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Arena Condition

AM 10:00 October 1 , '10 (Friday)


 今にも雨が降りそうな曇り空ですが、これから晴れるようです。今日明日天気が良くなりそうで、暖かくなりそうです。

 馬場は最悪状態です。

 

 「被害者意識と加害者意識」

 被害者意識の無能ぶりと無責任。加害者意識の向上心と責任感。

 被害者意識と加害者意識について、考えてみたことがある人は多いのだろうか。

 私は、ことある毎に被害者意識を持つ人が、大嫌いだ。

 今の日本政府や国会を見ていると、被害者意識のかたまり達が議論しているように見えて仕方がない。

 主導権が自分にないという発想から被害者意識が生まれる。
主導権が自分にないのは必然的なことで、自分にはどうしようもないことだという意識が根底にあるのである。

 主導権が自分にないのは、必然的なことではない。
何故自分に主導権がないかは、自分に能力がないからで、何故能力が身についていないかは、責任感がないからなのだ。
 問題や課題を解決するのは、自分の責任であるという発想があれば、処理解決するスキルを、どうしたら身につけることができるだろうという意識が生まれる。
 しかし問題を解決する責任が自分にあるという発想がなければ、当然解決するスキルを身につけなければならないという使命感は生まれないから、このままの意識でいる間は、解決する為の能力が身につくということにはならない。
 つまり被害者意識は、何も生産性がないということで、能力を高めるということにはならないから、益々被害者意識が強くなってしまうのだ。

 一方、加害者意識は、主導権が自分にあるのに問題が解決できないのは、自分側に原因があると考えるから、問題そのものを詳細に分析するようになり、問題の本質を知ることに必然性が生まれる。後は、問題を解決するためのスキルに辿り着き、結果的にそのスキルを身につけて問題の解決に身を挺するから、色々な能力が必然的に身についてしまうのである。

 私は時折ふざけて、誰かが「この頃、天気が悪くて困ったなぁ」というと、「私が悪いので申し訳ない」といったりする。
 未だにこの問題を解決する能力は身についていないので、解決できていない。

 アクティブシンキングとか、ネガティブシンキングとか言われるが、そんな改めて取り組むような問題ではない。積極的にならなくてはいけないとか、消極的になってはいけないというように、意識的にどのようにしなければならないと義務感で自分を縛ることは、長続きしないし性格的に消極的な人には難しい。

 どんな問題であっても、それをどうにかする主導権は絶えず自分にあるという論理を理解すれば、自分を励まして積極的になる必要はない。

 被害者意識を持つのは、恥ずかしく卑怯なことだ。

 長い間日本外交が貧弱なのは、被害者意識の発想でしか無くて、普天間基地の問題も、沖縄県民は被害者意識を装い、アメリカの軍隊が日本に駐留するのに、日本国民までも被害者意識を持っている。

 総理の靖国参拝の度に、中国との摩擦が起きる。
これまでの政治家に、靖国の参拝をする人は沢山いたが、正々堂々と参拝しても中国や韓国から文句が出ないように、どうすればいいかを戦略的に考えた人は一人もいない。只、国内問題だから、内政干渉だと言い張るばかりで、文句を言う中国側が悪いからこの問題が起きるという。
 つまり主導権は中国にあって、文句を言われる日本は被害者なのだという論理を繰り返すばかりだ。
どっちが良いか悪いかという問題ではなくて、日本側が正々堂々と靖国を参拝しても近隣諸国から文句を言われないようするには、どのようにすればいいのかを戦略的考えなければならないのは、日本側だという発想さえあれば何れ問題を解決する方法は見つかる。
 今まで教科書問題や靖国参拝の度に、問題発言をしたと言っては、大臣辞任という決着を付けてきた日本外交は、あまりに貧弱すぎる。しかし裏では、大臣辞任で事が済んでいたわけではない。その度に円借款のような中国や韓国への経済援助をさせられてきたのである。
 もっと言えば、その裏で韓国や中国へ資金援助する度に、日本の権力のある政治家にリベートのバックがあったのである。

 ODAという海外協力のための資金援助には、こんな焦臭い話は枚挙に暇がないほどである。

 国家が被害者意識になれば、政治は腐るし、国民は利己主義になる。

 国民主権とは、民主主義の象徴的言葉だが、国民に主権があるということは、個人の利益が国家の利益を優先するということはない。国家の利益を国民が裁量するということであって、ときには、個人の利益を犠牲にして国家の利益を優先することを、国民が裁量しなければならないというのが民主主義なのである。

 地方主権といっている馬鹿げた政治家達がいるが、国家の利益より地方の利益を優先するというように履き違えれば、国家を形成する意味が無くなり、国家は沈没する。

 地方行政が国家の利益や広域の利益を優先する裁量権を、有する思想の中で施行されなければならなくて、その大本は、個人の権利は、公共の利益が個人の利益を優先して行使されなければならないという思想心情を持って、初めて機能するシステムなのである。

 つまり主権者である一人一人の国民が、加害者意識を持つということが民主主義思想の根源なのである。
個人の裁量権が、誰か一人の利益より公共の利益が優先して、誰かの権利を犠牲にするということを決定するわけだから、個人の権利を行使するということは、誰かの利益を犠牲にする上でなり立つことになり、主権者は絶えず加害者になるという必然性を持っているのである。

 主権者が、自分の利益を主張することと、民主主義の国民主権とはと全く違う思想だということである。
地方主権と地域エゴとは全く違うことでなければならない。
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