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Arena Condition

AM 10:20 March 29, '10 (Monday)


 今朝は小雨が降っています。しかし予報が変わって、これから晴れるようです。最高気温は、10°位までしか今日明日はあがらなく寒いようです。

 そして、明日は、晴れのようです。

 馬場は、重馬場ですがそれほど悪くはないです。


 今年の花粉症は、如何でしょう。

 私は、自分が花粉症だったのかなと思うほど症状が少ないです。

 皆さんは、如何でしょう。
 
 そう思うのは、私だけではないのでしょうか。



 「私と話していると、責められているような感じになる。」

 ピコン、これだ。というように何かをきっかけにコツをつかんで、これまでできなかったことが難なくできるようになって、どうして今までできなかったのか、こんなに簡単なのにあんなに苦労したのは何故なんだろうと、不思議になったりすることがある。

 「ピコン、これだ。」をPKということにする。

 PKが定期的に訪れるようにする計画の話を、数日前に書いた。

 これまで長い間、誰もがそうなるように、レッスンするときの講義などで良く会話をしてきたものだ。

 するとその生徒達は、責められたり自分の不甲斐なさを思い知らされたりしているという感覚を持つようなのだ。

 私は、人を責めたり不甲斐なさを指摘しようという意識は微塵もなくただひたすらその人の感覚を呼び起こして、生徒自身の感覚で自分自身をきめ細かくコントロールできるようにと願って、そんな手法を取っているに過ぎない。

 しかし大分以前から、私自身は生徒を責めている気が全くないのに、生徒になった人たちは責められたり自分の不甲斐なさを指摘されたりしているような気になるらしく、被害者意識を持つ。

 何故そうなってしまうのかという疑問を持つ。

 PKを定期的産物として自分の手にするためには、些細な感覚を自分自身の脳へ伝える必要があって、大抵の人は自分が感じているはずの感覚をやり過ごして、テクニカルなスキルを獲得しようという一心で、肝心な感覚を鍛えるということを疎かにしてしまう。この感覚を疎かにしてしまえば、テクニカルなスキルは知識として知ることはできても、身につくことはない。しかしそんな人は、そのことに気がつかない。
 そして、そのことに気がついている人は、とても少ない。
 
 一々受けた些細な感覚を、取り上げて脳へ伝えておくことが重要だ。その情報はとても多くて一々気に掛けることは大変だ。
 その情報を一々脳へ伝えるということは、感じた感覚をそう感じたと意識するということで、一々認識すればそれが脳へ伝えるということになる。

 指先で感じた些細な感覚を一々気に掛けるのは、面倒なことだし気付かずにやり過ごしていることが多いものだ。やり過ごしてしまっている感覚は、脳の方から聞きに行かなければそのまま忘れられてしまう。しかしリアルタイムに感じた感覚を脳へ伝えなくては、当然忘れるどころか脳へ伝えてないのだから、記憶するということがないということだ。後でそれを聞き出したとしても、その感じた感覚を思い出せることはないが、そのときに感じている感覚に対して意識をする必要があると気がつき、次のチャンスで意識を傾けることができるかもしれない。

 微細な感覚を一々取り上げるということは、意識的行動以外の局面でも察知することができれば理想的だが、そんな必要はない。意識的行動において、感じた感覚を認知することができれば十分だ。

 意識的行動において感じた感覚を、脳へ必ず漏れなく伝えるということは、脳が指先などの末端部分でどう感じたのかを、聞きに行かなければならないということで、これを促すには、そのときにどんな意識でいたのかを第三者が聞き糾すことによって、その人に意識的行動において末端部分に対し、注意を払うという意識が生まれる。
 
 PKを得るには、末端で感じた感覚が瞬時に脳へ伝わり、それを脳は必ず認知して、何らかのヒントを得て改良なり増進するようにしていくことが必要で、そうすればますます必ずPKがやって来るというメカニズムを作る。

 しかし意識的行動であるにも関わらず。自分の指先に意識を持てなくて、そこから感じている感覚を察知することができない
 それができる人は、脳が態々末端部分へ聞きに行かなくても感覚の情報は、脳へと伝わる。しかしそれができにくい人は、脳が積極的に末端へと聞きに行かなければ、どんな感じだったかを認知できない。

 意識的行動にも関わらずそこで何が起きているのかを知らないということは、改良どころか工夫もできないし、ましてや相手がありコミュニケーションしなくてはならないことであったら、全く一方通行の通信となってしまう。

 そこで意識的行動において、そのときに意識がどこへ向いていたのかを糺す必要が出てくる。
 そこを第三者に指摘されると、本人は責められているように感じたり無神経さを指摘されたりしたと感じを得るに違いない。

 末端部分に脳が、そこで何が起きているのかを聞きに行かなければならない。

 意識的行動なのに、現場で何が起きているか気にならないのは不自然なことだ。しかしスポーツなどの体を動かすことでは、その意識が末端まで行き届かないし、体の末端部分をコントロールできないから、現場で何が起きているかなんて感じることなんかできないと思うものだ。

 だからこそ、そのとき末端部分のどこで何を感じたのか、感じていないのかを、脳が聞きに行かなければならない。 脳が末端へ聞きに行くということは、「今どうなったんだろうか。」「指先とは関係のない腰に、変な感じを受けた。」「何にも感じない。」などのように現場で起きていることや起きるはずなのに起きていないことなどについて、どうなっているんだろうと思うことで、そう思いを馳せることが、脳が末端へ起きている現象を聞きに行くということなのだ。

 もしそれを第三者に糺されて責められたり不甲斐なさを指摘されたりしたと感じた時に、先ず憤慨したり嘆いたりする前に、自分の意識がどうなっているのかを探求することが何より重要だ。
 そうすれば、やがて末端部分に至るまで神経が行き届くようになり、それが何か新しいことを閃いたり創造したりできるようになるための感性を磨くことができることに繋がる。

 そして、やがてこの第三者に対して、感謝できるようになる。

 私に憤りを感じる人は、感性が豊かではないということで、感謝の気持ちを抱く人は感性が豊かになっているということだ。
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