FC2ブログ

Arena Condition

PM 6:30 February 27 , '09 (Friday)


 今日は一日しっかりと雨が降りました。気温も低く八街でも千葉でも周辺は、当たりが白くなるほどの雪が降ったそうです。
 でもここは、全く雨で雪は降りませんでした。

 明日は、晴れ時々曇りだそうです。

 私は、目的を持つとか計画をするということがきらいです。特に子供の頃学校で、先生に何かというと、「目的を持ちなさい」、「計画を立てなさい」と言われると、腹の中では、その度に何を言ってやがるとほざいていました。

 天の邪鬼だったということも手伝っていたかも知れませんが、計画とか目的について良く分かっていなかったように思います。

 今でも良く思い出すことがあります。

 それは、習字の時間で、授業時間に練習して、終了の15分ぐらい前になると必ず清書して、その作品を提出するのですが、どうしても気に入った作品ができなくて、何時も時間切れで妥協した作品を提出していました。

 それから、小学生の頃、私は絵を描くのが嫌いになっていました。
 低学年の頃、図画の時間で写生に出かけて、風景画を描いたり、教室で果物なんかを描いたりした時のことです。

 私は、クレヨンの白が使いたい白とはイメージが合わなくて、むしろ画用紙のそのままの白い色の方が気に入っていて、白くしたい部分を何時も何も塗らないで、そのままにして提出しようしていました。
 するとそうするたびに、先生にとがめられて、仕方なく空白の部分をクレヨンで白く塗る羽目になってしまい、塗ってしまうと思った通りのイメージと違うできあがりになって、やはり妥協して作品を提出していました。

 それで、習字をするのも絵を描くのも自然の成り行きで、嫌いになってしまいました。

 勿論嫌いになった原因がそれだと判明したのは、小学生の頃ではありません。

 高校に入学して、芸術科目として、書道、音楽、美術の3科目から選択することになって、仕方なくという思いで書道を選びました。

 その書道の授業で、素晴らしい先生と出会ったのです。

 書は、その時の自分の気持ちを込めて書きなさいという指導で、決して型にはまった指導ではなく、この字はこんな風に書かなければならないということを一切言いませんでした。

 すると私は、字をのびのびと書くことができるようになって、書が好きになりました。そして、やはり授業毎に、作品を提出しなければならなかったのですが、私は、わざわざ清書する必要が無くなったのです。
 他の生徒は清書に苦労をしていたようですが、私は、授業中に書いたどの作品でも提出できるもので、わざわざ清書する必要が無くなったのです。

 余談ですが、書を好きになった後に、草書とか行書とか楷書とかいうような書の型にも、字の書く順序というのにも興味を持つようになって、ただ気ままに書を書くということではなくて、あるべき姿の大切さを感じて、進んでそれらを学びたいと思うようになったのです。

 このようなことがあって、私は、絵を描くことが嫌いなった理由や清書が中々できなかったことの原因が何であったのか分かったのです。

 この中に私が、計画を立てるとか目的を持つということが嫌いになった原因も含まれていたのです。

 今の自分や今の自分が何を望んでいるのかということを含めた自分そのものに、目覚めていない段階で、将来の目的を持つということは不可能であり、その為の計画を立てるなんて、もっとできない理屈になるのに、ただ先生は、「目的を持てとか計画を立てろ」の一点張りだったように思います。
 そして、子供の私にとっては、何をどうして良いか分からなかったというのが本当だったように思います。

 目的や計画を立てるには、今の自分を見つめて理解しなければできないことです。そして自分が何をしたいのかに目覚めていないのであれば、無理に目的を持つことを強いることなく、じっくりと探し続けることが大事なのです。

 私は、当時特に何になりたいということを決めるのに、非常に恐怖感を抱いたものでした。もしかしてもっと後々に本当になりたいものが見つかるかも知れないし、自分の才能も見つかるかも知れないので、急いで何になりたいかを決めることにすごく違和感を持っていました。


 そしてよくよく考えてみると、何になりたいかという問いかけを当時の大人達は、その対象が職業であって、何時も自分の中にあるのは、リーダーとか尊敬される存在とか優れた人とかのような、内面的で抽象的なものでしかありませんでした。何時もその問いかけをされると応えようがなくて、戸惑いを覚えたものです。

 そしてとうとう今の年代になっても、何になりたいかという具体的偶像を構築できずにいます。

 後になって私は、気付いたのですが、どうも私という人間は、何になりたいかという問いかけには、具体的な職業を対象にはできなくて、何面的なものを対象に考えて、職業はどうでも良かったということに気付きました。

 当時の大人達には、それが理解できなかったのでしょう。

 そういう内面を持っていたものだから、計画的にスキルを順序立てて準備するということが当てはまらなったのです。それでも先生を始め大人達は、計画することや目的を持つことを強いるものだから、辟易してしまったということです。

 内面的目的は、計画性というものが当てはめにくく、どちらかというとその時々に起きる出来事に対して、考察を深めていくことで、自分を成長させなくてはならないと思っていました。

 そうしていく内に戦略性という言葉に出会って、これだと思ったのです。

 どんな人間として成長したいのかとか、どんな覚悟をもって生きていきたいのかという大きな目標を掲げて、出会った事件や触れ合った人や本や映画など様々の出来事の度に、自分自身の人間や思考を磨いていくことが、目標に一歩でも近づく道だと考えることができるようになったのです。

 而して、嫌いな計画から私は、解放されたのです。

 それからというもの、何かを作ったり訓練したりする時も、ゴールや完成形を想定して、その構成要素を導き出して、その必要要件を具備するために行動をする。しかし、何事かを達成するために、構成要素の相関関係を考慮するだけで、克服する順序に囚われないですむようになったのです。

 何かを作るにしても勉強するにしても、その目的である「自分がどんな人間に成長するか」、「どんなことのできる人間になるのか」ということに照らして、優先順位を考えて、すべきことを判断するという戦略性をもって考えられるようになって、何事も楽になったのです。

 このような経験から、目的は、何も具体性のあるものでなくても良いし、精神的な内面的なことであっても良いことに気付いたことと、計画は、戦略性を重んじることによって、効率的にゴールを目指すことができるし、途中での変更の必要性や挫折などの障害要因が発生したとしても、最終的ゴールに照らして判断することができるようになり、好調の時も不調の時も全体を俯瞰して、余裕を持って計画に固執する必要が無くなったのです。

 こうして私は、嫌いな「計画」からも解放されることに成功しました。

つづく3
スポンサーサイト



プロフィール

eldorado ranch

Author:eldorado ranch
eldorado ranch
Arena Condition

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
FC2ブックマーク
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カレンダー
01 | 2009/02 | 03
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード