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Arena Condition

AM 9:30 November 6, '10(Friday)

 昨日の予報とは違い、今朝は、良く晴れました。気温も過ごしやすい気温まで上がりそうです。

 馬場は、ベスト状態です。

 

  「判断の根拠」

 「判断の根拠は、感覚。」と応える人は、日本の世の中にどれ位いるだろうか。

 子供の頃は、殆どが受けている感覚で衝動的に行動が決まる。ところが大人になると、知識や経験を積んで思考力が付くものだから、判断する根拠がその体験や学習で得た知識でもって、論理的根拠に基づいてしてしまう傾向になる。
 
 そして、人間の感覚はそう当てになるものではないし、人間の感覚は、錯覚し易いものだから当てにしてはいけないと思い込んでいる。

 判断する根拠は、論理的思考に基づくことが、正論だと思い込んでいる大人達が大勢を占める。
 ところが世に名人と謳われている人は、全て感覚が優れている。つまり錯覚に陥りやすい感覚を訓練して、極めて客観的に信用できる水準まで引き上げているのだ。

 子供のように衝動的に感覚の赴くままに、行動することが良いわけではないから、大人に成長するにつれて、論理的思考に基づいて判断するのが賢いと考えられてしまうのである。

 感性という言葉がよく使われていて、感性を磨くとか子供は感性豊かであるとか、子供の感性を喚起するような教育が重要だとかいわれている。そう言われているにも関わらず、感性を磨く教育は、今の学校教育のプログラムに一切組み込まれていないのである。
 大体において、我々は、感性ということを知ろうとしていないし、よく知らないのが実情で、沢山の知識を記憶することが感性を磨くことにも繋がると思われているのかも知れない。むしろ知識の記憶教育は、感性を鈍らせることになっているのである。

 そしてまた、人間は、知識が豊富でなければ、何事かを選択するのにその選択肢が少なくなってしまうと思われている。選択肢は、より多くの知識から生まれるのではなくて、豊かな感性に基づき自由な発想があってこそ、できるものなのである。
 だからこそ、何事においても判断の基準は、本人が感じる感覚でなければならない。

 人を誉めるでも、叱るでも、話しかけたり挨拶したりするタイミングでも、息を吐いたりすったりするタイミングも、体を曲げたり伸ばしたり、相手を引いたり押したり、物を作ったり壊したり買ったり売ったりと、全ての行動の判断は、本人が何らかを感じた感覚で判断しなければならない。

 しかし、世に頭でっかちといわれる人は、体験や知識を元に判断してしまう。
論理的思考によって判断を下してばかりいると、どんどん感覚は鈍ってしまって、鋭くそして正確になることはない。
 つまり、大脳でばかりで判断を下していると、感覚は機能しなくなって、極めて危うい判断を下してしまうのである。ただ、このように大脳が物事の判断を下している人は、その自覚がないから矯正することは大変難しい。

 大体大脳が、行動の判断を下して何が悪いと思う人がいるだろう。

 何故医者は、臨床医学をやらなければならないか、何年も大学で学んだ後インターンで臨床体験をしなくてはならないか。

 何故、一級建築士は、紙に絵は描けても建物を建てることができないのか。

 何故、経済学者は、商売で金儲けができないか。

 何故、天気予報士は、天気図を見て天気を予想することができても、朝の空を見て午後の天気を予測できない。

 それぞれ学問を積んだ人達が、机の上で仕事をすることはできるが、肌で空気を感じて判断を下すことができないから、実際に空模様を見て天気を予測することもできないし、開腹してお腹の中を見ても、どれが大腸でどれが心臓のどの部分なのかを知らなくて、ましてどの部分が病原菌に冒されているのかを感覚的に判断できなければ、的確な治療をすることはできない。

 料理本のレシピを一々見ながらやっているコックを見たら、そのレストラへ二度と足を運ぶことはないだろう。

 人前で話したり説得したりする場合でも、その場の雰囲気や相手の精神状態を感じて、臨機応変に話の抑揚を変えたり、話題の順序や構成を変えたりできなければ、聞いている人達を感動させることはできないし、相手を説得することもできない。

 何故映画は、場内を暗闇するのか。それは映写精度を良くするためであったかも知れないが、観客を映画の情景に吸い込んでしまうことにとても役立っているのである。

 知識や体験によって得られた情報は、感じている感覚を論理的に分析したり解釈したりするためには役に立つが、今それをやるべきか、後に良いタイミングがあるのではと判断するのは、その時に感じている感覚に基づいていなくてはならない。

 だからこそ、日常的に今自分が体のどの部分でどんな感覚を感じているのかを、認識するように努めて意識するようにしなければならない。そしてその認識している感覚が果たして正確であるのかどうかを、何らかの工夫によってチェックして、日々自分の感覚をより正確へと導いておくことが、来るべき判断を要するときのために備えることなのである。

 こんな言い方をすれば、仰々しいように感じてしまうが、実際は大したことではなくて、腕を動かしたり足を動かしたり、頭を動かしたり腰を動かしたりする度に、どこかの部分で感じている感覚を気に掛けて、認識するようにするだけのことである。

 気を落ち着けて、指先などの体の先端の部分にどんな感触を感じているのかを、認識するように意識を傾けている内に、意識せずとも認識できるようになるものであるから、面倒がらずにこれを励行して、早く無意識に体のどこか先端部分で感じている感覚を認識できるような人になりたいものだ。

 第一歩を意識してスタートしなければ、それは始まらないもので、やっている内に感じている感覚を認識できるようにはならないから、意識して動かす体の先端部分で、今どんな感じを受けているかを意識するように、気を傾けなくてはならない。
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