Arena Codition
PM 10:00 February 20 , '09 (Friday)
今日は 午後になっても中々晴れませんでした。霧雨状態が暫くありまして、夜になってやっと晴れまして今は満天の星が輝いています。
明日は、晴れの予報ですが少し寒いようです。
馬場回復は、今週は無理のようです。
「分からない。」
分からないということには、「分からないことに、気がついていない。」と「答えが分からない。」の二通りがある。
問題は、「疑問に、気がついていない。」という「分からない。」です。
どうしたらそれに気がつくのでしょう。
「分からない。」のその前に、自分が何をしようとしているのかとか何がしたいのかということを、日常的なことだとあまり深く考えないで漠然としていることによって、「疑問に気がつかない。」という現象が見られるのかも知れません。
「何をしようとしている。」ということは、どういう結果を望みどういうことが起きた時に、それができたという結論になるかが意識にあるということです。
指導者がしてしまいがちなミスは、その人が何かをしたいわけだから、その結果がどうのようになったらいいかを当然その人は、想定していると指導者が思いこんでしまうことです。
本人が、全く考えていないことはないでしょう。しかし、ある問題を克服するために、指導者がアドバイスしたことだったらどうでしょう。
それでも大概の人は、自分の課題を克服するための試行だから、それがどのような結果になることで、その目的が果たされるのかを考えるでしょう。
しかし、その試行に挑んだ結果が思わしくなかった場合、その原因を指導者は、どのようになることが結果として必要なのかという疑問を、生徒が持っていないことによるということを含めて、問題を推定しなくてはなりません。
結果の成就ができなかったことを指摘したり,その理由を問いつめたりしているばかりでは、生徒自身とコミュニケーションが取れないし、問題や疑問を持っていないが結果は思わしくないという感じだけで、悶々としている生徒には、何が何だか分からないのです。
課題や問題を克服するということは、ルーティングワークでは不可能です。
私は、何かを作業としてやっていると、何も生まないと良く言っている。
作業としてやるとは、如何にそれを終わらせるために、早くこなしてしまおうという気持ちでするということです。
つまりパターン化して、一瞬一瞬に思いを込めてとか、その時の反発がどんな感じかを感じ取るようにとかのように、その時何が起きているか、その時何を起こしているか、そしてまた起きていることが何を意味するのか、そして自分の心にどんなわだかまりや違和感が起きたのか、極端には心配事だったり恐怖心だったり、はたまた爽快感だったり達成感だったりというように、その瞬間に何か起きているかを感じ取りながら、時を刻むことがとても大事なのです。
恐怖感や心配事や違和感やわだかまりのような、どちらかというとマイナス要因が心に湧き上がった時、人はそれをオブラートに包んで忘れようとしてしまいがちです。
ところが心に起きたマイナス要因が、その課題を克服するために、とても重要な要素を突き止める手がかりなのです。
日頃の向上心が弊害を起こして、マイナス要因が心をかすめた時、なるべく気にとめないで忘れようとしてしまうのです。
プラス思考ということをはき違えているのです。
プラス思考とは、マイナス要因をオブラートに包んで、見ないようにとか考えないようにするということではありません。むしろ積極的に見て分析する必要があって、マイナス要因そのものを克服するための手がかりやヒントをもたらしてくれるプラス要素なのだという風に、マイナス要因をプラス要因へ転化することをいうのです。
そしてまた、何が起きているかを感じながら時を刻むには、その人が何をしたいのか、そしてどんな風に、どんな結果を起こせたことによって、できたと思えるのかを事前に想定することによって、何を以てできたと思って良いのかを教えてくれることになって、為しえることなのです。
マイナス要因は、改善するための手がかりとなる大変重要なファクターであり、人を成長せしめる栄養剤だと理解しなければなりません。
特に何かの時に、自分自身の中に今何が起きているのかを心にとめて、その奥底に何があるのかを探索するような冒険心や好奇心を持つことが、何よりも自分を成長せしめる大切なことなのだと思います。
特に心によぎることは、嬉しいことは一瞬で嬉しくないことやがっかりすることばかりです。
只大きく心を揺さぶるようなことよりも、ふっと心に引っ掛かったようなことや何気ないことだけどちょっと気になったことのように、ほんの些細な良く気をつけていないと分からないような、何故か心を解放できないようなことを手がかりとして、その原因を探求し続けることが何よりも自分を成長せしめることなのです。
疑問に気付かないということは、本当は有り得ないことだと思うのです。ほんのささやかな自分自身心の叫びに耳を傾けさえすれば、聞こえてくるし気付かせてくれるのではないでしょうか。
今日は 午後になっても中々晴れませんでした。霧雨状態が暫くありまして、夜になってやっと晴れまして今は満天の星が輝いています。
明日は、晴れの予報ですが少し寒いようです。
馬場回復は、今週は無理のようです。
「分からない。」
分からないということには、「分からないことに、気がついていない。」と「答えが分からない。」の二通りがある。
問題は、「疑問に、気がついていない。」という「分からない。」です。
どうしたらそれに気がつくのでしょう。
「分からない。」のその前に、自分が何をしようとしているのかとか何がしたいのかということを、日常的なことだとあまり深く考えないで漠然としていることによって、「疑問に気がつかない。」という現象が見られるのかも知れません。
「何をしようとしている。」ということは、どういう結果を望みどういうことが起きた時に、それができたという結論になるかが意識にあるということです。
指導者がしてしまいがちなミスは、その人が何かをしたいわけだから、その結果がどうのようになったらいいかを当然その人は、想定していると指導者が思いこんでしまうことです。
本人が、全く考えていないことはないでしょう。しかし、ある問題を克服するために、指導者がアドバイスしたことだったらどうでしょう。
それでも大概の人は、自分の課題を克服するための試行だから、それがどのような結果になることで、その目的が果たされるのかを考えるでしょう。
しかし、その試行に挑んだ結果が思わしくなかった場合、その原因を指導者は、どのようになることが結果として必要なのかという疑問を、生徒が持っていないことによるということを含めて、問題を推定しなくてはなりません。
結果の成就ができなかったことを指摘したり,その理由を問いつめたりしているばかりでは、生徒自身とコミュニケーションが取れないし、問題や疑問を持っていないが結果は思わしくないという感じだけで、悶々としている生徒には、何が何だか分からないのです。
課題や問題を克服するということは、ルーティングワークでは不可能です。
私は、何かを作業としてやっていると、何も生まないと良く言っている。
作業としてやるとは、如何にそれを終わらせるために、早くこなしてしまおうという気持ちでするということです。
つまりパターン化して、一瞬一瞬に思いを込めてとか、その時の反発がどんな感じかを感じ取るようにとかのように、その時何が起きているか、その時何を起こしているか、そしてまた起きていることが何を意味するのか、そして自分の心にどんなわだかまりや違和感が起きたのか、極端には心配事だったり恐怖心だったり、はたまた爽快感だったり達成感だったりというように、その瞬間に何か起きているかを感じ取りながら、時を刻むことがとても大事なのです。
恐怖感や心配事や違和感やわだかまりのような、どちらかというとマイナス要因が心に湧き上がった時、人はそれをオブラートに包んで忘れようとしてしまいがちです。
ところが心に起きたマイナス要因が、その課題を克服するために、とても重要な要素を突き止める手がかりなのです。
日頃の向上心が弊害を起こして、マイナス要因が心をかすめた時、なるべく気にとめないで忘れようとしてしまうのです。
プラス思考ということをはき違えているのです。
プラス思考とは、マイナス要因をオブラートに包んで、見ないようにとか考えないようにするということではありません。むしろ積極的に見て分析する必要があって、マイナス要因そのものを克服するための手がかりやヒントをもたらしてくれるプラス要素なのだという風に、マイナス要因をプラス要因へ転化することをいうのです。
そしてまた、何が起きているかを感じながら時を刻むには、その人が何をしたいのか、そしてどんな風に、どんな結果を起こせたことによって、できたと思えるのかを事前に想定することによって、何を以てできたと思って良いのかを教えてくれることになって、為しえることなのです。
マイナス要因は、改善するための手がかりとなる大変重要なファクターであり、人を成長せしめる栄養剤だと理解しなければなりません。
特に何かの時に、自分自身の中に今何が起きているのかを心にとめて、その奥底に何があるのかを探索するような冒険心や好奇心を持つことが、何よりも自分を成長せしめる大切なことなのだと思います。
特に心によぎることは、嬉しいことは一瞬で嬉しくないことやがっかりすることばかりです。
只大きく心を揺さぶるようなことよりも、ふっと心に引っ掛かったようなことや何気ないことだけどちょっと気になったことのように、ほんの些細な良く気をつけていないと分からないような、何故か心を解放できないようなことを手がかりとして、その原因を探求し続けることが何よりも自分を成長せしめることなのです。
疑問に気付かないということは、本当は有り得ないことだと思うのです。ほんのささやかな自分自身心の叫びに耳を傾けさえすれば、聞こえてくるし気付かせてくれるのではないでしょうか。
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