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Arena Condition

AM 9:40 March 16, '10 (Tuesday)

 昨夜の雨は、冬のというよりも春や夏の雨といった感じのもので、時間はそれほど長くはなかったものの結構勢いの良い雨が降りまして、良馬場は一挙に不良馬場となってしまいました。

 強く降った後の回復は、霧雨のような雨の時よりも意外に早くしかも気温も高いので、今日一日でかなり回復すると思います。

 「小さなモチベーション」

 「頭脳明晰スポーツ万能」というのは誰もがあこがれる。

 日本には古くから「文武両道」という精神文化がある。

 しかし、この「文」と「武」や「頭脳明晰」と「スポーツ万能」との両方を手中に収めることは、古来より難しいと思われているし、誰もがそうありたいと願うことでもあった。

 一方、「好きこそものの上手なれ」という言葉があって、モチベーションやポジティブな考えを、持つことがものごとを成功へと導く鍵であるともいわれている。

 この「文武両道」と「ポジティブ」との関係性を考えてみると、密接なものがあるのではないかと思う。
 「文」でも「武」でも、自分ができるという自信が持てると、「モチベーション」や「ポジティブ」でなければならないという精神力の必要性が低くなるのではないだろうか。

 つまり、「文」でも「武」でも自分がトライしたときに、簡単にできてしまうことによって精神力の必要性が低くなって、壁が高くなかなか制覇できずに苦労してしまうと、これをクリアする為に精神力の必要性が高くなるという関係性があるということだ。

 もし「文」でも「武」でも簡単にできて、自分は何でもできる「頭脳明晰スポーツ万能」「文武両道」だという自信を持つことができれば、モチベーションやポジティブでなければならないという精神力の必要性が低くなるという論理が成り立つ。

 そこで「文武両道」を達成することは、本当は難しいことではないのではないかという仮説を立ててみる。勿論「文」と「文」が別々であっても一向に構わない。
 しかし「文」ができるということは、「武」ができるということであり、「武」ができるということは、「文」ができるということだから、敢えて分けて考える必要がないから、この際一緒に考察することにする。

 そこで、「できる人」と「できない人」の違いを良く見てみたい。

 「できる人」と「できない人」は、果たして同じことをしているのに結果が違うのか、それとも違うやり方をしているから結果が違うのかということが問題だ。もしやり方が違うから結果が違うとすれば、能力ではなくて方法の問題だということになる。

 練習する方法が一緒で、勉強するために使う教科書は同じだから、同じやり方をしているのに結果がまるで違う。そこで同じ方法という基準で結果を比較対照するから、結果の違いは能力の違いだと断定する。

 しかし、「できる人」と「できない人」では、同じ練習をしても同じ教科書を使っていても、使っている脳が違ったり考えていることが違ったりしているかもしれない。もし、使う脳の分野や考えていることが違っていたら、方法や教科書が同じでも同じやり方をしているとはいえないのではないだろうか。

 複数の人に同じ練習をしてもらって、何を注意したり考えたりしてやっているかを聞いてみると、全員その答えは違うのである。
 多分同じ教科書で勉強していても、一人一人注意したり考えたりしていることは違うのではないだろうか。
 つまり、体を動かしても頭を使っても、留意していることや考えていることが違っていれば、同じ方法でやっているとはいえないし、もしかしたら頭に思い浮かべていることが違っていたりすれば、使っている脳の場所が違っていて、これが違っているということは、同じ方法や教科書で練習や勉学をしていても、それぞれ全く別の異なったやり方をしているのではないだろうか。

 つまり、できる人とできない人は、実は全く違う方法で練習や勉強をしているから、自ずと結果が違うので、能力の違いによって結果が違っているのではないのかもしれないのである。

 自分はあまり器用ではないとかモチベーションやポジティブな考えが必要だと思うことが多い人は、練習や勉強においての結果が良くないことによって連鎖的に思ってしまうことで、ネガティブになりがちだから何とかポジティブになるように一生懸命メンタルを切り替えようとして無理をする。しかし結果が思うようでないので益々ネガティブになってしまう。

 この問題が起きているのは、能力や性質が低かったりネガティブだったりしているからではない。練習したり勉強したりする場合に、頭に浮かべていることや留意していることが違うのである。
 簡単にできてしまう人は、運動であればイメージをそのまま体で表現しようとして、そのときの感じた様々な感覚と対話をしながら、繰り返しイメージのまま体を動かすことができるまで練習をする。
 勉学であれば、方程式や漢字や用語やシステムを知識として暗記しようとせずに、そこに潜んでいる原理原則やメカニズムを見つけようとして、問題に挑んで理解できるまで原理原則への探求を諦めることはない。そして何事においてもそんな姿勢で取り組むのである。

 小さな階段を簡単に上ることができるという成功体験を、自分に与えることが何よりも重要であり、そして上手くできなかった場合は、やっている仕草や使っている教本がどうかというより、そのときに思い浮かべていることや留意していることが違っているからできないのだというように考える。

 大きなモチベーションを必要とすること自体、決して褒められたことではない。頑張ったり忍耐力を発揮したりした結果何事かをなしたことを人は賞賛する。しかしそれは、間違いで簡単にできてしまうことを、賞賛しなくてはならない。

 頑張ったり忍耐力を発揮したりすることと何事かを成し遂げることとは、何ら因果関係がない。モチベーションやペイシェントを必要としている時点で、問題が発生していると考えなくてはならない。

 知識を得ようとする前に映像や画像を、そのまま自分の脳へインプットすることを意識することが重要だ。勉学であっても問題に隠れている法則や論理を理解することが重要だ。 
 
 知識を記憶することが勉強だと思うことで、馬鹿になると考えなくてはならない。

 知識を得ることによって、体を動かせるようにならないことは誰でも知っている。学問でも同様で、知識を記憶することで勉強ができるようになることはない。

 知恵とは、ファクターを連携させて一つの機能を働かせることであり、何の関連性を持たずに知識を記憶しても、必要なときにアウトプットすることができない。またものごとを新たに発想することに、繋がることはあり得ない。むしろ知識があることによってその知識に拘束されて、新しい発想をすることを拒んでしまうことになるのである。

 スポーツにしても勉学にしても、高度になればなるほどその人にとっては、シンプルになってイージーになっていくもので、高度になればなるほど複雑になったり困難になったりすると思えるということは、そのものに対する接し方が間違っているからなのだ。

 能力の問題ではない。小さなモチベーションさえあれば実現できる「文武両道」「頭脳明晰スポーツ万能」


 さて皆さんは?
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