Arena Condition
PM 7:00 April 17, '09 ( Friday)
今日は、雨は降りませんでしたが一日中曇りで気温も低く、馬場の回復はできませんでした。
明日も予報が変わって、気温が上がらないようで、馬場状態はあまり期待できません。
こんな時は、メンタルトレーニングをしましょう。
「しないためにする。するためにしない。」
私は、その成果を下げることなくむしろ上げるように、可成りの割合で何かをしようとするとき同時に、それをしなくても済むようにということを考えてしまう。
丁寧やデリケートや慎重にと気を配ってする場合にも、そんな気を遣わなくてもいいようにと考える。
また、何かをしないようにする場合でも、その逆に何かをするためにということを同時に考えるのです。
フィジカルトレーニングする場合、例えばバスケットボールでシュートの練習をする場合でも、精神を集中してシュートの練習をします。この時、普通は如何に周りの雰囲気に惑わされないで、コンセントレーションできるか、維持できるかを訓練します。
しかし私の場合は、集中していなくてもゴールが成功するような方法はないかと考えたり、集中していなくてもゴールできるように練習したりします。
手首や腕を動かさないようにして物を引っ張って動かそうとすると、身体全体や腰を使ってしようとします。
こんな時、身体全体や腰を使って、ものを動かすことばかり意識しないで、手首や腕を動かさないように意識すると、結局身体全体や腰を使うようになるというようなことばかり探して練習しているのです。
以上のように、一般的や常識的にどうしても必要なことだとされていることや逆にやってはならないとされていることを、その真逆のことを発想することによって、その常識の本質的な意味するところを発見したり、その常識が何の根拠もなかったことを発見したりするのです。
一生懸命ものごとに取り組む場合でも、一生懸命しなくてもできるように工夫を考えたり、訓練したりすることによって、一生懸命しなくても一所懸命したのと同等のクォリティの結果を出せるようになるのです。
考える場合でも、そんなこと考えなくても同じような結果が出せないものかというように、絶えず怠けられるように一生懸命考えるのです。
忘れ物でも、絶えず忘れ物をしないように気遣っていなくても、忘れ物をしない方法を考えます。
思い立ったことをするときに、何かがしたかったり手に入れたかったり、またそのことをしたくなったりするときに、同時にその間逆の発想をします。
そのことによって、その成果を出したりその為の行動をしたりすることや訓練自体を、苦痛に感じる割合を軽減することができるし、そんな工夫することが楽しくなって、モチベーションが上がるのです。
何か上手くなりたことがあっても、一生懸命練習しないとできるようにならないと思ってしまうと、始める前にやる気が失せてしまいかねません。でもどんなに誰かが一生懸命練習しないとできるようにならないといっていても、私だったら簡単にできるようになるはずだと思ってしまうのです。
また一見難しいように見えることも、そんなはずはないと思うようにしていますし、悪い言い方をすれば、その人が下手だから難しそうに見えるのだと思ってしまうのです。
何かする場合にこんなことも考えます。それはこの何かをしなくても済む方法はないかということです。
物事が動いたり、結果が出たり、成長したりするということは、その為のメカニズムが機能したということで、考えたり、練習したり、気を配ったりすることは、そのメカニズムが機能させるための間接的要件を、整えているということなのです。
つまり考えたり、練習したり、気を配ったりしてもメカニズムの機能が働かなければ、物事が動いたり、結果が出たり、成長したりしないし、考えたり、練習したり、気を配ったりしなくても、メカニズムが機能しさえすれば、物事が動いたり、結果が出たり、成長したりするということなのです。
従って、メカニズムが機能するために必要なことは、省略することはできないし、それをすれば結果を出すことはできないのは当たり前のことなのです。
物を持ち上げるための最小限の筋力や、対応するための敏捷性や、バランス感覚などを省略することはできません。しかし、そのメカニズムが機能するためには、様々な間接的要因が陰に陽に作用していることがあるのです。その間接的要因の作用があることによって、使う筋力に無駄がなくなったり、敏捷性の障害要因を取り除いたり、反射神経を機能させたりというような関連性があるのです。
この様々な間接的要因を探し出してこれを作用させ、直接的メカニズムを機能させるように工夫することが、「しないためにする。するためにしない。」という発想そのものなのです。
もう一つの間接的要因は、メンタルです。
それは、どのポイントに意識をもっていくことによって、またもっていかないことによって、フィジカルが合理的に機能するかということで、それがキーワードとして重要なのだということを先ず認識することです。
メンタルは間接的作用要因ですが、このことは意識レベルにおいて大部分を占めるということなのです。大きな影響力を持っていると考えなければなりません。
それは実際のフィジカル運動と、メンタルで感覚的に捉えていることに違いがあったり、ずれがあったりするのだということを認識して、どれ位のギャップがあるかその実態を知る必要があるのです。
このギャップの多くは、フィジカルの運動能力と感覚の熟練度によるものなのです。ですから、メンタルの置き所を明確にして練習することは、とても大切なことなのです。
そしてこのメンタルの置き所を明確にして訓練することも、その訓練が進むにつれて、その置き所を移動したり、全く意識しなかったりして訓練することも、また忘れてはならないのです。
メンタルの分野においても、するべきことをしないことによって、却ってそれが機能するようにというアイディアを、只単にするべきことをするだけでなく対局を同時に発想しておくことによって、全体を俯瞰することができて、心に余裕を持つことができるし、いち早く自分にあった練習法を探り出すことができるのです。
一つの発想ができれば、必ずその対局を考え出すことができるわけですから、人は必ず同時に2つの発想ができるのです。
あなたも、二つ以上の発想するようにして、オリジナルプログラムを作って、自分自身の成長を画策してみてはどうでしょう。
今日は、雨は降りませんでしたが一日中曇りで気温も低く、馬場の回復はできませんでした。
明日も予報が変わって、気温が上がらないようで、馬場状態はあまり期待できません。
こんな時は、メンタルトレーニングをしましょう。
「しないためにする。するためにしない。」
私は、その成果を下げることなくむしろ上げるように、可成りの割合で何かをしようとするとき同時に、それをしなくても済むようにということを考えてしまう。
丁寧やデリケートや慎重にと気を配ってする場合にも、そんな気を遣わなくてもいいようにと考える。
また、何かをしないようにする場合でも、その逆に何かをするためにということを同時に考えるのです。
フィジカルトレーニングする場合、例えばバスケットボールでシュートの練習をする場合でも、精神を集中してシュートの練習をします。この時、普通は如何に周りの雰囲気に惑わされないで、コンセントレーションできるか、維持できるかを訓練します。
しかし私の場合は、集中していなくてもゴールが成功するような方法はないかと考えたり、集中していなくてもゴールできるように練習したりします。
手首や腕を動かさないようにして物を引っ張って動かそうとすると、身体全体や腰を使ってしようとします。
こんな時、身体全体や腰を使って、ものを動かすことばかり意識しないで、手首や腕を動かさないように意識すると、結局身体全体や腰を使うようになるというようなことばかり探して練習しているのです。
以上のように、一般的や常識的にどうしても必要なことだとされていることや逆にやってはならないとされていることを、その真逆のことを発想することによって、その常識の本質的な意味するところを発見したり、その常識が何の根拠もなかったことを発見したりするのです。
一生懸命ものごとに取り組む場合でも、一生懸命しなくてもできるように工夫を考えたり、訓練したりすることによって、一生懸命しなくても一所懸命したのと同等のクォリティの結果を出せるようになるのです。
考える場合でも、そんなこと考えなくても同じような結果が出せないものかというように、絶えず怠けられるように一生懸命考えるのです。
忘れ物でも、絶えず忘れ物をしないように気遣っていなくても、忘れ物をしない方法を考えます。
思い立ったことをするときに、何かがしたかったり手に入れたかったり、またそのことをしたくなったりするときに、同時にその間逆の発想をします。
そのことによって、その成果を出したりその為の行動をしたりすることや訓練自体を、苦痛に感じる割合を軽減することができるし、そんな工夫することが楽しくなって、モチベーションが上がるのです。
何か上手くなりたことがあっても、一生懸命練習しないとできるようにならないと思ってしまうと、始める前にやる気が失せてしまいかねません。でもどんなに誰かが一生懸命練習しないとできるようにならないといっていても、私だったら簡単にできるようになるはずだと思ってしまうのです。
また一見難しいように見えることも、そんなはずはないと思うようにしていますし、悪い言い方をすれば、その人が下手だから難しそうに見えるのだと思ってしまうのです。
何かする場合にこんなことも考えます。それはこの何かをしなくても済む方法はないかということです。
物事が動いたり、結果が出たり、成長したりするということは、その為のメカニズムが機能したということで、考えたり、練習したり、気を配ったりすることは、そのメカニズムが機能させるための間接的要件を、整えているということなのです。
つまり考えたり、練習したり、気を配ったりしてもメカニズムの機能が働かなければ、物事が動いたり、結果が出たり、成長したりしないし、考えたり、練習したり、気を配ったりしなくても、メカニズムが機能しさえすれば、物事が動いたり、結果が出たり、成長したりするということなのです。
従って、メカニズムが機能するために必要なことは、省略することはできないし、それをすれば結果を出すことはできないのは当たり前のことなのです。
物を持ち上げるための最小限の筋力や、対応するための敏捷性や、バランス感覚などを省略することはできません。しかし、そのメカニズムが機能するためには、様々な間接的要因が陰に陽に作用していることがあるのです。その間接的要因の作用があることによって、使う筋力に無駄がなくなったり、敏捷性の障害要因を取り除いたり、反射神経を機能させたりというような関連性があるのです。
この様々な間接的要因を探し出してこれを作用させ、直接的メカニズムを機能させるように工夫することが、「しないためにする。するためにしない。」という発想そのものなのです。
もう一つの間接的要因は、メンタルです。
それは、どのポイントに意識をもっていくことによって、またもっていかないことによって、フィジカルが合理的に機能するかということで、それがキーワードとして重要なのだということを先ず認識することです。
メンタルは間接的作用要因ですが、このことは意識レベルにおいて大部分を占めるということなのです。大きな影響力を持っていると考えなければなりません。
それは実際のフィジカル運動と、メンタルで感覚的に捉えていることに違いがあったり、ずれがあったりするのだということを認識して、どれ位のギャップがあるかその実態を知る必要があるのです。
このギャップの多くは、フィジカルの運動能力と感覚の熟練度によるものなのです。ですから、メンタルの置き所を明確にして練習することは、とても大切なことなのです。
そしてこのメンタルの置き所を明確にして訓練することも、その訓練が進むにつれて、その置き所を移動したり、全く意識しなかったりして訓練することも、また忘れてはならないのです。
メンタルの分野においても、するべきことをしないことによって、却ってそれが機能するようにというアイディアを、只単にするべきことをするだけでなく対局を同時に発想しておくことによって、全体を俯瞰することができて、心に余裕を持つことができるし、いち早く自分にあった練習法を探り出すことができるのです。
一つの発想ができれば、必ずその対局を考え出すことができるわけですから、人は必ず同時に2つの発想ができるのです。
あなたも、二つ以上の発想するようにして、オリジナルプログラムを作って、自分自身の成長を画策してみてはどうでしょう。
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