
しかし、一回毎に感触と結果を関連づけて結論を自分なりに出している内に、徐々に感触と結果が一致するようになるのである。
 また、練習している内に、当初留意しなければならないと考えてきたことが、変化しなければならなかったり、違うポイントに移行しなければならないと思ったりするから、その度に留意事項が変わるのである。
 それでも一回毎に結論を出すことをし続けさえすれば、行動は正しく導かれて上達することができるのである。

 現状認識において、自分は正しいし上手くいっていると思っている場合、その思っている認識を何らかの根拠を用意して証明しなくてはならない。自分の現状認識を、自分の感覚だけて結論としてはならないのである。

 現状認識の証明が難しいと思える人は、それだけで現状認識が独り善がりになっている証拠だといえる。何故なら、普通は現状認識そのものを断定するには、客観的に認識しようとした結果であるから、いざ証明せよと問われても簡単にできなければならないのに、それが難しいと感じるのであれば、その現状認識そのものに客観性がないといわざるを得ないのである。

 さて、正しい現状認識をするには、どうすればいいのだろうか。

 それは、大変簡単なことで、結果のみで考察すれば良いだけのことである。何の説明も必要としない結果のみで、結論づければいいことである。結果が抜きんでて評価されるものでないにも関わらず、現状認識を良としているのであれば、その認識が間違っているということだ。

 そこに一切の言い訳や説明を、要しないのである。

 何回も何週間も何ヶ月間も何年も現状のままになっているのであれば、それだけで普通は現状が悪いという決断を下して、その打開を期すというのが自然である。しかし、この現状にあって、最悪な現状だという決断ができないのは、大変不自然であり思考力を疑う。
 そして、現状が決して悪くはないとする自分に対して、言い訳をし、説明している自分を恥ずかしいと思わなくてはならない。

 自分の現状認識を、如何に客観的判断であるようにするかという命題は、誰でも自然に持っている方向性で、その現状認識を理論武装して、斯く斯く然々という説明が諄いこと自体が、現状認識が間違っている証拠なのである。

 ナチュラルシンキングは、容易な思考で難しいということはないのであるから、誰でもできるがこれを困難なものとしてしまっている要因は、周りの目であったりこれまでの実績であったり立場であったり地位であったりするのである。
 周りの目も実績も立場も地位も、何ら自分を説明するものではない。自分を説明するものは、自分が作り出す現状そのものなのである。
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