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Arena Condition

AM 10 August 4, '10 (Wednesday)

 折角水を撒いたのに、今雨が降り始めてしまいました。

 どの程度で降り止むのか、多分直ぐ止みそうです。

 AM11:30 強い日差しが戻って、雨は止みました。

 「忍耐」

 私には、忍耐が必要ではない。

 何故、忍耐が必要になるのだろうか。

 それは真っ暗闇で手がかりが掴めないで、正体の分からない答えを探す時忍耐が必要だと一般的には思われていて、正直者はそれを信じてひたすら耐えて運良く答えが見つかればいいが、中々答えが見つからずに絶望したり挫折したりして、目的を成し遂げることを諦める。
 これが忍耐の行き着く先だ。

 忍耐なんて碌なものじゃない。忍耐なんて傲慢からくる独りよがりの思考停止に過ぎないもので、何ら生産性がない。

 ものごとに手がかりがないということはあり得ないことで、傲慢だからその手がかりが見えないのだ。

 こんな筈はない。これで良いはずなのに、何故答えが出ない。結果が思うようでない。

 こんな想いでもやもやしていること自体奢りがなせる業で、原因は単純に基礎ができていないからに他ならない。

 こんな状態のまま同じことを続けていることが忍耐で、頑張っていることだと勘違いしている。やらなければならないことは、我が身を振り返って一つ一つ丁寧にチェックしてみて手がかりを、見つけることをすれば良いだけのことだ。

 手がかりが見つかれば、それだけで展望や巧妙が見えたのと同じことで、ものごとの7割方できたも同じこと、手がかりが見つかれば、そこからはもはや忍耐など必要にならない。
 自分ができないことや欠点が見つかったとき、また欠点を改良中成果が出るまでの間の失敗が続くとき、精神的なストレスや落ち込みに繋がる人がいるなんて信じられない。

 落ち込んで消極的になったりストレスを、溜めたりしているのが趣味なのかも知れない。全く愚かとしかいいようがない。

 私は、こんなに我慢強く一生懸命が張っている。だから私って、可愛そうでしょう。忍耐強いでしょう。落ち込むのも仕方ないでしょう。こんな風に他人に見られたいと思っているとしか思えない。

 孔子の言葉に好きなものが特に2つある。厳密には、1つは孔子の言葉でもう一つは、孔子の3番目の高弟といわれている人の言葉だ。

 その一つは、「成して学ばざれば、暗し。学んで成さざれば、危うし。」という言葉である。
 この言葉の意味は、体験したり体でできるようになったりしたとしても、論理的に物事の理を知らなければ、本当に物事を理解したとはいえない。また、体験もない、感覚的にもできるようになっていないのに、論理的に物事の理を学んで理解したつもりになってしまうことは、とても危険なことだという意味である。
 俗に、体で覚えたことでも、論理的知識を得なければ、本当にそのことを理解したとはいえないし、知識を得て物事を覚えたからそのことを理解したと思ってしまうことは、とても危険なことなのだ。つまり頭でっかちは、危難なことなのだということだ。
 例えば医学書で、病気について学んだからといって、その病気の治療に当たったのでは、その症状について感覚的に判断することができないから、治療に当たったのでは、却って危ないことになるということだ。

 これを「意行合一」というのだそうだ。

 体の感覚で得たことを、頭脳で論理的理解を追求し、知識で得た情報を体の感覚として体得することを心がけなければ、暗愚であったり危険であったりするということだ。

 孔子の一番の高弟は子貢という人がいて、孔子の文献は現代には何も残っていない。この子貢という人が、孔子がなくなった後に思い起こして綴ったものがあるので、我々は孔子の言葉を知ることができる。子貢の偉業に感謝しなくてはならない。

 この子貢は、経済的にも恵まれて豊かな生活をしていたそうで、あるとき3番目の高弟の家を訪ねたときの話で、この3番目の高弟は、貧していて今にも崩れてしまいそうな荒ら屋に住んでいて、雨漏りは勿論食べ物にも事欠く始末の生活をしていた。

 この子貢がその3番目の弟子に向かって、余りに貧しい生活ぶりを見て「こんな貧しい生活をして苦しくはないのか。辛くはないのか。」と尋ねた。するとこの高弟は、「貧しくとも好きな学問を極めることに、何ら不自由はなく苦しいということはない。学んで成せざるを辛いというのであって、貧しくて辛いということはあり得ない。」と返答し、子貢は大いに恥じ入ってその荒ら屋を後にしたという話である。

 この3番目の高弟の名を覚えていないが、あるべき理想や正しいと思えることを学問を追究して解明しても、それを実践できないことを辛いと感じるもので、物質的にものが足りないからといって、辛いと感じることはないという意味なのである。
 このように返答されて、子貢は自分の考えの浅さを知って恥じ入ったということだ。

 答え探しや結果を出すために精進することは当たり前の話で、その過程において色々な傷害にぶち当たったり自分の居所を見失ったり、どうして良いか分からなくなったりすることに、辛さや苦しさを感じるということがあるはずがなくて、むしろその答えや結果を出すことができるようになったのに、それを実行することができないことにおいて、辛さや苦しさをいうものを感じるのである。
 目標に向かって、自分の無力感を感じたり自分の居所を見失ったり問題や課題が理解できなくなったりすることは、当たり前の話で、答え探しをしない人にはこんなことは起きないわけで、答えや結果を求める人だけに与えられた、当たり前の現象に過ぎないのである。

 だからこそ、目標に向かって、ひたすら答え探しができる喜びを感じるような精神構造を待たなければならないし、こんなことに忍耐などということが必要になること自体がナンセンスなのである。


 
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