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Arena Condition

PM8:30 August 13, '09 ( Thursday)

 馬場は、今日で完全回復いたしました。

 暑い一日でした。
 我がクラブの最長老馬(28才)HIMIKOが、大往生いたしました。静かで安らかな大往生でした。如何ほども苦しまず、本当に静かなお別れでした。

 長年のご厚情ありがとうございました。

 「神のお告げ」

 フィジカル運動の練習をしていると、「それでいい」という神のお告げがある。インストラクターや上級者が言ってくれるのではなくて、自分の中から「それでいい」という言葉が聞こえてくる。

 この神様は、誰の中にもいる。しかし練習するその仕法によって、その存在は現れないし打ち消されてしまう恐れがある。世の指導者と呼ばれる人達の99%は、この神様を打ち消してしまう。

 練習を始める段階で、最初から上手にできる人は極めて少ない。しかし希だがいることはいる。それは、世にいう処の天才だ。
 天才の話は横に置いておくとして、神のお告げを聞きながら上達するにはどうしたらいいかである。誰の中にもいるお告げをしてくれる神の存在を打ち消さずに、上達を遂げるにはどうしたらいいのかである。

 目的に向かって物事始めると、誰でも何かを感じる。この何かを感じるということがとても大切なのである。上手にできようが間違った形でやっていようが、どのような感覚を何処で感じているのかを洗い出しておくことが重要なのである。
 できれば、この感覚を口に出しておく必要がある。それほどまでにこの感じている感覚を心に記しておくことがとても大事なのである。この感覚が神のお告げを聞く窓口だからなのだ。

 そして練習を続けていく限り、この感覚を意識から切ることなく、変化があればその変化を、進化があればその進化を一々心にとどめて、時には書き記したり口に出したりして、鮮明に意識するように努めておくことが大切だ。

 そして感じた感覚について考察する。決して感じる前に理屈を考えたり理屈の指導受けたりしてはならない。
 絶えず感じた感覚に立脚して考察をすること、感じた感覚を手がかりに考えるという順序でなければならないし、感じたものを論理的に分析することも怠らないようにすることも大切だ。

 何が良いのか、できているのか、解らないという思いを持つ人を見受けるが、何も心配することはなくて、良いのか悪いのか解らないということは、絶対的に良くないということだし、できているかどうか解らない場合は、できていないに決まっているのだ。

 感じる感覚に良いも悪いもない。感覚とは、どんな感じを受けているかということで、何も感じていないことも含まれる。今の感覚が全ての始まりであり手がかりなのだ。重く感じたり辛くかんじたり面倒に感じたり、心地よく感じたりスムースに感じたりということで、これらを自分の身体の何処で感じているかである。

 その内の一つをどんな理由でも良いからピックアップして、何故そう感じるのか、そう感じることは何がどうなっているからなのかということを考察する。また感じない場合でも同様で、何故感じないのか、どうなっているから感じないのかを考察する。それが仮説でも良いから答えを見つけて練習を繰り返すか、練習を繰り返しながら答えを探すというように、感覚と考察とを密接な関連性をもって練習を繰り返すことで、やがて神のお告げが降りてくるのである。
 
 そして最も大事なことは、練習を始める時に映像を脳裏に浮かべて行うことだ。くどいようだが理屈通りに身体を動かそうと考えることは、最もいけないことで、自分の感覚を受け取る感受性を殺してしまうことになるのだ。

 自分は指導者と生徒の二役を同時に行うわけで、生徒である自分の感覚を切り離して練習させることを強いてはならない。勿論第三者が指導者であっても同じで、生徒が今どんな感覚を感じているのかを、手がかりにアドバイスを与えなくてはならない。少なくても指導者は、生徒の感覚を読み取れる技量が最低求められると自覚しなければならない。

 日本の学校教育は、根本的な間違いをしている。生徒の感性を養育することが教育の根本であるにも関わらず、どんな教科であっても、一つのレール上に則って知識を記憶させようというのが、日本の教育システムだ。このことが根本的な間違いなのである。生徒がその時何を感じてどんな感想を持つのか、感じたことや感想について考察を重ねるというのが、学問であり教育なのである。だからこそ生徒は感性が磨かれると同時に、何を学ぶべきか、何がどうあるべきか、ということを、自分自身の中に育てることができるのだ。

 日本における英語学習は、言葉の法則を教えようとする教育システムだ。結果的に会話ができない人ばかりを育成してしまっている。大学で英語学や英文学を学究するのはそれで良いかもしれないが、少なくても義務教育と高校教育の段階では、言葉が人の心やそのニュアンスを伝えるものだということから離れた処に、語学教育があるわけがない。
 生徒がどんな感覚を持ってその言葉を発するかを、またどんな社会通念に基づいて言葉が存在しているのかを、感覚的に体得することと同時平行的に言葉を学ばずして、実際に学んだ言葉を使うことができないということを、教育に携わる人は知らなければならない。

 また指導者が、その人がどのように感じているかを聞き出さずに、否定形の言葉を連発して指導しているのは最悪なことだ。特に未熟な段階の初心者が感じている感覚を、無視して指導することは、その人を育てているのではなくて、別の人を作っていることと同じことなのだ。

 何故なら何かをして受けた感覚がその人そのものだからだ。その人が今感じている感覚を無視するということは、その人自身を無視していることと何ら変わりがないことになる。

 このことは、自主練する場合でも同様で、今自分が感じていることを無視しないで、面倒がらずにその感覚についてあれやこれやと考察を繰り返して、感覚と付き合ってあげることが大切だ。

 感性を磨くことが、訓練であり教育なのである。
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