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Arena Condition

AM 10:30 October 25, '10(Monday)

 どんより曇って時折雨が落ちてきます。馬場は水が浮いてしまいました。明日もまた今日のような天気のようです。

 今年の夏とは打って変わって、すっきり晴れた日が続きません。敵を取れているようです。

 こんな歳もあるでしょうね。こんなときはのんびりして、物事をじっくりと考察してみてはどうでしょうか。

 

 [絶対できる。できないはずがない。できる可能性100%。できない可能性は、0%。]

 何かを議論していると、多くの人の反応から「真理だ」「真実だ」「絶対できる。」という確信を追求しようという気概を感じられない。

 物事を[疑う]ことと[信じる]ことは同じことで、最初から「真理」や「可能性」を追求しようという気がないということは、「信じる」ことも「疑う」こともしないということである。「疑う」ことと「信じる」こととは、何故同じかといえば、微に入り細に入りその論理に矛盾はないか、整合性はあるのか、可能性はあるか、あるとすればどれくらいか、不可能だとすれば何故不可能なのか、可能だとすればその根拠は?という具合に、「疑う」と「信じる」とは、結局そのことについて真剣に向かい合って、論理分析をすることで、その切り口が「疑う」から出発するのか「信じる」からなのかというだけで、その物事を追求することには変わりはないから、真実に突き当たり「疑う」と「信じる」とは、結論が同じになるのである。
 しかし、「疑う」ことも「信じる」こともしないということは、真実に突き当たることはないのである。

 ここで、もう一つ落とし穴が潜んでいるのである。それは、「信じる」という行動に、「鵜呑みにする」「正しいと思う根拠を追求しない」などが、極めて問題だ。勿論「疑う」にも落とし穴が潜んでいて、「取り合わない」「疑う根拠を追求しない」「疑い続けない」などがそうで、これらは真実を見いだすことはできない。

 従って、物事を信用したり疑ったりするにしても、そのまま置き去りにしないで、それらの根拠を追求しなければならなくて、特に可能性に関わることであれば、「できる」「できない」という思いに関わらず、その根拠を追求する必要がある。もし根拠を追求しないで、「できない」と断じてしまえば、本当にできる可能性を0%にしてしまうことになり、「できる」と信じたとしても、その根拠を追求しなければ、その方法も手順も明確にならないから、結局は可能性を実現できないのである。
 一般的には、「疑う」選択をして、その根拠を探した方が、「信じる」を選択して盲信しないように努めることよりも、容易なのではないだろうか。「信じる」でもその根拠を求めさえすればいいが、「信じる」を選択してしまうと、その根拠を追求しないで盲信してしまう可能性が高くなってしまうのである。

 大切なことは、「できる」か「できない」や「信じる」か「信じない」を選択するまえに、必ずそれらの根拠を追求しようという意思が必要だ。

 「できる」「できない」の選択においては、「できない」を選択して、その根拠を列挙すれば、「できない」根拠を消去でき、「できる」根拠を見つけることに繋がる。只「できない」を選択したときに、その根拠を求めないで、否定したきりにしてしまいがちだから注意しなければならない。
 「できない」の選択は、選択したという認識を持たない。何故なら「できない」と選択するときの心情は、「仕方なく」や「「やむを得ず」などといった心情で、能動的に選択したのではなく「できない」は客観的事実だからどうしようもないと思うからである。
 この認識を変えなくてはならない。「できない」を選択したのは他動的に、「仕方なく」「やむを得ず」という根拠で選択せざるを得なかったという認識でも構わないから、何故可能性がないのかについて、わかりきっていると思っても無駄だと思っても、その根拠を列挙してみる必要がある。列挙してみれば、案外不可能な根拠が崩れてしまうものだし、そうでなくても数%の可能性を見いだすことができるかも知れないのだ。

 「信じる」「信じない」つまり信憑性の選択は、「信じない」の方の選択には、その根拠を探すという意識が働きやすい。つまり「信じない」の選択には、能動的に選択したという認識を持ちやすく、「信じる」の選択には、能動的に選択したという認識を持たない傾向にある。つまり否定的選択に、強い能動性を持ち、否定的選択には他動性を強く感じてしまう傾向にあるということである。

 また「できる」「できない」という可能性の選択においては、「できる」の選択において能動的選択を認識し、「できない」の選択においては、他動性を強く認識する。つまり肯定的選択に能動的認識を持ち、否定的選択に他動性を認識するという傾向にあるということだ。

 信憑性の選択では、否定的選択をした場合に能動的認識を持つから、なるべく物事を否定的に仮定すれば、自然にその根拠を探究して、正しい選択に近付くことができる。
一方可能性の選択では、肯定的選択をした場合に能動的認識を持つから、なるべく物事を肯定的選択に仮定すれば、自然にその根拠を探究して、結果的に正しい選択をすることができる。

 「疑う」も「信じる」もその根拠さえ求めれば、結局真実に突き当たり信ずるに足りるのか信ずるべきではないのかが分かるのであるから、物事に対してその根拠を求めるという心情が自動的に起きるように仕向ける必要があり、この心的運動が必然的の起きるようにすれば、作為的に物事をコントロールしようとしなくて真実や真理を探究することができるから、どうすればその根拠を自動的に探究するようになるかを考える必要があるいうことだ。

 そしてそれは、多少人によって能動的認識を持つ選択が違ってくるから、自分の特徴を自覚する必要がある。肯定的選択に能動的認識を持つのか、否定的選択に能動的認識を持つのかを自覚して、どちらにしても特に能動的認識を持たない方の選択をした場合にも、その根拠を求めるようにしなければならない。
 つまり、選択した根拠は、それが肯定的でも否定的であっても必ずその根拠を求めるということである。
 「できない」や「信じない」という選択しても、必ずその選択の根拠を求めることが重要なのである。

 そうすれば、必ず可能性や理解度を増すことができるのである。
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