Arena Condition

AM 10:00 May 31, '10 (Monday)


 今朝は、平年並みの気温に戻って暖かく良く晴れました。

 結局土曜日の夜はお湿り程度の雨で、日曜日は馬場コンディションはとても良かったです。どんよりと曇って肌寒く感じましたが、雨は降りませんでした。


  「未明の花火2」

 結局18針ぐらい縫う大怪我をした。
 母親に抱かれて、病院に担ぎ込まれ頭の傷を縫った。
 怪我をしたとき気絶はしてなかったようで、その時のことをはっきりと覚えている。
母親は私を抱いて病院まで走って、掛かり付けの鈴木医院という女医さんのところへ、しかしこの女医さんが留守で夫の薬剤師が傷を縫ってくれた。

 この女医さんは、昭和の初めのドラマに良く出てくるような典型的な風体をしていて、眼鏡を掛け痩せぎすでインテリに見え背が高かった。細くて長い手足だった記憶がある。

 小学校の嘱託医をしていて、物腰の優しい感じのお医者さんだった。子供がいなかったのか既に独立して都会で暮らしていたのか、兎に角ご夫婦二人暮らしで、黒塗りの当時としては珍しい乗用車を往診の時に乗っていた。
そしてこのご主人が運転手をしていて、私は頭の傷を縫って貰うまで、薬剤師だということを知らなかった。
 女医さんと違って、乱暴でとてもがさつに傷を縫ってくれたように思う。傷を縫われたときの痛みの記憶はないが、後に糸を抜いて貰うのもこのご主人がやってくれて、それがとても乱暴で痛かった思いが残っている。
 今思うと不思議なのだが、何回も病院に通ってその度に少しずつ糸を抜いて貰っていたように思う。
 学校帰りに病院へよって、糸を抜いて貰っていた。

 門を潜って木立に囲まれた長い道が続き玄関前の車寄せがロータリーになっていて、真ん中に大きな樹があったように思う。
 玄関は、昔の小学校のように入母屋造りの屋根がかかっていて、ガラス戸を開けるときに鈴が鳴って患者の来訪を告げた。
 そのガラス戸を開けると独特の消毒薬の臭いがして、ここに来るのがイコール痛い注射をされるという思いとこの臭いが相まって、いつも緊張して身が引き締まる思いをしたものだ。
 石畳の土間で上がりがまちに腰を掛けてズックを脱いで、上がると畳の部屋でそこが待合室となっていた。
 
 磨りガラスの小窓があって、そこでは薬を貰う。

 名前を呼ばれるとドアを開けて診察室へ入る。

 ご主人が度の強い眼鏡越しに、木のキャスター付きで背もたれに布を鋲で打ち付けてあるイスを、それまで向かっていた机から私の方へむき直して、私を見て「どれっ」といって、頭の包帯を取って傷を見る。
 茶色のガラス瓶の蓋を取って消毒液につかった脱脂綿をピンセットで取り出して、傷口を消毒する。
 毛抜きのようなピンセットで糸を抜く。どうも毛髪が邪魔をして糸だけを取り出すのが難しかったようで、糸と毛を一緒に引っぱられるものだからとても痛い。
 でもこの人は、そんなこと一向に気にしている風はない。
 お陰で傷が残ってその傷が禿げてしまったぐらいで、後遺症もなく直った。傷が大きく残ってしまったのは、一緒に毛を抜かれたことと傷が炎症を起こして化膿したからではなかったのではないかと思っている。
 しかしこの傷のお陰で、子供同士の喧嘩では、いつもこの傷をなじられて何かにつけて馬鹿にされ、その度に腹を立てて、この傷のお陰で喧嘩の種は尽きることはなかった。

 この病院に子供がいなかった記憶が残っている。
ずっと後の話だが私が小学校高学年になって、節分の豆まきを私がするようになった頃、男の子がいない家庭で親しくしている家へ行って、豆まきをしてあげる家の何軒かにこの病院が入っていたからだ。

 節分の豆まきには、男子として生まれてそれまで子供扱いだったのが、男と認められたような感じがあって誇らしげな気持ちになったものだ。
 近所へ豆まきをしに行くとお捻りとお菓子が貰える。このときのお捻りは、遠慮なく貰っても良いことになっていた。
 只、豆まきで一つだけ嫌なことがあった。
 それは一通り豆まきが終わると、その脚で観音様のお堂に豆まきに行かなければならないことだった。
私の家から歩いて5~6分ぐらいのところに観音様を祭ってあるところがあって、何かといえば集会場として利用したりお祭りや盆踊りはここが会場になったりしていたところで、節分には普段は雨戸が閉まっているがこのときばかりは煌々と明かりがついていて、そこで親父達は集まって酒盛りをしている。
 そこに出かけていって豆まきの締めくくりとして。大きな声で「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外、福は内」と豆まきをしなければならない。
 親父がいるところでそれをやるのが恥ずかしくて、行くのがとても嫌だった。帰りにはお札を下げてきたのかも知れない。

 ある年の豆まきに、観音様へ行くのをサボってしまったときがあった。
翌朝親父から、「夕べ、豆まきに来なかったなぁ」と問われた。「行ったよう。」と私は、後ろめたい気持ちで嘘をついた。親父は、「そうか?」と行って立ち去ってしまった。

 今思うと親父という人は、周りの人を問い質すということがなかったのではないかと思う。一回は聞くが、疑わしい返事をしたとしても黙ってだまされたままにいるような人だったのではないかと思う。

 私の家には最盛期、大勢の男衆がいて、その中には少し頭のネジが一本足りない人やとっても面白いニックネームで呼ばれた人達がいた。

 当時は人を呼ぶとき、女の人は名前の頭に「お」を付け、男は出身地で呼ぶのがノーマルであったようで、例えば「東京」「島並」「新宮」などや、「おしもさん」「お千代さん」「お清さん」等々だ。
それから「ハッピン」と呼ばれていた人もいた。この人は名字が「八品(やしな)」だからそう呼ばれていたのだが、それが名字だと知ったのは、大分経ってからで、この人のキャラクターが面白かったので覚えているのかも知れない。
 ハッピンは、何人もいた。それは兄弟がいてその兄弟が入れ替わり立ち替わり働きに来ていたからだ。
 それから「行ったり来たり」と呼ばれていたのや「お姫様」と呼ばれていたのもいた。
 「行ったり来たり」は、住み込みで来ていたのだが、辛抱強くなくて直ぐに家へ帰ってしまって、そしてまた来るということを何回も繰りかえす内にそう呼ばれるようになってしまった。
 「お姫様」は、今でいうお釜キャラだったのだと思う。

 頭のネジが一本抜けた人達の中に「三ちゃん」と「東京」というのがいた。
(続く2)


 
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