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Arena Condition

PM 8:30 February 26 , '09 (Thursday)

 明日は、雨か雪だそうです。
 
 東京は、普段雪の降ることが少ないので、公共の交通機関や道路も準備ができていないので、もし雪が降るようなことがあったら、充分お気を付けてください。

 
 つづくより

 我が強い人間が思考に柔軟性を持つことは、普通に考えるととても矛盾することで、とても難しいことです。
 
 これも「こうであらねばならない」とか「人はこうすべきだとか」というように、聖人君子が身に付けるような考え方は、とても私にはできない。

 しかし思考に柔軟性はとても大切なことで、思考が固定化してしまっては、優れた人間には成れないし、良い仕事をすることはできない。

 思考の柔軟性は、青春時代の私にとって、とても厄介な課題でした。

 そこで、自分の優位性を作ったり維持したりするには、より高い目標とかプライドを持たなければならないと思い、思考に柔軟性を持つことが、唯一これらを可能にすることができる方法であると考えたのでした。

 そして、将来において優れた人間になるとか、優れたスキルを身に付けるためには、今現在の考えや面子に拘って、新しい考えや優れたスキルや自分より劣っていると思う人の案に、耳を傾けようとしなければできることではないし、もし本当にそれが優れたものであった時、自分の優位性はあっという間に維持できなくなるわけで、本当の意味で自分のプライドを保つことができなくなると思い当たったのです。

 だから、今自分に何か優れたものがあるとしたら、その優位性を保つことは、絶えず更に高い優位性を目指さなければ、直ぐに誰かに追い越されてしまうわけで、相手が自分より若いとか、経験が浅いとか、自分より劣っているとかに関わらず、誰からも学ぶという意識を持つことが、その優位性を保つこととなり、更に優位性を磨くことができるわけで、このような考えを持つということ、即ち思考に柔軟性を持つということでした。

 プライドは、持ちようによって簡単に優位性を失いかねないという性格を持っている代物で、はっきりとそのプライドに関する認識を確認しておく必要があると思うのです。


 さて、それから人間が何事かを成功せしめながら生きるためには、何よりも自らの心に自信が必要だと思っています。

 しかもその自信が、揺るぎないものであればあるほど、成功率を高めることができるというものでしょう。

 只、自信が慢心であったり過信であったりすれば、返って自信がないよりもリスクが大きくなるということもまた確かなことです。


 自信は、その増減を意識的に、コントロールすることが大変難しい。

 つまり意識的に、どんなに自信があるように思い込もうとしても、不可能だということです。

 例えば馬に乗るにしても、バランスが取れなければ、自信をもって乗ることはできないし、アンバランスからくる不安や恐怖を避けようがない。意識的に自信を持とうとどんなに頑張っても、むしろ頑張れば頑張るほど湧き上がる不安は、どうしようもないほど大きくなってしまう。

 つまり自信は、確たる裏付けがなければ、持つことができないのです。

 しかし自信には、もう一つの種類のものがあって、それは精神力によって裏付けされるものです。


 テクニカルなものに裏付けされたものと、精神力に裏付けされたものとの二つがあるということです。
肩書きや立場などがつくと、それまで弱々しく見えていた人が、急に自信満々に見えたり、振る舞いが意気揚々と見えたりするのは、もう一つの精神力に裏付けされた自信というものの仕業です。

 肩書きがついたり立場が変わったりしたからといって、急にその人のスキルが上がったわけでもないのに、自信に溢れたような態度に変わる。

 そこで私は、自信には根拠のあるもの、つまりテクニカルな裏付けのあるものと、根拠のないもの、つまり精神力の裏付けによるものの二つが存在すると考えたのです。

 何らかのスキルが備わることによって、裏付けされたものが根拠のある自信で、氏素性とか経験とかプライドとかいうものが裏付けになっているものが、根拠のない自信です。

 自分自身で研鑽することによって、テクニカルな根拠のある自信を身に付けることが、人の向上心であり精進というもので、これはこれとして尊いことです。研鑽に研鑽を重ねることが何よりも大切な「人の習い」です。

 しかし、テクニカルな根拠に裏付けされた自信は、もっと高いと思われるテクニックを要求されたり、強いプレッシャーがかかってしまったりした時に、弱さが出てしまうという欠点があります。

 精神力に裏打ちされた自信は、テクニカルな形に囚われて、自信が増減してしまうことを最小限にする力を持っています。


 もう一つ自信について考えておかなければならないことは、物事を極めて行くにつれて、スキルが身に付くと平行して、リスクの存在についてもはっきりと認識するようになってきて、リスクの大きさが分かれば分かるほど、自信が危うくなってしまうということです。

 私は、「自信なんて馬鹿が持つものだ」と、うそぶいてしまうことが良くあります。スキルに裏付けされた自信なんて危ういもので、リスクを把握しなければ、自信が直ぐに過信となってしまい、それが最も危険で、過信するくらいならいっそ自信がない方が安全だ。

 しかし自信をもって、ことに望むことはとっても大事なことで、その為には精神力による自信を持つことがとても重要だと思うのです。

 精神力による自信は、その根拠となるものは何でも良くて、私にとっては、自分の名前だったり、自分のファミリーだったり、日本人であることであったり、経験であったり、最終的には自分にできないはずはないし、絶対できると思い込むようなことであったりもします。

 精神力による自信は、誰でもが持つことができるもので、人から尊敬されるには、テクニカルな自信によるものではなくて、精神力による自信がその対象になるのです。

 誰でもが親から生まれ、それなりの経験を積んで今日まで生きてきたわけで、それを自信に変えなくて何を誇れるものがあるというのでしょう。

 親兄弟そして家族、更にまた氏素性といったものに誇りを持てない人は、人に信用されない。

 氏素性とは、名門の家庭に生まれたかどうかではなくて、自分には自分だけの氏素性というものがあるわけで、それは余人には代え難い尊いものだということなのです。

 自分に誉れを持つことができなければ、その延長線上に他人の誉れを尊ぶことができないし、それでは社会が成立するわけないのです。

 自分が、大きな課題に立ち向かう時、本当に役に立つものは、テクニカルな自信ではなくて、精神力による自信なのです。
 
 テクニカルな自信を他人と比べて誇る人は、鼻持ちならない嫌な奴で、世界において日本や日本人が尊敬されるようになるには、この精神力による自信を持つようにならなければなりません。

 それはその第一歩として、子供が、親を尊敬して成長するこというでなければなりません。

 そしてその延長線上に、郷土愛が生まれ、強いては愛国心を持つようになり、それが世界の舞台で日本人が活躍をする時、精神力による自信が事に立ち向かう勇気をもたらしてくれるのです。

 そして日本人が日本人であることに誇りを持つことによって、オリンピックで金メダルを幾つも取るより、世界の人々から尊敬の眼差しで見られるようになるのです。更にまた、世界から日本人が尊敬の対象として評価されることが、次世代の日本人に対して、一番残さなければならない遺産なのです。

つづく 2
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