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Arena Condition

PM 8:00 July 29, '10 (Thursday)

 午後から一時的に強い雨が降りましたが、現在は小康状態で、結局馬場は、今のところやや重といった状態です。



  「練習」

 技術を、身につけるために練習をする。同じ動作を何回も繰り返して練習する。

 上手くいっているかどうかを感知できるようになるまでには、可成り練習を積み重ねなければならない。

 上達のスピードは、人によって可成り開きがあって、特に練習をするときの意識の置き所によって、上達のスピードがまるで違う。
 連続動作の中で自分の体がどのように動いて、どんな作用をしているかは中々分からないものだ。このことが感覚的に感知できるようになると、フォームの改善や体の動きの修正が逐一できるようになって、上達は益々早くなり、更に動きの無駄がなくなってよりスムースでシンプルになる。

 その感覚を身につけるために容易にできることは、スタートとフィニッシュの時点の状態がどのようになっているかを、注意深くすることができる。このことは誰にでもでき、難しいことではない。
 初動作のスタート時点でのフォームを意識的にすることは、連続動作の中でフィジカルをコントロールすることよりも可成り容易いことで、フィニッシュで動きを止めることは、それまでの動作が良ければいい状態をキープできるし、悪ければぐらついたりして、そのままの状態をキープしにくいから、運動の善し悪しをチェックする意味で効果がある。

 目的は、動作をイメージ通りにフィジカルをコントロールしてできるようになることだが、これは技術的に上達してからでなければできないわけで、これに比べて未熟な段階でもスタートとフィニッシュを、意図的に行うことは容易だ。

 上達が遅いと思われる人の多くは、一生懸命連続動作を完璧にできるようにと思っていて、スタートとフィニッシュについてはぞんざいだ。
簡単にできることを雑に扱って、難しいことをやろうとしているのか結果だけに囚われすぎているのかよく分からないが、そればかりをやろうとする。

 また、良い動きと称される動きを誰でもが心がけるが、その良い動きとは何ぞやという問いには、答えられる理論を知識として知っていたとしても、体のどこでどのように感じた時にその良い動きだという判断をするのか、それを体で感じることができなければ、何か標的となるものを作って目印とするとか何らかの工夫をしなければ、自分がやっているのが良い動きであるのかどうかを知ることができない。
 つまり良い動きとやらを論理的情報ではなくて感覚的情報として、感じ取ることができなければ何の意味もないわけで、実際に良い動きであるという判断は、この感覚的情報によってできるものなのである。
 だからこそ良い動きであると確かな判断ができるように、何らかの工夫が必要なのだ。

 目標に向かって手を振る場合でも、手首を動かすとかロックするとか脇を締めるとか肘を上げるとか、肘と腰を連動させるとか手と腰の動きを逆にするとかしないとか、単に手を振るといってもその運動の中に色々な要素を、組み入れてできるようにならなくてはならない。こんな時にも一貫して、それができているのかそうでないのかを判断できるような工夫と、スタートフィニッシュを予め決めておくことが重要だ。

 兎に角上達する人は、色々な工夫をして練習する。そして如何にそんな工夫をしなくてもできるようにとも考えている。

 技術とは、意識しなくても意識していると同様のことができたり、自分の体を微細にコントロールできたりすることで、頭で考えながら手や足を動かして練習するのは意味がない。
考えながら手足を動かすとは、手足の動きを一々大脳が命令して動かすという意味で、手足を動かすのは反射神経や運動神経が命令して動かさなければならないのに、大脳が支配すればその分だけ反射神経や運動神経の働きを阻害してしまうのだ。
 考えながら手足を動かしていたのでは、実際にやるときのスピードに追いつかないし微妙な加減はできない。このような技術を身につけるためには、イメージを反射神経や運動神経に直接組み込むことが必要で、考えながら大脳の支配下で体をコントロールして練習してはいけないのである。

 考えてやっているのと同様の現象が起きるように、工夫して練習することが大切で、どのような工夫をするかを考えるのは大脳で行い、実際にフィジカルを動かすときは、その工夫に則って無心で練習することが何より効果的なのだ。

 スタートとは構えだ。構えはイメージに合わせてする。

 スタートとフィニッシュを決めるとは、意識的に構えて最終動作で停止することで、スタートしてフィニッシュするまでの間の無意識的運動が、どうなっているのかをチェックすることができる。
 スタートの構えがイメージ通りになっていると、その後の運動がスムースに行くようにイメージでき、フィニッシュが思ったように決まれば、その間の運動が良いときだし、フィニッシュが崩れたときは、何らかの不都合が運動中に起きているということになるわけだから、次の練習に何らかの工夫を施すことができる。

 練習は、できるだけイメージ情報に基づいてフィジカルをコントロールすることが重要で、論理情報はイメージ情報に置き換えてから練習する必要がある。 
 大脳を使って考えることは、どのような工夫をすることによってイメージ通りにフィジカルをコンロールできるようになるかという課題を解明するためであり、そして運動がイメージ通りになっているかどうかを、チェックできるようにする工夫を考え出すためにある。更にまた、練習過程において感じた感覚情報について、分析したり論理情報と照らし合わせたりするために大脳をフルに使わなければならない。
 大脳は、論理情報の解析や感覚情報の分析などをするが、必ず感覚情報に置き換えなくてはならない。感覚が未熟で感覚情報に置き換えることができない場合は、何らかの工夫をして感覚情報が得られるようにしなければならない。しかし、絶対にやってはいけないことは、反射神経や運動神経の分野に割り込むことだ。

 練習動作をゆっくりとやることがあるが、それはどのような運動になっているかをチェックするために行うことで、ゆっくりやることによって大脳が割り込んでしまうことが容易になるので、気をつけなければならない。人によっては、考えながら体をゆっくりと動かすことが必要だと勘違いしているが、百害あって一理ない。

 例えばゴルフのスィングをゆっくり降って、練習している人がいるが、スィングチェックする場合は良いが、大脳が体をコントロールするためにゆっくりとクラブを振っても意味がない。
 思いっきり体を使ってクラブを振って、インパクトの瞬間や体全体をバランスよく使える感覚を、身につけることが重要なのである。

 大脳の支配下でフィジカルを動かして練習している人に、上達の早い人はいないし、技術を極めた人は存在しない。

 大脳が現場に、口出しをしてはならないのである。

 物事を大局的に見て、あるべき姿やベクトルを見出すことは大脳の役目だが、実際の現場で働かなければならない筋肉細胞に、直接口出しをしてはならないのである。現場に直接口出すのは、反射神経や運動神経などの役割なのである。

 社会におけるリーダーと構成員との関係と似ているのだ。

 リーダーは、将来の展望やその方向性を示すことがその役割で、各構成員はこのリーダーが示す大局的展望とベクトルを理解して、局面において自らの判断で行動して任務を担うことが重要だ。
リーダーがそれぞれの構成員の行動を逐一関与してはならない。リーダーは各構成員の行動に一々関与しなくても、それぞれ判断して行動できるように工夫する必要があるわけで、もし行動に関与しなくてはならないとしたらそのリーダーは、リーダーとしての役割を果たしていないということだ。

 大脳は、このリーダーとしての存在で、現場で反射神経や運動神経が働きやすいように、目的を明確に示し各フィジカルのパーツがどんな役割と連携をしなければならないかをできる限り具体的にする役割を担う。このとき明確にした目標やベクトルを、論理的情報から感覚的情報に置き換える努力をしなければ、効率よく成果を上げる練習をすることはできない。
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