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Arena Condition

AM9:30 June 14, '11(Tuesday)

今朝はどんより曇って梅雨真っ直中といった感じの天気です。

 馬場は、不良のままでよるには雨がまた降りそうです。


 

  「考えるシステム」

 人間は、考えるシステムを誰でもが持っている。

 目的を持ち、その目的を完遂するためのプログラムを考えて、そのプログラムを実行するための条件を検索して、検索して得た条件を具備するために、材料をリストアップして、工作器具を揃えて、プログラムを実行する。

 必要条件の絞り込みをする。
つまり必要条件を揃えるために、その可能性を吟味する。そして可能性のある中で、難易度や重要性やプライオリティなどのキーワードで、この可能性のある条件を検索して絞り込むのである。

 このような思考のシステムが誰にでも組み込まれているから、重要性の高いことでも日常的なことでも、習慣性の高いことでも、突発的なことでも予期していることでも、危機の伴うことでもそうでないことでも、全てにおいてそのシステムに従って思考するのである。

 しかし、ことは目的が偶像と非偶像とでは、人によってどうもそのシステムの機能が起動するかしないかが違ってしまうのではないだろうか。

 具体性のあること、つまり物作りや料理などの家事やスポーツなどでも、目的とするものに偶像性のあるものに対しては、その考えるシステムは働くようである。
 
 ものを作る場合、作るものが机とか料理とかのように偶像性のあるものは、そのために、必要となる条件を整えて作業をする。
材料を揃えるにしても、その容易性やコストなどを条件として思量するし、実際の作業をするにしても難易度や優先順など考えて行うのである。

 しかし、目的が非偶像性のものを対象となると、その考えるシステムの機能が人によって、働く人とそうでない人とがいるようである。そして人によっては、全く働くことがない場合があるようである。

 それは、目的が幸福とか満足とか充足とか安心とかのような精神的なものだったり、また技術的な上達とか安定とか能力とかのようなものだったり、つまり偶像性の乏しいものと偶像性のものとによって、考えるシステムが機能しやすかったり難しかったりするのではないだろうか。

 本来は偶像性のあることでもないものでも、考えるシステムが変わるわけではない。

 イメージした目的を手に入れるために、どんな必要条件を揃えなければならないか、そしてその条件をどのような方法で組み立てるのか、その手順はどのようにすればいいのか、以上のように考えるシステムを機能させれば良いだけである。

 そして実行に移したときに、段階的結果を得ることになり、その結果によって検索した条件の過不足がないか、組み立てる方法は正しく行われたのか、その手順はどうだったかという検証を行い、条件方法手順などを見直して、再度実行するということを繰り返して、目的を手に入れるのである。

 何故、非偶像性のもが目的の対象となると、思考が働かなくなるのだろうか。

 実態に偶像性がないとなると、手に入れる方法もまた具体性に欠けるわけで、病気を治すにしても怪我をした場合と内科的病気となるとその治療法が違ってくるように、内科的病気でも細菌性のものは怪我をした場合と同じだが、その治療法は全く違ってくるものだ。

 本来治療法は内科的病気であっても外科的病気であっても、本質は同じなのだが、病気の原因が怪我や細菌などの場合は、その病理の対象がはっきりしているから、その原因を取り除くことを第一に治療のされるのである。
 一方内科的病気となると特に精神的領域となると、その原因を特定し難いから対処療法となって、症状を抑えている内に自然の治癒力を待つというような治療になってしまうのである。

 しかし、本来は非偶像的なものでも、それらを形成している成分は確定されるはずで、その確定された成分にある特定したエナジーを与えることによって、組成しているのだから、非偶像性のものでもそれらの必要条件を具備することによって、手に入れたり身につけたり作成したり創造したりできるのである。

 非偶像性のものの場合は、その組成成分や構成要因を特定しきれない割合が偶像性のあるものより高いということで、分かっている範囲で良いからその要素を特定することから始めなければならない。

 例え成分の一部しか解明できなくても充分なのである。
しかし、一部しか解明できていないという認識が重要で、その認識さえあれば、その解明している一部の成分を手がかりに、目的を求める。
 そしてその進展に従って成分の解明もまた推し進めて、解明した成分が増加したり間違いの修正をしたりして、紆余曲折しながら目的に辿り着くのである。

 目的に辿り着くまでの道程で、構成要因の分析が同時進行して技術を獲得したり理解を深めたりして、非偶像性の目的を達成するのである。

 非偶像性の目的を達成するために、漠然と誰でもがスタートして、技術的なことであれば繰り返し繰り返しフィジカルを訓練して、やがてフィジカルが反応し始めコツを掴んでできるようになるのであるが、この時にこの技術の構成要素を分析しながら進む人とそうでない人がいて、構成要素を分析しないで訓練する場合は、その技術を掴んだとしても応用性が悪かったり更に進化するのが困難だったりするのである。
 そしてその技術を身につけても、その経験によって新しい技術や今までにないものを創造したりすることに、役立つ可能性が乏しいのである。

 つまり、思考のシステムが向上しないのである。
 むしろこの技術を獲得したという成功に拘泥されて、違う発想ややり方を工夫して新しい切り口に挑戦することができなくなってしまい兼ねないのである。
 一般的に子供は感性豊かで感受性が強く、大人や年を重ねた人は、感性が鈍くなって感受性が弱くなってしまうものだというのが定説だが、これは技術の獲得や経験によって蓄積した能力の身につけ方に問題があって、つまり技術にしてもその他の能力についても、それらの構成要因を追及しながら身につけて来ないから、その能力の獲得によってその能力に拘泥するようになってしまって、その能力を否定するようなことができないものだから、経験を積めば積むほど、技術を身につければつけるほど、その技術や能力を否定したものの見方や考え方ができなくなるものだから、発想が狭くなったり感受性が弱くなったりして、どんどん視野が狭くなってしまうのである。

 当然ように、経験を積めば積むほどに、思考のシステムが機能しなくなるのである。

 しかし同じ技術や能力を身につけても、その技術を支えている要因や能力を司っている要素を解明しながら身につけていけば、その解明した要素の組み替えをすれば、身につけた能力を無限に展開することもできるし、新しい体験やものを見たりしても、その構成要因を探るように見るようになるから、理解することが速いし本質を見抜くことができるので、感性がより一層豊かになるし感受性も旺盛になるのである。
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