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Arena Condition

AM 9:30 September 7, '10 (Teusday)

 今日は、台風の影響か風が少し吹いています。水を撒きたいのですが、明日明後日と一時雨のマークがついていまして、悩むところです。


「お客の悪口」

 芸のない落語家は、脚の悪口を愚痴り、下手な役者は、観客の理解力の無さを嘆き、下手な料理人は、客の舌の鈍感さを罵り、下手な絵描きは、社会の稚拙さを嘆く。

 そして、指導力のない乗馬クラブのオーナーは、客のセンスの無さや思考力の無さや探求心の無さにうんざりして、乗馬クラブというシステムや自分自身の存在を疑う。

 私は、日頃平気でお客さんの悪口を本人の前で言う。
 あるとき「お客の馬に乗っている姿を見ると、反吐が出ると言ったことがある。」
 指導力の貧困さが言わしめた言葉で、天に唾を吐くようなものだ。だからといって反吐が出ることには変わりはない。

 私は、これまで「馬に乗ることは、ライダーが馬の背中に乗って馬をコントロールすることで、従ってライダーは、全てトレイナーだ。」と言ってきた。
 このことは、多くの人に賛同を得て理解されていると思っている。しかしこの私の認識が間違っているのかも知れない。
 多分賛同して理解しているという認識が間違っているのだ。

 我々人が馬に乗って、馬の背中に居ながらにして馬の運動をコントロールすることは、物理的な作用反作用の力を駆使できない。同一物体上では、作用と反作用の力は全く互いの力が同等の値で反対のベクトルを示し、それが同一物体上なので相殺されてしまって、その物体が運動するということが起きないのである。
 従って馬のメンタルをコントロールして、馬の運動をコントロールする以外に方法がないのである。厳密には、馬の運動の中に、馬のメンタルがコントロールしている運動とそうでない運動とがあるので、馬の意識的運動は馬のメンタルをコントロールすることによって、その運動をコントロールすることが可能だが、そうでない運動は、馬のメンタルをコントロールしてもコントロールできないので、その運動のメカニズムを知って(重心移動のメカニズム バランスとアンバランス)、コントロールしなくてはならない。

 我々人が馬の背中に居ながらにして、馬の運動をコントロールする場合は、馬とのコミュニケーションを欠かすことができない。ライダーが送るシグナルつまり脚やレインで送るプレッシャーは、人と人とのコミュニケーションのツールである言葉に変わるものだ。だからそのプレッシャーは、馬に理解できて初めて意味を成すものだ。
 脚やレインでシグナルを送るライダーは、本当にコミュニケーションのツールだと思って脚やレイン操作をしているのだろうか。

 誠に疑問だ。

 「全てのライダーは、馬のトレイナーだ。」という思想が間違っているのかも知れない。

 私のクラブのお客さんの中に、馬をトレイニングできている人が皆無だ。

 トレイニング以前の問題で、コミュニケーションできている人が皆無だ。

 コミュニケーションできていないのは、二つ理由が考えられて、一つはコミュニケーションしようとしていないということで、もう一つはコミュニケーションしようとしているけれど上手くできないということだ。

 100%我がクラブのお客さんは、コミュニケーションしようとしていないからできない方に入る。しようとしていないわけだからできないのは当然だ。

 何故コミュニケーションしようとしないかは、ごく簡単な理由だ。それは馬をコントロールするためには、馬とのコミュニケーションでなくてはできないということを理解していないかこの考えに賛同していないかだ。
 賛同できていないのだろう。

 コミュニケーションとは、意思の疎通だ。ライダーの意思はその時々によって違うから当然伝え方は当然その時々によって違う。その伝え方が違うとは、伝えるときの力の加減が違うということだ。つまり大きな声を出すか小さい声で伝えるのか、いきなり声を出すのか事前に声を出すことを予期させてからにするのかなどだ。
 そして、その言葉が相手に伝わったのかのどうか、どんな風に伝わったのかが同時に気になるもので、つまり馬の反応を見るということになる。

 超初心者は、自分の拙さが故に自分の欠点ばかりが気になって、目標を自分の欠点直しに置く。上級者は、我が身を振り返らずコミュニケーションできているのかどうかより命令をするばかりに躍起になる。
 何れにしても、失敗を繰り返す。
 何度失敗を繰り返しても、自分の技量に問題があるのだろうと思っているから、できる改善はないのかという探求する気持ちが湧いてこない。
 自分の意思が馬に伝わっているのかどうかという疑問を持たない。

 失敗をするということは、奇跡で、当然に起きているわけではない。このことは、自分がやっていることが理に叶っているという前提だが、失敗するということは奇跡的なことで、本当はあり得ないことなのだ。しかし実際にはその奇跡が起きている。それは失敗ではなくて成功なのではないか。
この成功とは、ライダーが望んでいる通りかどうかではなくて、ライダーがやっていることに対して当然に起きている現象だという意味をいう。
 つまりライダーがやっていることに対して、当然の反応として起きている結果であるから、その点においては成功なのであり、失敗ではない。
 ライダーの意図するものと結果が違うということは、ライダーが行動を起こした時点において失敗が起きていると言っていい。
 ライダーの意図と行動とが一致していないが、ライダーの行動と馬の反応は一致しているので、結果は自ずとライダーの意図と違ってしまうということなのである。
 行動と結果は、必然性において一致する。そして思惑と行動が一致していなければ、思惑と結果が必然的に一致しない。

 何故、結果が思惑通りになっていないことを察知ながら、行動と思惑とが一致できているかどうかを、検証しないのか。

 何時までも「つもり」の世界の住居人のままいるのか。本当につもりになっているなら、その通りになっているかどうかチェックして、つもりではなく断定できるようにすべきだ。
 そうでなければ思惑と行動とを、いつまで経っても一致させることができない。
 従って思惑と結果が一致しない。
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