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Arena Condition

PM 7:00 March 7 , '09 (Saturday)

 空の明るい曇りがちな一日で、暖かく風も朝の内だけで、いい日和でした。

 明日は、やはり曇りで、夕方には雨が降るという予報です。

 馬場は、相変わらずですが、夕方にはハローをかけました。


  「正しいことを覚えようと思う。」
 
  「正しいやり方を習おうと思う。」

 
 日本の教育は、正しいことややり方を教えようとし、生徒は、その正しいことを覚えようとする。

 これが大変危険で間違っている教育方針なのだ。

 こんなこと言うと「此奴、何言っているんだ。」と、お叱りを受けるかも知れません。

 何故大変危険かというと、発想の自由さとか豊かさとか柔軟性とかの思考力の広がりを限定してしまうという危険性です。

 人の才能の起源がこの思考力なので、

 才能の出発点を限定したり拘束したりしてしまうのは、やり方を知ってしまうことによって、違う発想をするきっかけを無意識に失ってしまうからなのです。
 また、ゴールからカウントダウンするような思考の順序を、やり方から思考を始めてしまうことによって、思いがけないゴールに出会うこともないし、ゴールが限定されたものになってしまうのです。

 やり方から発想して生まれるゴールを、貧しい結果だと気付かない人達ばかりが生まれてしまっていることを日本人は知らない。

 私は、正しい方法とか正しいことを覚えようとする自分が許せないし、これを覚えることが幸いにして嫌いです。

 完成形やゴールを学ぶことや知ることは、とても大切だし、そのクォリティが高ければ高いほどよくて、どのような形になることが完成と言えるのか、どのような結果がゴールといえるのかを判断ができなければ、正しい方法も存在し得ない。
 
 初心者の段階でとか何かを始めた段階で、完成形やゴールといえるものが、そうであるのかないのかを判断することができなければ、何を目標として大海原を漕いでいけばいいというのでしょう。

 人の常として、何事もはじめの段階で、その完成形を知らないし、ましてそれを吟味することなどできはしない。
 だからこそ、意図的にその情報を能動的に取り入れようとしなければならないし、指導者は、如何にその伝道者としての役割に傾注しなければならないのです。

 何をもって好しといえるのかが判断できるようになるために、時間と費用をかけて学ぶことが何よりも大切なことで、ゴールを噛み砕いて分析したりその形の正誤を感覚的に判断したりできるようになりさえすれば、そのやり方は学ばずとも自然にできるようになるのです。
 
 これを読んでいる皆さんは、信じられないと思っているに違いないでしょう。

 例えば、赤ちゃんがハイハイから歩き始める時、赤ちゃんに歩き方を教えたお母さんがいたでしょうか。
 励まして、一歩でも歩けたら褒めてあげることをしただけのはずなのです。でもそれは、赤ちゃんに言葉が通じないからだ、とお思いでしょう。

 では、言葉に通じる大人に対して、何か技術的なことを教える場合で考えても、果たしてその技術を言葉で、伝えることができると考えている指導者がいるでしょうか。

 結局指導者は、励まして褒めるだけしかできないのです。そして完成形やゴールを提示すること以外にしても良いことは、やり方を示唆するのではなく、励まして褒めることだけなのです。

 それでは、完成形が現在できていないもの、つまり新しく考え出したものだが空想の段階のものや、誰も考え出したことのないものについては、どうするのという疑問が湧いてくるでしょう。
 
 何も心配要らないのです。
 
 既に作られた物であろうとなかろうと、新しい構想であろうがなかろうが、そのゴールが仮想であろうが実際のものであろうが、イメージすることができなければ、ゴールすることはできないのです。

 イメージできない料理を誰も作ることはできないのです。

 科学者も結果を想定して、それを証明したり実験して実証したりして、新しいものを発見したり発明するものなのです。

 つまり意図的であろうが偶然であろうが、イメージできてない物を作ることはできないし、作りたいと思うことさえできないのです。
 

 そして、ゴールを知り、且つそれがそうであるかないかを判断することができさえすれば、やり方を学ぶ必要がないということなのです。

 そもそもやり方に、正しいとか間違っているとかがないのです。
 
 「己を知り相手を知らば、百戦危うしからず」という言葉がある通り、完成形を知るとは、その構造を知ることであり、手触りや肌触りで正否を判断できるようにさえなっていれば、ゴールに向かう過程における変化が、ゴールから遠のいているのか近づいているのかも同時に判断でき、一々やり方を学ぶ必要がないという寸法なのです。
 むしろやり方を学ぶことによって、思考が固定化したり発想を拘束したりしてしまうのです。

 人は誰でも発明者や発見者になれる可能性を持っているのですが、日本の教育システムがその可能性を蝕んでいるのです。

 やり方を学ぶことは発想を固定化する最も危険なことで、ゴールや完成形を学ぶという意識で、ものを考え、ものを見るという思考回路が、自由な発想と新しい発見を生み出す。

 例えそれが既に誰かが成し遂げたものであったとしても、その人にとっては、第一発明者であり第一発見者であることには変わりがない。それが世間でそのような評価がされるかどうかは関係のないことなのです。


 完成形のクォリティの高いものや質感の素晴らしいものに、触れることであり、効き目効き耳を養うことが、発想の豊かさや思考力を培うことになり、自らの考案によって、そのやり方を工夫することができる過程おいてこそ、生き甲斐や達成感が生まれるのです。

 ものを習うことは、人を貧しくし、出来を知ることは、人を豊かにするのです。

 そして完成形から思考を始める順序が身に付けば、人や物からそのやり方を学ぼうとしたとしても、自分にとってとか完成形に照らして、必要な情報かそうでないのかを判断することができるようになるのです。
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