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Arena Condition

AM 10:00 March 15, '10 (Monday)

 今日は薄曇りの春うららといった暖かい、優しい日差しです。

 今日一日は、こんな天気ですが、明日午前中は雨が降るそうです。

 この天気で馬場はかなり乾いてきていますので、明日の雨の量によっては、あまりダメージになることはないことを祈ります。

 「頭の使い方」

 頭脳の使い方について、これまであまり深く考えてこなかった。一生懸命頭を使うことは意識してきたが、どんな使い方が効果的でそれ以外は却って悪影響があるかなんて考えても来なかった。

 イメージトレーニングについて色々と思いを巡らせて見ると、どうも考えるということが良い場合と悪い場合があるということに思い当たったのである。

 考えるということは、論理に基づいてあれこれと推論したり分析したりするということだから、そのことに何か悪い作用があるなんて思いもよらなかったことで、もっともっと考えてものごとを深く掘り下げることが大事だと常に思ってきた。

 しかし、映像や画像を見たまま体で再現したり感覚的に突き止めたりしようとする場合に、論理的に分析することが不要であるばかりでなく、先入観を作ってしまって実際とは違ったものとして脳裏に印象づけてしまうことがあり、大変な弊害をもたらすのではないかということだ。

 運動神経の良い人は、あまり理屈を先に立てたり教本を先に読んだりしないで、見たままを直ぐに体でやってしまい、それがまた上手くできてしまうものだ。本人にとって何故できるかなんて理由は実際のところ分からない。

 運動神経の鈍い人は見たままを体で表現するのは苦手で、直ぐに教本や人の指導に頼る。つまり理屈立てて自分の体を動かそうとしがちで、しかも上手くはできない。

 こんな事例を幾つも見ていると、運動神経の鈍い人ほど理屈立てて物事を見たり考えたりしてはならないのではないだろうかと思う。
むしろ教本を読んだり誰かに指導を受けたりすれば、嫌が応にも理屈立てて物事を見ようとしてしまい、却って体を動かす神経の働きを阻害してしまうのではないだろうか。

 このように考えてみると、頭に良い人も運動神経の良い人も同じなのではないだろうか。

 頭の良い人も、ものごとを理解したり論理の展開をしたりするときに、始めに教本に頼ったり理屈を立てたりして物事を見てはいないのではないだろうか。

 先ず、見たままや感じたままを捉えているのではないだろうか。
 感じてからものごとを考えて論理を立てているのではないだろうか。それが、他人の目から見れば、感じていることや直感的に捉えていることは、分かりにくいので次の段階で考えていることしか見えない。
 ものごとを見て疑問に思ったり正体を知ろうとしたり問題を解決したりするときに、先ずその持った疑問そのものや正体や解決法に関して、何らかの発想をしてそれから考えるという作業をしていて、その発想が感覚によって起きているもので、その発想力は本を読んだり指導を受けたりして養育できるものではなくて、その才能は運動神経の良い人が見たままを直ぐに体でやってしまうのと同じなのではないだろうか。

 理屈を先に教育と称して植え付けるということは、世の中に馬鹿と運動音痴を作ってしまっているのではないだろうか。

 見たままを体で表現する。

コピーするように、アナログ信号をそのままアウトプットする。
 
 アナログ信号をデジタル信号へ置き換えたり、デジタル信号をアナログ信号へと置き換えたりするということが、運動神経や頭脳の働きを鈍化させてしまうのではないだろうか。

 運動しているところを模範として見たときに、運動神経の良い人はそのまま映像として脳裏に焼き付け、鈍い人は腕がどうなっているとか肢がどう動いているとかというように理屈っぽく見てしまう。
つまり運動神経の鈍い人の場合、アナログ信号をデジタル信号へと置き換えてしまっていることに相当するのだ。

 また、解説書や誰かの指導を受けて訓練しようとすれば、先ずデジタルデータとして自分に取り入れて、運動であればそれをアナログ信号に置き換えることで、体を動かすという作業をしている。

 そして学問であっても、頭の良い人は物事を見たり課題を持ったりしたときに、先ず何らかの発想をする。

 その発想とは結論を想定したり疑問の正体をイメージしたりするとことで、その後に資料や公式に当てはめて解答を探るという作業をする。しかし頭の悪い人は、問題を見たとき先ずそれを解くための公式を、記憶をたぐって思い出そうとしたり教本に頼ったりして、答え探しをしてしまう。問題の正体やその中に潜む原則的な法則はどんなことなのか知恵を絞って捉えることができない。

 教本や誰かの指導を受けて訓練しようとすれば、先ず自分が疑問に思ったり正体を想定したり結論を仮定したりという発想を省略して、解答を見つける方法を教えてもらってしまうことになって発想をする感性を育むことはできない。

 頭の良い人に運動神経の鈍い人はいないし、運動神経の良い人に頭の悪い人はいない。

 しかも頭の悪い人や運動神経の鈍い人も、実はいないのではないのではないだろうか。

 只、現在の教育システムは、頭の悪い人と運動神経の鈍い人を作ってしまっているのではないだろうか。

 教育によって頭の良い人と運動神経の良い人を作っていると、教育関係者や文科省の役人達は思いたいに違いないが、しかし日本の教育システムや概ね我々人間が教育としてやってきたことは、頭の悪人と運動神経の鈍い人を作ってしまっているのではないだろうか。

 脳学者の領域だから本当かどうか分からないが、映像や画像を見ている脳と理屈を交えて解釈している脳は、それぞれ違う分野で行っているのではないだろうか。

 つまり映像を見たり指導者の模範プレーを見たりして、そのままコピーしようとして体を動かすのと、理屈を交えて映像を見たり教本を読んだりしてから体を動かすのでは、全く違う脳を使ってしまうことになっているのではないだろうか。

 従って、今のような教育システムは運動神経の鈍い人や頭の悪い人を作っているといわざるを得ない。何故なら、教育するときに最初にデジタル信号として理屈を教える。そのことによって元々アナログ信号へと切り替えることが上手くできる人は、幸運にも良くできてしまうが、不運にもデジタル信号をアナログ信号へと切り替えが上手くできない人は、結果的に運動神経が悪くなったり頭が悪くなったりしてしまう。

 根本的に教育のシステムを変えなくてはならない。

 それは、先ずアナログ信号をそのままアナログ信号として、見たままを体で表現したり絵を描いたり数を足したり引いたり音楽として表現したりすることを、最初に行わなくてはならない。
 そして、こういった活動によって様々な感覚を感じて、自然に起きる疑問や探求の欲望を満足するために、デジタルデータとしての資料や公式や指導を受けるという順序を大切にして、教育システムを構築しなければならない。
 そして指導者は、アナログ信号をそのまま体得する為に補助の役目を果たすと心得ることが何よりも重要なことだ。

 自分を教育する場合においても、直ぐに教本や誰かの指導を頼りにしてしまうことのないように心がけなくてはならない。
 学問でも運動でも見たまま体でコピーするように動いてみたり、何を感じたりどんな感じを受けたのか心の声を聞くように意識して、成果を目指すようにする。
 結果を急ぐことなく、今何を感じているのか心の深層にあるものを探るように掘り起こして、その感じている感覚を更に生かしたり解決したり進化させたりして、森羅万象に共通する原則を見出せるような人として成長することを目指さなければならない
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