Arena Condition

AM 9:50 Temoerature 4℃ 晴れ January 29, '12(Sunday)

 晴れてはいますが、少々強めの風rが吹いています。

 馬場は一挙に回復して、午後には重馬場を脱するまでに回復するでしょうか。

 毎日全面の凍結で、朝は砕氷の時間です。


Arena Condition

AM 9:30 Temperature 3℃ 晴れ January 28, '12(Saturday)

今朝は、晴れてはいるものの少し雲が多めで、風も少々あって、体感がとても寒く感じます。

 馬場は、差期日ハロー掛けたものの、昨日も凍結していて更に今日も凍結しています。

 馬場状態は、最悪状態です。

 

Arena Condition

AM 10:00 Temperature 5℃ 快晴 January 27,'12(Friday)

 快晴無風です。

 今朝は、昨日からすると少し気温が高いですが、この冬一番の冷え込みで、バケツの氷が2cmの厚さで、一番厚くなりました。

 馬場は一面が、うっすらと白く乾いたように見えるが、凍結して日差しと共に溶けて排水している状態です。

 奥の方は、完全凍結状態です。

 今日は、ハローを掛けるべきどうか迷うところです。



 「本質へのベクトル」

 人は、必ずしも本質に向かうベクトルを保持していないのかも知れない。

 大脳以外の人間に備わった平衡感覚や反射神経、運動神経や自律神経などの管轄下にある全ての機能には、合理的や真理やベストやコアなどの本質へ向かうベクトルを有していて、それぞれの機能を果たしているのである。

 しかし、大脳の支配する領分においては、それらのベクトルを考慮しないコントロールをしようとする。しようという確かな意識があるわけではなく、そして本質への追究を意識的に拒否するわけではないが、自動的に本質へと向かうベクトルを有しない人が存在する。

 何故なのだろうか。

 上手くいかないという自覚がありながら、上手くいくために最も有効な手段を講じようとするというごく自然で当たり前の行動を、大脳が取ろうとしないのである。また、最も有効的な手段が見つかるまで探し続けようとしないのである。そして時には明確に、まるで上手にできずに迷っていたいかのように、本質へ向かうことに対して、大脳が拒否反応を起こす場合もある。

 人間は誰でも本質を追究して、合理的に無駄なくより簡単に単純化して、ものごとをこなそうとするものだと思っていたが、実際にはそうではない。

 ものごと始めたときは、一番簡単そうに見えることを、簡単にできるようになることから始めようと思うものだ。しかし、やってみるとそう簡単ではなく、恐怖や不安や困難や失敗に出会い挫折を味わう。

 挫折を味わったときに、一番簡単そうに見えることは、どんなことなのかという問い掛けをし直して、更に一番簡単そうに見えることを見出して、そこから始めようとすることが自然な考え方であろう。しかし、一部の人ではなく多くの人が、目先のことを安易にクリアする方向へと流されてしまう傾向にあり、そのような傾向にあり人は、決して問題を解決したことはない。

 そして、一旦道から外れてしまうと、立ち止まって元の一番簡単にできそうなことや単純なことに目を向けるということをしなくなってしまうのである。

 それでも時間は経過して、運動神経やその他の感覚が自動的に対処する機能によって、何ごとかができるようになってくるものだから、大脳はドンドン勘違いをし続けてしまうのである。

 例えば、自転車に乗れるようになるために、ハンドルの持ち方やサドルに座る姿勢などを教わる人は殆どいないのに、況して本を読んだからといって乗れるようになると考える人はいないのに、ゴルフやオートバイや自動車に乗るためにインストラクターのところや教習所へ通うことを、不自然だという人は希なのである。

 まるで、自転車に乗ることとゴルフのボールを打ったり、オートバイに乗ったり自動車を運転することは違うとでもいうかのように、取り立てて同じことなのかそれとも違うことなのかというような考察すらしないのに、初めから違うものだと決めつけているかのようである。

 ゴルフの教本などに書いてあることは、大凡間違っていることは少ない。つまり、ほぼ正しいことが羅列されているのである。

 しかし、そこに書いてあることを知識として知ることと、自分自身の体を使って300m先のターゲットへボールを打つことができるということとは、全く関係性がないということを考えようともしないのである。

 自転車に乗ることにおいて、本を読んでその乗り方の解説を知ることと、バランスを取って自転車をコントロールできるようになることとは、全く違う次元のことだということは知っているのにである。

 ゴルフは、瞬間的にボールを捉える感覚が備わらなくては、グッドショットすることはできないし、自転車は、ある速度で走ることによって倒れずに自転車をコントロールできるバランスが養成されなくては、乗れるようにはならない。

 バランス感覚や反射的感覚を養成するには、大脳が直接フィジカルをコントロールしようとすることは、弊害の何ものでもなく、理想とするイメージを描いて心を無にし、ただフィジカルを動かすことが何よりも効果的な練習法なのである。

 ゆっくりと腕はこうして腰はこのようにしてとチェックしながら、体を動かすということは、大脳が直接的にフィジカルをコントロールしようとしていることであり、ゆっくり動かすことによって、又は力を抜くことによって、大脳がフィジカル運動に直接関与しやすくなるということなのである。

 子供が何故一緒に大人と初めても、速く上手になるのは、大人と比べて子供が大脳を使うのが上手ではないからで、上手く大脳が使えないから無心でフィジカルを、感覚に頼って運動するからなのです。つまり、子供は馬鹿だから速く上手になるということなのです。

 従って、大人も馬鹿になればいいのです。

 理論立てて腕をこうして腰をこうしてと、やたら言葉を発する人で、上手な人はいた試しがないし、レッスンプロといわれる人や名人といわれる人の多くは、完成した後に理論づけたことを、未完成の人にやらせようと指導する人が多いので、失敗するのです。この人達がプロや名人の域に達した過程において、功を奏した工夫や体験を基に、指導することが重要なのです。

 意識的に馬鹿になることは、むしろ賢くなることに繋がり、利口ぶって感覚的にやらなければならないことを、理屈で片付けようとするような人は、本当の馬鹿なのである。

 フィジカルの感覚は、全て合理的に簡単に素速く精密に微細にシンプルに、そして本質へと向かうベクトルを有しており、そのベクトルを邪魔するのは大脳の働きなのです。唯一促進してくれるものが、理想的映像を見てイメージすることなのです。

Arena Condition

AM 10:00 Temperature 5℃ 快晴 january 26, '12(Thursday)

 馬場は中々回復しません。夜晴れるものだから放射冷却で、凍結して、日中溶けて夜また凍結というパターンです。

 それでも徐々に水がはけているようです。

 当分寒気が緩まず2月上旬までは、この寒さが続くようです。

 花粉も飛び始めたし、寒さも続いて最悪の季節に突入です。



 「能力の差」

 現実問題として、個体差があってその能力にも厳然として差がある。

 見たものや触ったものや感じたものが、そのようにその存在を確かにあると感じているのだから、疑う余地がないと思えてしまうのも無理はないことだ。
 しかし、この頃特に思えて仕方ないのは、人間に能力の差などないのではないだろうか。特に、先天的に能力の差などないのではと思ってしまうのです。

 我々の細胞がそうであるように、素材である複数の成分が何らかの働きを以て、交わったときに変異して、何らかのものを形成する。

 布が縦と横の糸が交互に重なり合うことによって形成するように、その模様もまた同様で、複雑な模様も縦と横の糸との解いてみれば、何のことはない単純な姿なのです。
 細胞もまた初めから目になったり腕になったり爪になったり骨になったりと、決まっているわけではなくて、万能細胞というのがあって、その細胞に何らかの成分が交わると、あるものは目になりあるものは腕になったりと変異していくのだそうだ。

 ものが動くのもまた二つ以上のベクトルを持つモーメントが、ある角度を以て交わったときに、その質量の中間点に移動するのである。

 つまり、 A + B = C で、AまたはBの値が変化すれば、結果的にCは、無限に変化することができるというわけである。
 神は、初めから我々に目に映るCを多種多様なものとして一々創っているわけではなくて、最小限の万能性を持つものを創り、それらを何らかの働きを以て交わらせることによって、多種多様なCを創り出しているのです。
 万能な最小限の素材のことを先天性といって、それらが交わって違うものを組成することを後天というのでしょう。

 従って、我々が何らかの結果を求めるときは、最低AとBに相当する要因を探して、その要因の値を様々に組み合わせて、答えとしてのCを求めることが、我々が元々先天的に持っている素因を利用して、後天的に無限のものを創り出せることに結びつくということなのです。

 答えを砂の山に埋もれている中から探すということではなくて、飽くまでも砂山に埋もれているものは、その要因であるAとBなのです。AとBの要素を見つけさえできれば、後は簡単でAとBにかける数字を当てはめて、答えを出せば良いだけである。しかも、AとBの素因を先天的に、我々は持っているのです。

 要は、このような方程式を元にして、計画を進めていくという思考回路を持ち、これに基づいて行動する原理を持たなければ、どんなに経験を積んでも行き当たりばったりでしかなく、何ら手がかりなく問題を解かなければならない状況から脱することができないのです。

 我々は、素材としての能力に個体差があるわけではなく、後天的にAとBの組み合わせを想定すれば良いだけのことで、方程式は元々神が定めしことだから、その方程式に基づいて結論を導き出せば良いだけのことなのです。

  1. 単純化できる素因を探る。
  2. 複数のものごとを見たときは、共通項を探す。
  3. 自分の言動に潜在するキーワードを探す。
  4. 自分や隣人の行動パターンを探る。
  5. 社会的問題や事件を聞いたとき、原因を究明したり、解決法を考たりして、絶えずシミュレーショ      ンして自分を訓練する。
  6. 人の癖を探る。

 以上のことを、自分なりに答えを仮定して、矛盾点をついたり正当性の根拠を見出したりして、日夜トライしていけば必ず能力は高まると同時に、実際に成功の確率を高めることができるのです。

 能力を高めるための訓練をするのではなくて、能力を高めなくても問題や課題を解決できる方法を考案するようにするように、自分を訓練することが必要なのです。

 能力を高めようと学校の教育システムができているから、能力の個体差ができてしまっているのであって、複雑なものや高度なものを単純化したり分解したりして、素因の成り立ちとして理解するようにすれば、高い能力がなくてもその問題を理解することができるし解決することもできるのです。

 そうすれば、誰でも問題や課題を簡単に処理解決できるのだから、能力の差なんて問題はなくなるのです。

 日本の職人の世界は、技術が高いから万人がそれを成すことができるようになることはなく、特別な人間にのみその称号が与えられる。しかし、アメリカの社会は、道具を考案して、誰でもが簡単にものを作れるようにという社会的意志が存在して、能力の差など関係のない世界を作り出そうとしているのです。

 こうした営みは、実際には、誰もの能力を飛躍的に高めることになるのです。

 勿論、便利になった道具に使われているだけでは、能力が高まることはありませんが、複雑なものを見れば単純化するために分解するように、複雑なリアス式海岸線を見れば、波の単純な往復運動を見ようとする心を持つことが何よりも必要なことなのです。

Arena Condition

AM 9:40 Temperature 0℃ 晴れ January 25, '12(Wednesday)

 午前9:00現在気温0℃は、ここ始まって以来の低さです。勿論開設以来、毎日気温を測っていたわけではないので、正確ではありませんが、0℃は記憶にありません。

 バケツの氷も一段と暑かったです。


 馬場の雪は、ほぼ全面なくなりましたが、今朝は全面凍結しました。

 馬場周りの竹に雪が積もって、数十本の竹が馬場に先端をうなだれるようの地面に倒れてしまいましたので、伐採です。

 暫く良い天気が続くようなので、夜馬場は凍結してしまいそうで、中々回復しそうにありません。



 「我慢できない」

 上手くいかない状態が続いても、決めたことを頑固に貫き通して、感覚が宿るまで我慢することができない。

 手に感覚が宿るまで、考えずに力一杯とかできるだけ速くとか、意識下に置くことを最低二つに絞ってとかのように、まるで常識では考えられないようなやり方で、ゆっくりやるとか丁寧にやるとかものをよく考えてとかと真逆に、できるだけ大脳が運動に入る込む余地のないようにして行う。

 最初は全く訳が分からないし、上手くいかないだけでなく、感覚が宿るなんてとんでもない。こんな状態がいつまで続くか見当もつかないときに、最初に誓ったことをもう一回見直して、仕切り直してできないことにくよくよしないで、今にはっきり感覚的に状況が見えるようになるはずだからと思って続ける。

 真っ暗闇の中で徐々に光明が見えるが如く感覚が宿ってきて、その結果正確性が出てきてコンスタントに成功を納められるようになった経験をしたことがないから、感覚が宿るように上達するまで辛抱することができず、あれこれと別な工夫を考えてしまったり、ゆっくりとした動作を繰り返したり、丁寧にやろうとして運動の滑らかさを失ったり、意識下に置くポイントがぶれてしまったり二つ以上に増えたりと、ドンドン次から次へと視点がずれていって仕舞いには訳が分からなくなって、最初の志が失敗だという終わり方になるのです。

 どんな工夫でも何処までも追い求めてやっていく内に、何らかの示唆を感覚が与えてくれるものなのですが、これも体験したことがないから信じ切れないので、何らかの結論が出る前に駄目だと思って止めてしまう。

 これまでの人生において、感覚が宿って、その感覚が進路を指し示すなんて、体験したことがないからイメージできないし、体験したこともないことを信用して、訳の分からないまま続けることなんてできっこないというわけです。

 つまりこういう状態のことを、小利口というのです。
 なまじっか分かったようなふりすんじゃねぇ。ということなのです。

 馬鹿になれということなのです。

 最初に志したことを、とことんやり抜けということなのです。

 失敗している内は、止めずに続けることが重要なのです。
 スティーブ ジョブズ氏の、Stay Foolishなのです。彼がこのような意味で言ったかどうかは知りませんが、小賢しい知恵を使ってあれこれを工夫なんかするんじゃねぇということなのです。

 頭の悪い奴が小知恵を使うものだから、迷いが出るだけの効果しかないのです。

 知恵は考えて出そうとした瞬間に、それだけで浅知恵になるものなのです。本来の知恵というものは、体から湧きあがるもので、感覚が研ぎ澄まされなくては絶対に出てくるものではないのです。

 感覚が宿ってくれば、知恵なんて簡単に出てくるようになるのもので、自分の指先や足腰に宿る感覚さえ身に付けば、湯水のように出てくるようになるのです。

 問題は、感覚が宿るまで初志貫徹なのです。馬鹿の一つ覚えというのが、知恵者になる第一歩だし近道なのです。しかも簡単で、頭の良い知恵者になるには、沢山勉強したり本を一杯読んだりしなければならないわけではなくて、頭を使わず考えず、最低限のことを意識下に置くことに絞って、感覚が宿るまで遮二無二体を動かすだけで良いだけなのです。

 只、必要なことは、感覚が宿ってくるまで余計なことは考えずに、最初に決めたこと守り通して、し続けるだけなのです。

 感覚が宿ってできる第1歩を経験できさえすれば、後はこのことを信用することができるから、ドンドン感覚が鍛えられてやることも目で見るように見えてきて、正確性も高まるし状況把握が瞬時にできるようになるので、やることに無駄がなくなるし、ものごとに対する思慮も深まるし、アイディアも自然に出てくるようになるし、本質を捉える確率が一段と高まるのです。

 小利口になってあれこれと技巧を凝らしてと、考えてしまうことよって問題が生じ、只体を動かしている内にどうにかこうにかできるようになってくるとき、指先に何を感じているのか検証を続けることが重要なのです。
 感覚を検証するのは、毎回しなければならないことで、夢中で動作を繰り返すが、運動の最中は絞ったことに意識をおき、毎回今のはどうだったか、指先にどう感じたのか、お尻で何が感じられたのか、足にはどんな感じを受けたのかなどを検証しなくてはなりません。勿論幾つも検証するということではなくて、二つに絞ったことだけをすれば良いだけです。

 感覚が宿るまで、辛抱できないのでは、何も変えることはできません。
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