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Arena Condition

AM 11:00 February 18,'11(Friday)

 昨夜から今朝に掛けて台風のような豪雨でした。

 まだ曇っていますが、これから晴れて週末は、天気が良いようです。只、朝晩は、とても冷えるようです。

 天候の不順は、春近いという証しでしょう。

 各地で、梅の便りを頻繁に聞くようになり、梅祭りのイベントがあるようです。



 

 「思考力を高める。」

 俗に頭が良いという定義は、記憶力、判断力、理解力、思考力などがいいということだろう。しかし、現代社会で行われている教育は、知識教育でもっぱら記憶力を使うものである。

 ものごとを判断するにも理解するにも考えるにも、知識がなくてはできないと世間一般では思われているので、知識を得るというのが教育の中心に座っているのであろう。

 しかし、知識なんてなくても、理解も判断も考えることも実際はできるのである。むしろ知識があると、理解も判断も思考もその知識に拘泥されてしまい、大きな間違いの元となってしまう。

 もし知識がなければ、物事をどのように理解するのだろうか。

 持っている五感で感じた情報を手がかりにして、理解しようとするだろうし、もし理解が難しい場合は、感覚的に課題となったものの正体を、理解するために必要だと思うことを調査して知識を得る。そしてこの得た知識が該当するものなのかどうかは、飽くまでも感覚的に納得できるものかどうかで、納得できなければ納得できるまで調査して、納得できる知識にやがて到達するか新しい理論を組み立てて理解するのである。

 つまり、知識がなくても理解も判断も思考もできないと思っているのは、現代人の大きな過ちで、早くこのことに気付くべきなのである。

 物事を理解するために、自分の手や足などの体で感じることから始めずに、記憶している知識から該当するものを、抽出することから始めてしまう人のことを馬鹿というのである。

 さて、頭を良くすることを誰もが願うが、その方法を誰も知らないし、学者達があれこれと講釈するが、誰でもが気軽にできることでなかったり、年齢的に手遅れだと思ったりして、結局効果が特別上がったという話は聞かない。

 一部英才教育を施している幼児教育などの分野で、効果を上げているという話がテレビや雑誌で話題になることはあっても、ある種の訓練を施して効果を上げているに過ぎずないのが現状なのである。

 そして、小・中・高・大学と日本における教育の中枢機関において行っている教育法では、頭を良くすることはできず、偶々今の教育法にマッチしている人が評価される結果を出しているに過ぎないのである。

 しかし、国家が引いたレールに沿った教育法に馴染まず、はみ出してしまった人が、例外的に実社会において自分にあった教育法を見つけ出して、類い希な成果を上げる事ができた人が沢山いる。

 この結果は、例外的に扱われるに過ぎず、国家が敷いた教育のシステムでは芳しい成果を上げる事ができなかった人が、違ったシステムによる教育によって躍進を遂げたことは、本来例外として扱うのではなく、調査研究してその飛躍的効果を上げる事ができた要因を、明白にしなければならないのである。そうすれば、万人の能力を引き出せる効果的な教育システムを、創出できる可能性を見出せるかも知れないのである。

 例えば、江戸時代末期において、アジア諸国は例外なく欧米から浸食されて、国民が奴隷にされたり国土は植民地化されたりした歴史がある。

 このとき、例外的に日本だけは、植民地化することなく国民が奴隷として売買されこともなかったのである。

 日本がこの危機的幕末の時期に瀕したとき、救ったのは武士階級特に下級武士の階級の人達の憂国の魂と行動にあったことは、誰も異論のないところである。

 何故この下級武士達が、日本の独立の堅持と近代化への革命的偉業をなしえる知恵を持っていたのか。その事実を究明しようという活動が、教育者の中にないのは何故なのだろうか。

 武士階級の基礎教育は、漢文の素読であった。そしてその漢文は、哲学そのものであったのである。
 つまり、武士階級では漢文の素読によって、ものの考えから価値観までを基礎教育として行ったのである。

 私が考える頭を良くする方法は、体を動かして物事を行うのに、最初に記憶している知識に頼ったり、知識を先に欲したりしてはいけないということだ。

 つまり、頭を良くするためには、知識に頼ってはならないということだ。

 更にいえば、体を動かしてものごとを行うときに、考えてはならないということである。

 具体的にいえば、自律神経でコントロールする分野に大脳が介入してはならないということで、例えば、茶碗を持ってお茶を飲もうとするとき、大脳はお茶を飲もうと思うだけで、そこから先である腕を動かしたり指を使ったりするところは、自律神経がコントロールしているので、この分野に大脳が介入して実際に指の筋肉を、コントロールしようとしてはいないのである。

 体を動かして物事を行う場合に、その理想型や優れた映像を見て、脳裏に焼き付けるようにする。焼き付けるとは、イメージできるようにするという意味である。

 そうしてできたイメージを、脳裏に浮かべながら体を動かす。

 このとき、例えば人差し指をそっと柔らかく何かに触るように動かさなければならない場合、大脳はそのように思うだけに止める。決して実際に人差し指の筋肉を頭でコントロールしようとしてはいけない。そして手をイメージしたまま動かして練習をする。
 
 このとき最も重要なことは、その運動で感覚的に「これで良し」と思えるまで徹底するということである。「これで良し」という判断を、決して頭でしてはならない。
 感覚的に心から「これで良し」という思いが湧きあがるまで、徹底して追求しなければならい。

 この感覚的に心から「これで良し」と思えるまで追求してできるようになることが、頭を良くする第一歩なのである。

 頭が良くなるには、才能などというものは必要ないのである。

 必要なことはほんの少しの忍耐力である。
 
 何故ほんの少しの忍耐力で良いかというと、「これで良し」と心から感覚的に思えるまで徹底する忍耐力で、たった一回「これで良し」を感覚的に掴むことができれば、第二回目からは「これで良し」の世界が広がっているから、ほんの少しの忍耐力も必要なくなるのである。

 「これで良し」が積み上がっていくと、思考力が高まるのである。

 何故なら、ものごと成し遂げるメカニズムを体験的に理解するから、そのメカニズムを基盤として、様々な発想をしたり応用を考えたりすることが、容易にできるようになるのである。

 世の中の成功者が、このことを証明しているのである。しかし紹介の仕方が、ミラクルとして演出するから、一般人には当てはまらないというように伝わってしまうのである。

 例えば、イチローの場合は、必ず決まった基礎運動を、誰よりも徹底して毎日行うのである。その中で、イチローは様々な進化を現実のものとして手に入れて、偉大な結果を残しているのである。

 誰もが簡単に、真似できることなのである。

 偉業を成し遂げた多くの人のケースは、万人に当てはめることができる方法なのであり、決してミラクルなのではない。
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